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第31話 盗み聞き

「――これは一体、どういうことですか? 今すぐに説明していただきたい!」


 レアンドロの呼び出しに応じて、急いで駆けつけてくれたジョゼフ・パンナム医師は、病状が後退してしまったテオの様子を見て怒りをあらわにした。


 テオが口を開こうとしたのを察して、レアンドロが右手を挙げて制した。反論しようとしたが、首を左右に振られ、頑なな態度を取られてしまう。仕方がないので、テオはしぶしぶ口を噤んだ。


 そのやり取りを黙って見ていたジョゼフは、俯いたまま身じろぎひとつしないカロリーナに視線を向け、縁なし眼鏡を中指でくいっと押し上げた。


「カロリーナ様。こうなった経緯をご説明いただけますか?」


 名指しされたカロリーナは、ビクッと肩を揺らしたあと、包帯の巻かれた右手を口元に当てた。――カロリーナのやけどは軽いもので、ジョゼフが来るまでの間、レアンドロが手当てを施していた。


「そ、その……わたくしは……」


 それだけを言って黙り込んでしまったカロリーナの代わりに、レアンドロがジョゼフにアイコンタクトをとった。それで意思疎通が取れたのだろう。ジョゼフは、往診用のカバンからカルテを取り出すと、携帯用の羽ペンを手に持って話を聞く準備を整えた。


「では、レアンドロ様。説明をお願いいたします」


「ああ。わかった。……実はテオに、外出の許可を求められてね」


 「外出ですか?」と、ジョゼフは、カルテにペンを走らせる。


「それで、お二人は外出を許可なさったのですか?」


「そうしようと思ったのだが、理由わけあって、キャリーが激しく拒否してしまってね」


 「その理由とは、」と、ジョゼフが口にした瞬間、レアンドロのまとう空気が変わった。それにテオが驚いていると、ジョゼフは咳払いをして、


「答えたくないのなら、無理に答える必要はありません」


 と、いつもの不愛想な感じを崩さず言った。「話の分かる相手で助かるよ」と、レアンドロは、いつもの鷹揚とした調子で答える。


「――それで、話を戻すのだが。テオの外出の希望を拒絶すると、今のような状態になってしまったのだよ」


「そういうことでしたか」


 ジョゼフは頷いてカルテから顔を上げた。


「おそらく、テオ様は強いストレスをお受けになったのでしょう」


 「ストレス……」と、カロリーナは、思いつめたように呟いた。


「テオ様は、まだ回復の初期段階でした。そこに強いストレスや不安を感じて一時的に病状が悪化したのだと思われます。数日、心穏やかにお過ごしになり、心身の回復に努めれば、笑顔を取り戻されるでしょう」


 それまで黙って話を聞いていたテオは、


「じゃあ、外出は諦めなければいけませんか? レオ達とピクニックに出掛けたかっただけなんです」


「残念ですが、数日はお控えになってください。ただ、体調や気分に合わせて、無理のない範囲で少しずつ外出の時間を延ばしていくことは可能です。まずは庭園の散歩から始められてはいかがでしょう?」


 「ていえん」と、テオは、声を震わせた。――その瞬間、周りの景色が色を失い、時間が停止する。そして、もはや嗅ぎなれてしまった百合の香りが室内に漂い始めた。


 身体をこわばらせたテオの首に、甘ったるい匂いをまとった生温かい腕が絡みついてくる。


「やめろ!!」


 叫んでソファから立ち上がったテオの耳に、「テ、テオ?」と、カロリーナの戸惑った声が聞こえてきた。テオは、ハッとして周囲を見渡す。普段、悠然としているレアンドロまで、驚いて目を見開いていた。


 焦ったテオが視線をさまよわせると、一人だけ平然と佇立ちょりつしたままの、ジョゼフと目が合った。切羽詰まった感情を目で訴える。すると、委細承知したといった風に、ジョゼフはこくりと頷いて見せた。


「――テオ様には休養が必要です。居室に戻っていただいてはいかがでしょうか?」


 ジョゼフの冷静な声音に、夢から目が覚めたような表情を浮かべたレアンドロは、


「……ああ。そうだね。それがいい。――テオ。部屋に戻って休んでいなさい」


 と言った。


 テオは従順に頷くと、


「では、そのようにします。――ジョゼフ先生、ありがとうございました」


「いいえ。私の本分ですから」


「兄上。……姉上も。失礼いたします」


 と言って、レアンドロの執務室から出た。人気のない廊下に出たことで、テオの肩から力が抜ける。ふぅと知らぬうちに詰めていた息を吐いて、重厚な執務室の扉に寄り掛かった。すると室内から、レアンドロたちの話し声が聞こえてきた。普段なら聞き耳を立てるようなことはしないが、その時は何故か妙に気になってしまい、テオは扉に背中を預けたまま耳を澄ませた。


『――キャリー。今回は下手を打ってしまったね』


『……はい。申し訳ございません。お兄様』


『なにもテオは、シルティアーナの森に行きたいと言ったわけじゃないだろう。なのに、あそこまで過剰反応するなんて、キャリーらしくない』


『はい。お兄様のおっしゃるとおりですわ』


(シルティアーナの森?)


 テオはもう少しよく聞こうと扉に耳を当てようとして――カタン! と音を立ててしまった。


『――誰だい?』


 レアンドロの鋭い声が鼓膜に突き刺さり、テオは焦って扉から後退する。中から人が近づいてくる気配がして、できるだけ足音を立てないように、急いで扉の前から離れた。


 テオは自室ではなく、レオポルドとオズヴァルドが待つ談話室へ向かいながら、脳内でレアンドロの声を再生する。


『シルティアーナの森』


 シルティアーナとは、ここ木の国ディエボルンを守護する、木の女神の名前だ。古代、創世神がペダグラルファ大陸を創った際、無知だった人間たちに植物の種を与え、その育て方を教えたとされる一柱である。そして開花の女神とされ、ディエボルンでは春に花祭りが開かれたり、沼地の周辺で崇拝されて、植物の成長を司った。別名――愛の女神、とも呼ばれている。


 テオが有するギフトのうちのひとつ、『花を綺麗に咲かせプリマヴェラる能力』は、女神シルティアーナから授けられたものだった。


「シルティアーナの森……そこに何かあるのか……?」


 ――もしかしたら、以前カロリーナが話題に挙げた『神の愛し子エフィーリア』と関係があるのかもしれない。


 テオは持続的なめまいがする状態で、壁伝いに歩き、談話室へと急いだのだった。

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