その後、レオポルドを連れて応接室に移動したオズヴァルドとジョゼフは、ソファに座ってメイドに用意してもらった紅茶を飲んでいた。
オズヴァルドの左隣に座っているレオポルドは、紅茶に手を付けず、向かい合わせに座っているジョゼフを見ている。
オズヴァルドが、ティーカップをソーサーの上に置いたのを合図に、レオポルドは視線をオズヴァルドに向けた。
「……なあ、オズ。オレ、テオの部屋では邪魔しちゃ悪いと思って黙ってたけどさ。その……どげざ? してまで、ジョゼフ先生を脅迫する必要があったのか?」
『脅迫した』という言葉に、オズヴァルドは、グッと眉間にしわを寄せる。
「相変わらず無礼な奴だな、お前は。あれは脅迫ではなく、お願いだ。そこを間違えてもらっては困る」
「はあ? いやいや! あれは脅迫だろうが!」
「脅迫でもお願いでもどちらでも構いません。私は土下座に屈したのではなく、貴族の体裁をなげうってまで、テオ様のために行動したオズヴァルド様の想いに胸を打たれたのです」
崇拝に似たキラキラと輝く瞳を向けられ、オズヴァルドは、ハハハと苦笑いを浮かべる。そして、室内に漂う混沌とした空気を入れ替えるように、コホン! と大きく咳払いをした。
「――それで、ジョゼフ先生。テオが患っている、もうひとつの病名はなんなのですか?」
オズヴァルドの問いかけに、真剣な表情を浮かべたジョゼフは、
「……テオ様は、女性恐怖症の他に、幻覚症状を患っておられます」
と、言った。
「やはり、そうだったか……」と、オズヴァルドは、ギリッと奥歯を噛みしめる。
一人だけ話についていけていないレオポルドが、
「ちょっと、ちょっとぉ! なんだよ、その幻覚症状って! オレにも分かるように説明してくんないと!」
言って、ソファから腰を浮かせた。オズヴァルドはため息を吐いて、レオポルドの肩に手を置き、座り直させる。
「それを今から、ジョゼフ先生が説明してくださる。だからお前は、静かに、黙って、話を聞いていろ。……わかったな?」
「はぁ? なんだよその言い方はっ! お前、オレのことをなんだと思ってるんだ!?」
「それはもちろん――」
ごほん!!
と、咳払いが室内に響いて、オズヴァルドとレオポルドは、ピタッと口を閉じた。音の主――ジョゼフを見遣ると、先ほどの崇拝の瞳はどこへやら。スンと白けた様子を隠しもせず、いつもの感情の読めない表情で、二人を交互に見てきた。
「お二人の仲がよろしいのは十分拝見させていただきましたので、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか? 貴族の方に向かって失礼なことを申していることは重々承知ですが、私は無駄に時間を浪費するのが大嫌いなのです。ですから、私の貴重な時間をくだらないことで消費するのはやめてください」
言って、ジョゼフは、縁なし眼鏡を中指で押し上げる。その歯に衣着せぬ物言いに圧倒されてしまった、オズヴァルドとレオポルドは、肩を縮こませて口を閉じた。
静寂が戻ってきた室内に、ジョゼフの息を吸う音が、やけに大きく響いた。
「テオ様は幻覚症状を患っておられますが、それに病名を付けることはできませんでした」
「と、言うと?」と、オズヴァルドは、前のめりになる。
「幻覚症状がみられる精神疾患に、統合失調症というものがございます」
「とうごうしっちょうしょう……?」と、レオポルドは、首を横に傾けた。
「統合失調症という病気は、心や考えがまとまりづらくなってしまうのですが、テオ様にその兆候はみられません」
「確かに……」と、オズヴァルドは、顎先に指を添える。
「ジョゼフ先生の治療を受け始めてから、多少の抑うつ症状はあっても、笑顔を見せるようになって会話も増えました。……でも、だとしたら、何故テオは幻覚なんか見るんだ……?」
後半は独り言のように呟いて、オズヴァルドは親指の爪を、カリッと咬んだ。
「まれにですが、うつ症状と幻覚症状を併発する場合があります。残念ながら症例が少なく、何故幻覚症状が現れるのかは、解明されておりません。ですが、テオ様が幻覚を見る際は、必ず罪悪感や自分への罰を抱いたときだとおっしゃられていました」
「……罪悪感や罰?」
「なんでテオがそんなこと考えなきゃいけないんだよっ! 悪いのはカステリアーノ令嬢とオズのお兄さんだろ!?」
オルランドの話題が出たことで、オズヴァルドの胸が痛み、罪悪感にかられた。――そうだ。罪悪感や罰は、加害者が抱かなければならない。なのに何故、テオが苦しまなければいけない? どうにか助けることができないだろうか?
オズヴァルドが考え込んでいると、レオポルドが前のめりになって口を開いた。
「なあ、ジョゼフ先生。幻覚を治す方法はないのか?」
ジョゼフはため息を吐いて、縁なし眼鏡を中指で押し上げながら、ふるふると首を左右に振った。
「すでに薬物療法を試しましたが、効果は見られませんでした。カウンセリングも同じです。女性恐怖症と同じように、自分で克服するしかないでしょう。……苦しんでいる患者を救えないのは辛いですが、薬や他者の介入で治せない病も存在します。時が解決してくるのを待つしか……」
「そんな……」と、レオポルドは、悲痛な声で言った。
オズヴァルドも絶望的な気持ちだったが、その時ふと、レアンドロの言葉がよみがえる。
『シルティアーナの森』
初めて耳にする言葉だったが、何故か頭から離れない。
(……もしかしたら、テオを治す手掛かりになるかもしれない)
だが、カロリーナがテオを追い詰めてまで――勘違いではあったのだが――行くのを阻止しようとした場所だ。それはどこにある? と訊ねても、簡単には教えてもらえないだろう。それどころか、今度こそ、テオが監禁されてしまう恐れもある。……テオを溺愛するカロリーナなら、やりかねない。
オズヴァルドは、チラッとジョゼフを一瞥した。――ジョゼフは、シルティアーナの森について、何か知らないだろうか?
そう考えて、ふるふると首を左右に振った。
(万が一、ジョゼフからレアンドロ達に話が漏れては困る。……まずは、自分で調べてみることにしよう)
室内に重い沈黙が落ちる中、オズヴァルドはわずかな期待を込めて、テオを救ってみせると決意したのだった。