死神ちゃんは五階の〈水辺区域〉へとやってきた。地図で指示された場所まで来たものの、〈
死神ちゃんは思わず叫ぶと、文字通り、飛び上がった。しかし足首を掴まれて、離れるどころか逆に引き寄せられた。
「ふえ~ん! ようやく人に出会えたよ~!」
死神ちゃんを引き寄せた〈何か〉は死神ちゃんをガッシリと抱え込むと、そう言って頭巾に顔を埋めてぐりぐりと頬ずりをしてきた。
声のほうを振り向いた死神ちゃんが目にした〈何か〉は、鈍臭そうな雰囲気の漂うノームの女僧侶だった。
哀れに濡れそぼった僧侶は、死神ちゃんをホールドしたまま鼻をグズグズと鳴らした。
「すみません。つかぬことをお聞きしますが、ここはどこですか?」
「……はい?」
死神ちゃんが顔をしかめると、僧侶はようやく死神ちゃんを解放した。そして、しょんぼりと肩を落とした。
何でも、彼女は仲間と四階を探索中だったそうなのだが、仲間の「ここに罠があるから、踏まないでね」という忠告をうっかり聞き流して罠に嵌り、そのまま下階へと落ちてきたのだそうだ。そして、どうにか合流しようと階段を探してあれこれ歩き回ったものの見つからず、岩場にでも腰掛けて少し休憩しようと思って岩棚に登ろうとしたところ、うっかり足を滑らせて水の中へと落ちたのだという。
「落ちた場所が結構深くて、危うく溺れ死ぬかと思いました。助かりました。ありがとうございます! ……で、ここはどこですか?」
にこにこと笑顔を浮かべる僧侶に、死神ちゃんはしかめっ面のまま返した。
「悪いけど、教えることはできないな」
「もしかしてあなたもここは初めての場所なのかしら? それとも、まだ地図ができあがってないとか?」
「いや、俺、死神だから」
「……そう言えば、仲間が〈もうすぐ死神罠が発動する時間だ〉とか言っていた気がする。まさかそんな、誰かに助けられたと思って、うっかり死神に抱きついちゃっただなんて!」
僧侶は笑顔を凍りつかせると、再びわあわあと泣き出した。しばらくして、彼女は「泣いていても仕方がないから、とにかく階段を探そう」と嗚咽を飲み込みながらポツリと言うと、フラフラと立ち上がって歩き出した。
彼女は盗賊の経験でもあるのか〈姿くらまし〉が使えるようで、それを用いてモンスターから身を隠しつつコソコソと先を進んでいた。しかし、ちょうど立ち止まった際に〈術の効力がそろそろなくなる〉という頃合いとなり、せっかくだからかけ直せばいいものを、彼女はうっかりそのまま歩みだした。そしてモンスターに見つかり、半べそをかきながら必死に逃げた。
またある時、彼女は〈これ以上迷子にならないように〉と分かる範囲で地図を作成していたのだが、目印となり得るようなものをうっかり書き留め忘れ、そのせいで何度も同じ場所をぐるぐると回った。うっかり足を滑らせて水の中へと落ちることもしばしばで、死神ちゃんは深い溜め息をつくと呆れ顔で彼女を見つめた。
「……なあ、お前、もはや〈うっかり〉っていうレベルじゃないだろ、それは。ノームっていう種族は揃いも揃って馬鹿なのか?」
「あなたが今までどんなノームと出会ってきたかは知らないけどね、別に馬鹿なんじゃないんだからね! ただちょっと、ドジっ子が多いだけなんだから! だから、これは正真正銘〈うっかり〉なんだから!」
「自覚あるなら、もう少し気をつけようぜ……」
うっかりさんが口を尖らせてぷすぷすと怒るのをじっとりと見つめると、死神ちゃんは再び溜め息をついた。そして、顔いっぱいに〈不機嫌〉を浮かべたうっかりさんはまたもや目印をうっかりと見失い、気がつけば、いつの間にやら〈水辺区域〉から離れて〈砂漠区域〉へと足を踏み入れていた。
