翌日、俺はサーシャから旅に何が必要であるか教わり買い物に行こうとしたものの、アマンダから止められてしまった。
「もう、動いては駄目ですよ、カミルさん」
厳しい口調で言われ、俺は内心苦笑を浮かべつつ彼女の言葉に従うしかなかった。
「ねえアマンダ。話があるんだけど」
彼女からお茶の入ったカップを受け取りながら言った。
「なんでしょう?」
答えながら彼女はベッドの横に置かれた椅子に腰かける。
俺は彼女の顔をじっと見つめて言った。
「俺はここを離れようと思う。ノエル……様の事を考えると俺はここにいない方がいいだろうと思って」
するとアマンダは目を丸くして俺を見た。
まあ驚くだろう。でも、そうなる可能性はずっとあった。
ノエルは何度も俺にアプローチをかけてきていたし、彼のオメガが妊娠してからいっそうひどくなった。そして、この間の出来事だ。
このままでは俺だけじゃなくアマンダ達にも何があるかわからない。
「あの……サーシャさんから話は伺いましたが……ノエル様に襲われた、んですよね」
声を潜めて言うアマンダの言葉に俺は頷く。
「サーシャさんが気絶されているカミルさんを抱きかかえていて、とりあえず診療所の方に運んでもらって、その時に身体を診ました。その時、その……腕や、身体に打撲痕がありましたし……」
そしてアマンダは顔を伏せる。
「まさかノエル様がそんなことまで……アルファであることは存じ上げていますけど、カミルさんはオメガではないですよね?」
そんなアマンダの言葉に俺はとりあえず頷く。
本当に俺はベータなのだろうか。
その根拠は何もない。オメガであれば十代後半までには発情期が訪れる。それで判明するのだが、もっと遅い場合もあるらしい。
まだ研究段階でありわかっていないことが多い。
だから俺が本当にベータなのか、ということについてなんの根拠も見いだせなかった。
あのノエルの執着心を見たら、俺はもしかしたら……
そんな可能性を思い、俺は手にもつマグカップをぎゅっと握る。
温かいお茶の入ったマグカップからは湯気が立ち上っている。
もし、俺が本当にオメガだとしたらノエルのそばにいるのはやはり危険だろう。本当に俺を愛人にしかねないし、もし、万が一俺に発情期が来たらきっと俺は逃げ切れないと思う。
ならば逃げるのは今の内だ。
「アマンダひとりでは大変かもしれないけど、能力には問題ないし大丈夫だと思う。ひとり看護師を雇うよ。お金もある程度渡すから君に診療所を託したい」
まっすぐにアマンダを見つめると、彼女は複雑な表情を見せた。
哀しみ、憂い、同情、怒り? 色んな感情が渦巻いているように見える。
「どうしてノエル様はカミルさんにあんなひどいことを……」
俺が、彼の運命だかららしいがそんなの俺には何の関係もない。
俺はそんな風に思わないし、勘弁してほしいと思うからだ。
俺は肩をすくめ、
「さあ」
と、短く答えた。
「ここにいたら、ノエルの行動はもっとひどいものになりそうだから。サーシャさんと一緒に旅に出ようと思う。俺の祖父である勇者一行の事を知るのも楽しそうだし」
それに、アルファとオメガについてもっと知りたい。他の国に行ったらもっと詳しい研究が進んでいるかもしれない。さまざまな国で、オメガバースの研究がなされているはずだし、ここにいたら他国の情報を得るのはなかなか難しい。
微笑み言うと、アマンダは悲しげに目を伏せそして、何度も頷きながら言った。
「そんな追い詰められるようなことになるなんて……」
追い詰められる、か。
確かにそうだな。
俺はただの医術師だ。
貴族に抗うことなどできないし、そんなことしたら社会的に死ぬだろう。
それなら逃げるしかない。
未練がないといえばうそになるが、幸い俺は医術師だ。
どこに行っても需要があるから金を稼ぐことはできるだろう。
それに、ひとりじゃない。
「サーシャさんも一緒だし、大丈夫だよアマンダ。準備もあるし少し先にはなるだろうけれど。看護師は俺の方で探すから診療所を頼むよ、アマンダ」
涙ぐむアマンダは、何度も頷きながら、
「わかり、ました」
と言った。
「私、まだ未熟ですけど……」
「大丈夫だよ、アマンダなら。せっかく医術師の学校を出ているんだしその力を生かさないともったいないよ」
まだ女性が働くことについて風当たりが強い。
アマンダが医術師になる、となったとき父親の反対にあったらしい。結婚が出来なくなるからと。
けれどきっと、時代は変わっていくだろう。
「そう、ですね。ここで働かせていただいて、ちょっと自信はつきました」
と、涙目でアマンダは笑いながら言った。
その次の日。
俺がノエルに襲われて四日が過ぎた日。
俺は買い物に出かけた。
医術師の学校に通うのにこの町を離れたことがあるから旅はしたことがある。だけど、あの時は目的があったから大して荷物もなかった。だけど今回は違う。
目的地もない旅。そんなのしたことがない。正直大丈夫なのか、そこはかとない不安がある。
そういう者を冒険者、と呼ぶらしいが、俺はそんなのしたことがない。きっと未知の国へと足を運ぶことになるだろう。勇者の道をたどるとなればいろんな国をめぐるはずだから。
俺はサーシャに教わった旅の道具を買いに、店へと向かった。
背負い袋、野宿する場合もあるから毛布、水筒、松明に火打石。携帯用のナイフに携帯食糧。
これを背負うのかと思うと気が滅入る。
そして医術師のギルドに看護師の募集を依頼をかける。
「あら、旅にでるんですか? それは寂しいですね」
ギルドの女性に言われ、俺は苦笑して頷く。
「ありがとうございます。なので、アマンダだけでは大変なので看護師をひとりお願いしたいのです」
「わかりました。なるべく早く見つけますね」
と言ってくれた。
そして夕暮れになり、サーシャがうちにやってきた。
「身体、大丈夫ですか?」
顔を合わせるなり心配げな顔でそう言われ、俺は頷き答えた。
「大丈夫ですよ。たぶん」
まだあざは治っていないが。ここを離れる、と決めたらいろいろと吹っ切れた。
「あの、ノエルさんは……」
「何もないですよ。伯爵からお詫びがあったくらいかな」
昨日、ノエルの父であるツェルガー伯爵の使者がやってきて、お詫びの手紙と慰謝料を置いていった。
手紙によると、伯爵としてもノエルが俺に執着するのに困っていたらしい。
伴侶が妊娠しているのにもかかわらず、他の男に執着するなどもってのほか、だと書かれていた。
通常、アルファであれば生涯の伴侶であるオメガにしか興味を示さなくなるはずなのに、とも書かれていた。
俺もそう聞いていたけれど、なぜノエルはあんなに俺に執着してきたのだろうか。
まだわからない、アルファの性質があるのかもしれない。
そのお金の一部はアマンダに診療所の運営資金として預け、受付のニルスにも旅に出ることを伝えた。
「そんなぁ……カミルさんは何も悪くないじゃないですか」
しょんぼりと言われたし、その通りではあるけれど仕方ないと思う。
俺が離れれば、ノエルの執着も薄れると思いたい。
旅に出る旨はツェルガー伯爵に手紙で伝え、家の片づけや準備に追われた。