死神ちゃんが待機室で次の担当が割り振られるのを待っていると、ダークエルフの女性がやってきた。
「死神ちゃん、実際に会うのははじめましてよね。私は、サーシャ。同じ〈環境保全部門〉の、〈ダンジョン修復課〉に所属しているわ。どうぞ、よろしくね。――先日は、その、ヘルプに出られなくて本当にごめんなさいね」
そう言って申し訳無さそうにはにかんだ彼女は、誰もが思い描くような〈イケイケな感じのダークエルフ〉ではなく、とても清楚で奥ゆかしかった。
死神ちゃんが挨拶を返すと、彼女は頬をふんわりとピンクに染めて微笑んだ。
「あら、〈お花 香る〉って、とても素敵で可愛らしい名前ね! ねえ、〈お花ちゃん〉って呼んでもいいかしら?」
死神ちゃんは自分の名前が彼女の脳内で別の文字に変換されているような気がして、一瞬言葉を濁した。しかし、サーシャがあまりにも素直な笑顔を浮かべるので、反論せずに「どうぞ」とだけ返した。
「で、俺に何か用か?」
「ああ、そうだった。あの、先日は助けに行けなかったくせに、助けて欲しいってお願いするのも、本当に申し訳ないことなんだけど……」
彼女の所属するダンジョン修復課は、主に〈冒険者が破壊した壁や床〉を直して回る部署なのだそうだ。ダンジョンの損害は軽微であれば、壁の内側に張り巡らされている修復剤が外へと染み出し、勝手に復元される。しかし大きな損害となると、どうしても人力に頼る他ないらしい。その場合、人の目が無い隙に特殊な器具と魔法を用いて修繕を行うのだが、作業中にうっかり目撃されてしまった場合には冒険者ギルド職員を装うという。
灰色の魔道士は〈魔道士〉と呼ばれてはいるが、実際は神の一柱である。そのため、彼女の創ったこのダンジョンは、ある種の神器のようなものだった。だから単なる〈人〉であるサーシャ達〈修復課〉の人員が手直しをするというのは、とても労力を消費する仕事なのだ。体力も魔力も凄まじく消耗するので、そう頻繁にそのような事態が起きないで欲しいというのが彼女達の本音だった。
「なのに、困ったことに、最近、何度直してもめげずに開墾作業をしにくる冒険者がいてね……」
「は? 開墾? 農夫かよ」
「えっと、農夫じゃなくて、ノームなんだけど」
「ん? ノーム? 開墾するんだろ? それって、農夫だろ」
サーシャは困惑すると、どう説明しようかと言いたげに両手をにぎにぎと開閉した。しかし、説明することを諦めたのか、そのまま話題の続きを話し始めた。
「何度直してもめげないから、私達もそろそろ体力と魔力が限界で……。だから一度、直接注意したいんだけど、ほら、最近また、
言いながら、サーシャはガタガタと震えだした。彼女から笑顔が消え失せ、瞳は恐怖で潤んだ。きっと過去に、よっぽどトラウマになるようなことを〈
サーシャは鼻声で「ごめんなさいね」と断りを入れると、再び話し始めた。
「私以外の修復員は、表の世界では〈人〉扱いされていない人ばかりなのよ。だから、モンスターと間違われて襲われちゃう可能性もあるし。それに、私以外の〈
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二階に降りてすぐの場所には、体力を回復させる〈回復の泉〉というものがある。石組みの井筒の中は常に、溢れるかどうかのギリギリのラインのところまで水で満たされている。とても不思議な、魔の泉だ。
状態異常は治せずとも体力は回復できるとあって、金に乏しい駆け出し冒険者はこぞってこの泉の水で腹を満たしている。実際、死神ちゃんもそういう冒険者を度々目撃したことがある。――ただ、そのとき見た泉とは、様子が少し違っていた。石組みの一部が壊され、そのせいで〈溢れるかどうかのギリギリライン〉が分からなくなってしまったからか、水が滾々《こんこん》と湧き続けていた。
そしていつの間に作られたのか、床には水路が敷かれていた。泉から溢れ出た水はその水路を通って、どこかへと流れていく。水路はどうやら、その先にある少し大きめの部屋の中へと続いているようだった。
死神ちゃんがちらりと部屋の中を覗くと、そこにはせっせと畑仕事に精を出す女がいた。大きめの耳に、頭には羊のような角が生えていて、どうやら彼女はノームという種族らしい。つまり、ノームの農婦だ。――サーシャから話を聞いた時は聞き間違いかと思ったが、サーシャの情報も、そして死神ちゃんも正しかったということだ。
死神ちゃん達が農婦の様子を窺っていると、コボルトがやって来て部屋の中へと入っていった。突然のモンスター襲来に驚いた農婦は
