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第26話 打ち勝つ

 ――アルバーニ邸、談話室。


 もはや、三人の部屋と化しているこの部屋に、レオポルドのうめき声が響いていた。


「うぅ……痛い……オズのヤツ、本気出しやがって。冗談の通じない男はモテないんだからな……」


「おい。全部聞こえているぞ。ボクが同じ部屋にいることを忘れているのか? 大した鳥頭だな」


「聞こえるようにわざと言ってんだよっ!」


 決闘でボロボロの姿になったオズヴァルドとレオポルドだったが、身体のあちこちに擦り傷や切り傷を作ってテオの処置を受けているのは、レオポルドだけだった。


 テオがレオポルドの腕に包帯を巻いていると、レオポルドはオズヴァルドに向かって、フン! と鼻を鳴らした。


「……ちゃっかり自分だけ治癒魔法で治療しちゃってさ。オズより、オレの方が重症だってーのに、お前には人の心がないのかよ?」


 レオポルドは唇を尖らせて文句を言う。


 ――レオポルドが『魅了』の力を使えるように、オズヴァルドも『治癒』の力を使うことができた。ただし切り傷や擦り傷、打撲などの軽症に限ってのことで、骨折や内蔵損傷、欠損部の再生はできない。


 むくれるレオポルドの姿を、チラッと一瞥したオズヴァルドは、顎をしゃくってテオを指し示した。


「ボクが治癒しないお陰で、お前はテオのつたない処置を受けることができているんだ。礼を言われるならまだしも、文句を言われる筋合いはない」


(つ、つたない……)


「オズ……お前なぁ……まーたそうやって憎まれ口を……」


「憎まれ口?」


 そんなもの、全く身に覚えがないといった風に、首をかたむけるオズヴァルド。


 「……無自覚嫌味鈍感野郎」と、レオポルドは、呆れを含んだため息を吐いた。


 黙って二人の話を聞いていたテオは、四苦八苦と動かしていた手を止めて、しゅんと肩を落としてみせる。


「……もしかして、レオは、俺に手当てされるのが嫌なのか?」


「へっ?」


「……まあ、嫌がられても仕方がないよな。俺って昔から手先が不器用だから、処置に時間がかかってしまうし、無駄に痛い思いをさせてしまって……」


「そっ、そんなことないよ!」


 と言って、レオポルドは半身を横に向け、テオの両手をぎゅっと握った。


 「……本当か?」と、テオが上目遣いで訊ねると、かあっと顔を赤くしたレオポルドは、ブンブンと勢いよく首を縦に振った。


「そうか。……だったら良かった」


 テオは安堵のため息を吐く。


 色恋に鈍いテオでも、流石にもう気づいていた。――レオポルドはテオに恋をしている、と。


 思い返せばレオポルドは、いつも言葉や行動で好意をアピールしてくれていた。今も、視線や表情、握られた手の熱さから『好き』の気持ちを感じる取ることができる。それに対して、不快感や嫌悪感はいっさい感じない。が、嬉しいかと問われると首をかしげるしかない。


 以前のまともなテオならともかく、精神的に不安定で無様な姿を見せてしまってからも、以前と変わらす好意を寄せてくれていて、とても有り難いと思う。――ただ、それだけだ。


 相手は大切な親友のレオポルドだ。だからこそ、中途半端な気持ちで接するわけにはいかない。期待させるようなことはすべきではない。なのにレオポルドからの好意を受け入れることも、突っぱねることもできずに、のらりくらりと交わしてしまっていた。


『逃げの天才。テオ・ド・アルバーニ』


 全くもって嬉しくない、騎士として不名誉な二つ名。それは、テオの能力である『回避』を揶揄やゆったものだった。


 ――まあ、この特殊能力のお陰で、すんなりと聖騎士養成所に入学することができたのだから、感謝すべきなのかも知れない。


「……よし。あともう少しだな」


 レオポルドの手当てを再開しようとした時、視線を感じて顔を上げた。こちらをじっと見つめるオズヴァルドと視線が交わり、テオの心臓がドキンと跳ねる。テオは、とっさに視線を外して、緊張しながら口を開いた。


「オ、オズ? どうかした――」


「……お前は、いつも逃げてばかりだな」


 オズヴァルドは、責めるようにため息を吐いた。


『逃げてばかり』


 オズヴァルドが言い放った言葉は的を得ていた。テオは自身の惰性を見抜かれたことに驚き、羞恥心から頬に熱が集まるのを感じる。――先程までの感謝の気持ちは、遠く彼方へ消え去ってしまった。


『アハハハッ! テオ様ってば、痛いところを突かれちゃったね?』


 甲高い笑い声のあとに、最近はほぼ嗅ぐことがなかった甘ったるい百合の香りが、テオの鼻腔を刺激した。それから、目に映るもの全てがモノクロに変わり、レオポルドとオズヴァルドの動きが停止する。


「クラーラ、か?」


 ベルベット製のカーテンの裏から、ひょこっと現れたクラーラ幻影は、夜会で着るような薄ピンク色の華やかなドレス――不思議なことに、クラーラとテオだけ色がある――を身にまとっていた。


 テオは不快感に眉根を寄せる。


「……随分と、楽しそうだな。クラーラ」


「ええ、とーっても! これもぜーんぶ! テオ様のおかげですわ」


 クラーラはアハハと笑って、部屋の中をくるくると回りながら移動すると、テオの目の前にふわりと躍り出た。


「だって、テオ様ってば、相変わらず可哀想で……とぉーっても惨めなんだもの! ……アハッ、アハハハハッ」


 クラーラは、涙をふき取る動きを見せながら、これ以上は耐えられないといった風に笑い出した。クラーラの一人芝居を黙って眺めていたテオだったが、笑い転げるクラーラにつられるように、プハッと吹き出してしまう。


「……ちょっと、テオ様。どうしてテオ様が笑うのよ?」


 テオは口元に右手の甲を当て、クックッと笑いを咬み殺しながら、


「俺がいないと存在できない、たかが幻影のくせに、随分と楽しそうに喋っているなぁと思って?」


「っ、」


 クラーラは目を見開いたあと、テオを睨みつけ、頬を膨らませてスゥッと姿を消した。と、同時に、一瞬で景色が色を取り戻す。


「――テオ? どうした?」


 オズヴァルドに問われ、テオはふるふると首を左右に振って、「なんでもない」と微笑んだ。――羞恥心は消え失せ、心は不思議なほどに凪いでいた。


 テオは初めて、幻影の術中から、自力で抜け出すことに成功したのだった。


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