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第27話 ゆらゆらと

「――よし。こんなものかな?」


 テオは額に滲んだ汗を手の甲で拭い、達成感でいっぱいの息を吐いた。それから、治療のためにまくっていた、レオポルドの袖を正してやる。


「ありがとな! テオ」


 言って、レオポルドは、太陽のような笑顔を浮かべた。「どういたしまして」と、テオは微笑みを返して、治療道具を簡単に片づける。ようやくひと段落したと思い、ふぅとソファの背もたれにもたれかかると、テーブルの上からティーカップを持ち上げた。冷めてしまった紅茶を、こくりこくりと嚥下えんげして、カップをソーサーに戻す。その瞬間を見計らっていたのか、はぁとため息が聞こえ、テオは自分の真正面――オズヴァルドに視線を向けた。


「やっと終わったか。……テオ。お前は仮にも聖騎士見習いだろう? 処置の手際が悪すぎる。時間がかかりすぎだ」


「……返す言葉もないな。待たせて悪かった」


「フン。まあいい。元はといえば、間抜けにも傷を負ったレオが悪いんだからな」


「はあ? オレのせいかよ! ていうか、その嫌みったらしい言い方! いい加減、なんとかならないのか?」


 ビシィ! と指を指されたオズヴァルドは、不愉快そうに眉根を寄せながら、はて? といった風に首をかたむけた。


「いったい何を言っている?」


「それはこっちが聞きたいっての! お前も一度、ジョゼフ先生に診てもらったほうがいいんじゃないか?」


「は? なんでボクが……」


 「だぁ~かぁ~らぁ~!」と、レオポルドは、テオが正したばかりの袖をまくり上げていく。一触即発の雰囲気に、テオは焦って止めにかかった。――また傷を負われたのでは、たまったものではない。


「まっ、まあまあ。落ち着けよ、レオ。オズは昔からだから」


「それは分かってるけどさあ!」


 納得がいかない様子で、さらに続けようとしたレオポルドの唇に、テオは右手の人差し指を当てた。


 ビクッと身体を揺らしたレオポルドは、一瞬だけ寄り目になって指を一瞥し、いで頬を赤く染める。レオポルドの新緑の瞳と、テオの赤い瞳の視線が交わった。


「しーっ。いいから落ち着け、って。な?」


 レオポルドは、壊れた振り子人形のように、こくこくと何度も頷く。それに満足したテオは、にこっと笑ったあと、レオポルドの唇から指を離した。――これで一件落着。そう思っていると、横顔に鋭い視線が突き刺さるのを感じた。


「なんだ? オズ」


 テオは、少しだけ緊張しながら訊ねる。するとオズヴァルドは、


「……別に」


 と言って、フイッと顔をそらしてしまった。


 らしくなく煮え切らない態度のオズヴァルドを見て、テオはキョトンとしたあと、珍しいこともあるものだと苦笑する。すると、隣から「ププッ」とわざとらしく笑う声がして、レオポルドに視線を移した。「レオ? どうした?」と、テオは首を傾ける。


「オズのやつ。オレに嫉妬してるんだよ」


「嫉妬?」


 クックッと含み笑うレオポルドから視線を外すと、テオは体ごとオズヴァルドの方に向き直った。それから、じーっと、オズヴァルドの蒼穹の瞳を見つめてみる。


「……なんだ?」


 しかし、いつもの澄ました顔や怜悧れいりな瞳から、『嫉妬』の感情を読み取ることはできない。そのことにテオはがっかりしたあと、ハッとして、ふるふると左右に首を振った。――何を残念に思ってるんだ、俺は!


「? どうした? テオ」


 横からテオの顔をのぞき込んできたレオポルドに、「なんでもない」と笑って見せる。


 しかしレオポルドは、納得のいかない表情で、テオを見つめ続けた。


「本当に、なんでも、ないから!」


「いてっ」


 グキッと音がしそうなくらい少々乱暴に、レオポルドの顔を押しのける。「いてて……」と、レオポルドは、寝違えた時のように首筋をさすった。


「――ところで、テオ。体調は安定しているのか?」


 と言って、オズヴァルドは、ソーサーごとティーカップを持ち上げた。


 唐突な質問に、テオは一拍おいて、


「最近は安定してる」


 と答えた。「そうか」と、オズヴァルドは紅茶を一口飲むと、ソーサーにティーカップを戻してから、しばらくの間、何かを考えこむように視線をテーブルの上に落とした。


「……オズ?」


 テオが首を傾けると、レオポルドが肩に腕を回してくる。


「なんだよ、オズ。もったいぶらないで、さっさと言えよな~。なぁ、テオもそう思うだろ?」


「えっ? あ、ああ……」


 自然と距離が近くなり、心臓がドキッと跳ねた。レオポルドとオズヴァルドの間で、テオの心はゆらゆらと揺れる。それはまるで、糸が切れた洋凧カイトのようだった。


(何を考えているんだ、俺は! レオはただの友達だろう! オズだって……!)


 ……オズだって?


 喉に魚の小骨が刺さったときのような違和感を感じ、テオは喉仏のあたりを指先でさわる。その正体を確かめようとした瞬間、コトッと陶器と木材が触れ合う音がして、そちらに意識を持っていかれた。


 テーブルの上にソーサーを置いたオズヴァルドは、長い足を優雅に組んで、絡ませた両手を置いた。


「別にもったいぶっているわけじゃない。以前、馬の話をしただろう? テオ。お前が触りたいと言っていた、ボク達が乗ってきた聖騎士養成所の馬のことだ」


「ああ、覚えてる。それがどうしたんだ?」


「アルバーニ家の馬丁ばていは優秀で、馬たちの世話をよくやってくれている。だが、あれらは軍馬だ。たまには長距離を走らせてやらなければ、ストレスが溜まる一方だろう。それに、見事な筋肉や体力が落ちてしまっては、馬にも養成所にも申し訳が立たない」


 「じゃあ、どうするっていうんだ?」と、レオポルドは、テオの頭に自分の頭をのせた。「……おい。近すぎるぞ」と、オズヴァルドは低い声を出す。眉間にしわを寄せたオズヴァルドに、レオポルドは、


「何言ってんの? これがオレとテオのさ。なっ! テオ?」


 と同意を求めてきた。「……まあ。寮の部屋では、大体このくらいの距離感だったな」と、テオは、遠い昔の思い出を話すような気分で答える。「ほら~~! オレの勝ちぃ~~!」と、レオポルドは、テオの肩をグイッと引き寄せた。


「……フン。何が『勝ち』だ。馬鹿馬鹿しい」


 心底どうでもよさそうに言い放ったオズヴァルドは、中身の少なくなったティーカップを手に取り、喉を鳴らして飲み干した。――らしくない。


 テオは、いつもと様子の違うオズヴァルドを眺めながら、レオポルドの腕の中から抜け出した。「あっ! テオ~~」と、レオポルドは情けない声を上げるが、無視をする。


 オズヴァルドがそうしたように、テオもオズヴァルドがティーカップを手放す瞬間を待って、


「何か良い案でもあるのか?」


 と訊ねた。するとオズヴァルドは、いたずらを思いついた子どものように、透き通った青い瞳を輝かせたのだった。

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