三人でピクニックの計画を立てたあと、テオは一人談話室を後にし、レアンドロとカロリーナのいる執務室へ向かった。
テオは見た目こそ変わりない――多少、痩せてしまっている――が、医師の治療を受けている、れっきとした病人だ。それゆえ、外出するには、二人の許可を得なければならない。
談話室は屋敷の二階に、執務室は一階にあった。テオは手すりに手を置きながら、えんじ色のカーペットが敷いてある、かね折り階段を下りていく。そうして階段の中腹にさしかかったとき、図書室の方から、数冊の本を抱えたカロリーナが姿を現した。
「! 姉上!」と、テオは、残りの階段を駆け下りる。「あら、テオ。どうしましたの?」と、カロリーナは立ち止まり、ふわりと優しい微笑みを浮かべた。
「ちょうど、姉上と兄上にお会いしようと、執務室に向かう途中だったんです」
「そうだったの? わたくしは、この資料を持って、執務室に戻るところよ」
「俺もご一緒してもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ。大歓迎だわ」
そう言って、花が咲くように笑ったカロリーナにつられ、テオも自然と笑顔になる。
「その資料、随分と重そうですね。俺が持ちますよ。貸してください」
「あら。よろしいの? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
言いながら、カロリーナが手渡してきたのは、たった二冊の薄い本だった。カロリーナといえば、今にも折れてしまいそうな細腕で、分厚くて重そうな本を三冊も抱えている。
それを不服に思ったテオは、
「……姉上。配分を間違えていませんか? どう考えても、俺がそちらの本を持つべきだと思うのですが」
と、唇を尖らせた。するとカロリーナは、ふふっといたずらっぽく笑って、
「あら、テオったら。もしかして、拗ねてしまったの?」
と言った。「……拗ねていません」と、テオは、嘘をつく。が、カロリーナにはすべてお見通しならしく、「嘘ばっかり」と笑われてしまう。
「……姉上は、俺のことを幼い子供だと思ってらっしゃる」
「事実そうじゃない」
「違います! 俺はもう、十七歳ですよ? それに鍛えてますから、重い本だって持てます!」
「はいはい、そうですわね。でも今は病人なのだから、無理は禁物よ。――さっ、そろそろ行きましょうか。お兄様がお待ちになっているわ」
本を抱え直し、カロリーナは姿勢よく歩き出した。
「あっ! お待ちください、姉上っ」
テオは手元の本とカロリーナの背中を交互に見たあと、
「……姉上には勝てませんね」
と肩をすくめて、真っ直ぐに伸びた背中を追いかけたのだった。
――アルバーニ邸、執務室前。
執務室の前に到着したカロリーナとテオは、タイミングよく部屋から出てきた侍従長と入れ替わりに、執務室の扉をくぐった。
久しぶりに入ったレアンドロの執務室は、インクと古い紙の匂いが漂っていて、テオは懐かしさと安心感を覚える。室内を軽く見回して、執務机に目を留めると、大量の書類が整然と積みあがっていた。几帳面さが垣間見え、実にレアンドロらしいなと思う。
「お兄様。ただいま戻りましたわ」
重い本を脇に抱えて、器用にカーテシーをするカロリーナだったが、レアンドロは書類から顔を上げるそぶりも見せない。そのことに驚いたテオだったが、二人にとっては当たり前のことなのか、カロリーナは特に気にしていなさそうだった。
「おかえり、キャリー。随分と遅かったね?」
と言って、レアンドロは、手を休めることなく羽ペンを走らせる。
カロリーナは、テオから受け取った本と自分が持つ本を重ねて、執務机の天板の上に平積みした。
「申し訳ありません。図書室から戻ってくる途中で、テオに会いましたの。それで立ち話をしておりましたら、このような時間に」
胸元に右手を当てて、ペコッと頭を下げたカロリーナの姿を見て、テオは焦って口を開いた。
「兄上。俺が悪いんです。お二人の仕事を妨げてしまって、申し訳ありません」
テオが頭を下げると、レアンドロは、ようやく書類から顔を上げた。
「おや。テオじゃないか。
核心を突かれて、ドキッとしたテオは、
「……さすが、兄上は勘が鋭くていらっしゃる」
と言った。「はははっ。ほめても何も出ないぞ?」と、レアンドロは
「そろそろ休憩しようと思っていたところだったのだよ。立ち話もなんだから、座って話を聞こうじゃないか」
言って、レアンドロは席を立つ。
「では、わたくしはお茶を……」
部屋の隅に備え付けてあるミニキッチンへ向かったカロリーナに、テオは焦って声をかけた。
「あっ、姉上! お気遣いなさらないでくださいっ」
しかし、カロリーナの両手には、すでに茶葉の入った缶が握られていた。そして振り返ることなく、
「あら。わたくしが飲みたいのよ。テオとお兄様は、そのついでですわ」
と言った。
カロリーナの言葉を聞いて、プッと吹き出したレアンドロは、応接用の一人掛けのソファに座った。長い足を組み、絡めた両手を膝の上にのせる。
「テオがいるからキャリーの機嫌がいい。おかげで、おいしい紅茶を飲むことができる。ありがとう、テオ」
「そんな……俺は何もっ」
――本当に何もしていないのに。
だが、世界で一番尊敬する兄に礼を言われたことは、正直なところ嬉しかった。
「さあ。テオも座りなさい」
「はい。失礼します」と、テオは、二人掛けのソファに腰を下ろした。
テオが座ったのを見計らって、レアンドロは、
「ところで、体調はどうだい? よく食べて、しっかり睡眠をとっているかい?」
と訊ねてくる。まるで医師の問診のようだなと思いながら、テオは、
「食欲がわかなくてあまり食べられていませんが、悪夢を見なくなったので、前よりもよく眠れています」
「そうかい。睡眠がとれているのはいいことだね」
「――お兄様もテオを見習ってはいかがです?」
淹れたての紅茶をトレーに載せて、カロリーナはため息をついた。「おっと。耳が痛いね」と、レアンドロは、眉尻を下げる。「お兄様。茶化さないでくださいな。わたくしは本気で心配していますのよ?」と、カロリーナは小言を言いながら、センターテーブルの上にティーカップを置いていく。
レアンドロは鷹揚に笑って、「善処するよ」と答えて、ティーカップに手を伸ばした。「もう。お兄様ったら」と、カロリーナは頬を膨らませて、テオの隣に座った。
「まあ、その話は一旦置いておいて。テオ。話を聞かせてくれるかい?」
そう言って、レアンドロは、紅茶を一口飲んだ。