状況を把握すると、死神ちゃんはフードを脱いだ。より一層〈ただの幼女〉感を出すためだ。そして、農婦が再び畑仕事に没頭し始めたのを確認すると、一人で部屋の中へと入っていった。
「ねえ、お姉ちゃん。こんなところで何してるの?」
「あら、お嬢ちゃん、迷子?」
とても幼女らしい、たどたどしい口調で死神ちゃんが話しかけると、農婦が作業の手を止めて笑顔を向けてきた。農婦は片手だけ手袋をとり、手先を首に巻いていた手ぬぐいでちょいちょいと拭うと、腰につけていたポーチから飴玉を取り出した。
「こんなところまで迷い込んで、モンスター怖くなかった? 大丈夫? もうちょいしたら私も地上に戻るから、そしたら一緒に帰りましょ。飴ちゃんあげるから、食べながら待っててね~」
「ありがとう! ――ねえ、何でこんなところに畑があるの? こんなところよりも、お外でお日様浴びてたほうが、お野菜さんも元気いっぱいになれると思うんだけど」
死神ちゃんは愛想笑いを浮かべると、飴玉を受け取った。そして農婦に漠然と感じた疑問を投げつけてみたのだが、彼女は動じるどころか〈よくぞ聞いてくれました!〉と言わんばかりの輝きに満ちた笑顔を浮かべた。
「あのね、私ね、今年こそはマンドラゴラ品評会で金賞を獲りたいの! 毎年銀賞止まりでさあ、凄く悔しくて! 今年こそはと思いながら研究に研究を重ねた結果、魔法薬を作るのに使われるような植物だし、土や水にもふんだんに魔力が篭ってるほうが良く育つんじゃないかってことに気づいて! で、そういう条件を満たしてる場所っていったら、ダンジョン以上に最適なところってないでしょう!? だからこうやって一生懸命畑作って頑張ってるわけなんだけどさ、畑泥棒でも出るのか、ちょっと目を離した隙にマンドラゴラがなくなってたり、畑荒らしでも出るのか、ちょっと地上に戻った隙に畑が壊されたりしてて! 金賞受賞への道は並大抵じゃない――」
「ていうか、そもそも、ダンジョン内を耕さないでくださーい!」
「ぎゃー! 死神ー!!」
我慢の限界だったのか、農婦が話している途中でサーシャが姿を表した。ローブのフードを目深に被っていて顔が見えないからか、彼女はまるで死神のように見えた。だからか、案の定農婦は慌てふためいて、ポーチの中に乱暴に手を突っ込んだ。そして、ハッとした表情を浮かべて叫んだ。
「あああ、しまった! 今〈脱出の巻物〉を使ったら、私だけ地上に戻って、お嬢ちゃんを置いて行っちゃう! どうしよう! どうしよう!!」
「落ち着いてください、私は冒険者ギルド職員です!」
サーシャは器用に、耳が露出しないように顔だけをフードの外へと出した。すると、パニックを起こしていた農婦が「紛らわしい、脅かさないでよ」と悪態をついた。
サーシャが注意喚起を行うと、農婦はそれを金銭で何とかしようと試みた。そのやりとりをげっそりとした顔で見守っていた死神ちゃんは、足元で何かが動く気配を感じ、そちらのほうに目を向けた。
風もないというのに、マンドラゴラの苗のひとつが、葉っぱをわさわさと揺らしていた。その揺れは段々と大きくなり、更にはボコッという音を立ててマンドラゴラ周辺の土が盛り上がった。そして――
「ふうう……。よく寝たぜぇ。――おう、お早うさん」
任侠臭漂う、凄まじくダンディーな顔つきの根菜が、土から這い出てきて死神ちゃん達に声をかけてきた。その後、根菜は何事も無かったかのようにスタスタと部屋から出て行った。そして、新たにボコッと飛び出した別の根菜が「
「なあ、思ったんだけど、畑泥棒が出たんじゃなくて、自分で勝手にいなくなったんじゃねえかな、これ……」
「ダンジョンの魔力が凄すぎて、進化しちゃったんですかね……」
「そんなあ! 今年こそは金賞とれると思ったのに! 帰って来てよ、私のマンドラゴラ!!」
死神ちゃんは幼女を装うのもすっかり忘れ、顔をしかめてボソリと呟いた。サーシャは口元を手で覆い隠すと硬直し、農婦はへにゃへにゃと座り込んだ。
「……もう、ダンジョン内を耕さないでくださいね。これに懲りたら」
サーシャがポツリとそう言うと、農婦はさめざめと泣きながら一階へと繋がる階段を登っていった。死神ちゃんは溜め息をつくと、サーシャに断りを入れて一足先に待機室へと帰っていったのだった。
――――なお、植わったままのマンドラゴラは、薬にするのもちょっと怖いので、サーシャさんが責任をもって焼却処分したとのことDEATH。