うっかりさんの大小様々な〈うっかり〉に付き合わされて疲れてきていた死神ちゃんは、辺りをキョロキョロと見回しながら先を歩く彼女をぐったりと見つめていた。そして、あることに気がついた。死神ちゃんは〈そろそろ勘弁してくれ〉と言いたげな表情を浮かべると、本来は助言してはいけない立場にもかかわらず、うっかり彼女に声をかけた。
「おい、待て。そこ、足を踏み出す―― なあああああああ!?」
「え、何―― いやああああああああ!」
彼女はうっかり流砂へと足を突っ込んだ。そして二人は、ジェットコースターに載せられたかの如く、猛烈なスピードで何処かへと運ばれていった。
ようやく動きが止まり、彼女はフラフラと立ち上がった。そして、覚束ない足取りで歩を進めたがためにうっかり転んでしまい、彼女は再び凄まじい速さで何処かへと流された。その様子を顔を青ざめさせて見ていた死神ちゃんは、自分の腕輪から彼女へと伸びている〈呪いの黒い糸〉に恐る恐る視線を移した。糸はするすると伸びていき、ピンと張り詰め、案の定グンと勢いよく死神ちゃんを引っ張った。
失敗したウェイクボードよろしく、引き倒されたまま死神ちゃんは砂の上を右往左往させられた。あまりのスピードに時折、身体が砂の上を跳ねまわり、〈ダンジョンの環境などに左右されない身〉であるはずの死神ちゃんでも、さすがにこれには気持ちが悪くなった。
うっかりさんの動きが止まると、死神ちゃんの身体はポンと投げ出され、彼女から少し離れた場所にべしゃりと落下した。起き上がることなく沈黙している死神ちゃんへとうっかりさんが駆け寄ると、死神ちゃんは少しだけもぞりと身じろいだ。そして、ぷるぷると震えながら、顔を上げることなく懇願した。
「もう、付き合いきれない。帰りたい。頼むから、死んでくれないかな……」
「心配して損した! やっぱり死神は死神だってことね!」
憤るうっかりさんに、死神ちゃんは悲壮感漂う眼差しを向けた。彼女はグッと息を飲むと、不承不承に〈うっかり〉を謝罪した。それからは、彼女は慎重すぎるほど慎重に歩を進めるようになった。そして、その甲斐あってか、ようやく上階へと繋がる階段を彼女は見つけた。しかし――
彼女は階段に完全に気を取られ、足元で不自然に光る小さな石に気づかなかった。その石は、実はサボテンに見せかけた針の罠の起動スイッチで、うっかりそれを踏んだ彼女はたくさんの針に射抜かれて灰と化した。
死神ちゃんは、ゴール目前であっさりと砂と同化していく彼女を呆然と見つめていた。〈ようやく解放されて嬉しい〉と思えば良いのか〈ここまで付き合わされてこの結果とは〉と落胆すればいいのかよく分からない、微妙な心持ちで溜め息をつくと、彼女の成れの果てに背を向けて帰ろうとした。しかし、背を向けようとした瞬間、彼女の灰が発光し始めて、死神ちゃんは思わず足を止めた。
眩い光が収まると、そこにはすっかり元通りの綺麗な状態で復活したうっかりさんがいた。彼女は目を見開いてハッとすると興奮気味に捲し立てた。
「〈うっかり死ぬことが多いんだから、絶対に覚えておけ〉と仲間に言われて習得した自己蘇生の術が、まさかこんなところで役立つだなんて! 五階に落ちてきてすぐに、念のためにかけておいてよかった!」
嬉しそうにそう言いながら、彼女はその気持ちを動きでも表現した。足元に罠のスイッチがあるということをすっかり失念していた彼女は、その場で小さく足踏みをしながら喜び、そしてうっかりスイッチを踏んだ。
再び針山のような状態となった彼女の魂が霊界でしょんぼりと肩を落とし、とぼとぼと階段を上っていくのを見届けると、死神ちゃんはその場に溜め息だけを残して姿を消したのだった。
――――万全の準備をしてあるのだからと気を抜いて失敗してしまうのは、もはや〈うっかり〉で済ましてはいけない。それは、本末転倒というものなのDEATH。