レアンドロの来訪の翌日、午後からジョゼフの診察を受けた。ジョゼフは確かに表情が乏しかったが、知的さを感じる灰色の瞳には好奇や嫌悪の感情は浮かんでおらず、テオは素直に質問に答えることができた。
まずは薬物療法から始めるらしく、食欲を促す薬と消化を助ける薬を処方してもらい、食生活を整えることになった。睡眠不足は心身に悪影響を及ぼすらしく、始めは効き目が緩やかな睡眠薬から試していくことにした。あとは精神安定剤と、幻覚症状を軽くする薬を処方してもらった。――幻覚については、ジョゼフを信用して、彼だけに話した。
「誰にも知られたくないんです」
と伝えると、守秘義務があるので他言はしないとハッキリ答えてくれ、テオは心から安心した。
ジョゼフから、「薬の副作用が出るかもしれません」と言われていたとおり、軽い吐き気やめまいがしたが、数日でおさまった。他にも微々たる副作用を感じはしたが、それよりも服薬による病状の改善が著しかったので、このまま様子を見ていくことになった。
うつ症状は軽いものだったが特に朝が辛く、今は無理をせずに、午前中はゆったりと過ごして昼から活動することにした。そうして一週間ばかりが過ぎた頃、適度な有酸素運動のために無駄に広い邸の中を歩いていると、騎士団の演練場から剣のぶつかり合う音が聞こえ、自然とそちらに足が向いた。
そこには、パイレーツ・ブラウスとコルセール・パンツ姿をした、オズヴァルドとレオポルドがいた。オズヴァルドはサーベルを手に持ち、レオポルドはカットラスを手に素早い剣戟を繰り出している。二人は聖騎士養成所で好成績を収める程の実力者だ。
しかしいつも勝つのはオズヴァルドの方で、今回も防戦一方だったオズヴァルドの鋭い一撃で、レオポルドのカットラスが弾き飛ばされた。くるくると宙を舞ったカットラスの剣先が地面に突き刺さる。レオポルドは、チッと舌打ちをすると、バタッと地面に寝転がった。大の字になり、「あ〜〜! くやしいぃぃ〜〜!」と、手足をばたつかせるレオポルドの姿を、オズヴァルドは呆れたような表情で見下ろしていた。
「オズ! レオ!」
テオは口の横に手を当てて、二人に向かって大きく手を振った。テオの姿に気づいた二人はそれぞれの剣を鞘に収めると、レオポルドは走って、オズヴァルドは歩いてこちらに近づいてくる。
「テオ〜〜! おーはよっ! 今日の調子はどうだ?」
「おはよう! ……っていうか、もうすぐお昼だけどな」
「いーんだよ、細かいことはっ。で? 体調は?」
「うーん……まあまあ、って感じかな」
テオが正直に答えると、レオポルドは「そっかー」と言って、ニッと白い歯を見せて笑った。
「最悪よりは断然マシだな」
と言って、オズヴァルドは、いつの間にか調達してきたタオルで首筋の汗を拭きながら歩いてきた。
「おっ、来たか、オズ」
「ほら、お前の分だ。レオ」と、オズヴァルドはレオポルドに向かって、白いタオルを放り投げた。それを危なげなくキャッチしたレオポルドは、「あんがとー」と言って、タオルを首元に当てた。
テオは渡り廊下で
テオより白いオズヴァルドの肌は、運動したあとのせいかほんのりと赤みを帯びていて、鎖骨のくぼみに溜まった汗が花の蜜のように甘美に映った。そして、健康的な小麦色の肌をしたレオポルドは、ブラウスを脱いで汗を拭きはじめた。筋肉と脂肪のバランスがとれた、芸術的に美しく割れた腹筋に、思わずうっとりと魅入ってしまう。
「――な! テオもそう思うだろ?」
レオポルドに元気よく話を振られ、ハッと我に返ったテオは、話を聞いていなかったにもかかわらず勢いで頷いてしまった。
――やってしまった。
そう思ったが、時すでに遅し。テオを置き去りにして、会話はどんどん広がっていく。――どうやら、どこかに出掛けよう、という話をしていたようだ。
「じゃあ、詳しい話は昼食後にしよーぜ!」
「そうだな。先に
「じゃあ、湯浴みをしてこいよ。タオルで拭いただけじゃあ、気持ちが悪いだろう? 今、メイドを呼ぶから――」
と喋っていたテオの顔に、フッと影がかかった。「えっ?」と、テオが顔を上げると、鼻先が触れ合いそうな位置に、レオポルドの端正な顔があった。陰になって濃さを増した翡翠色の瞳にじっとみつめられ、テオの心臓がドキドキと高鳴る。
「ど……どうした? レオ」
こちらの動揺を悟られないように努めて冷静に振る舞うと、レオポルドはフッと微笑んで、汗がつたう
「オレ、そんなに臭うかな? 臭ってみてよ、テオ」
「えっ!」と、テオが顔を紅潮させると、レオポルドの脳天にオズヴァルドの手刀が落とされた。それは見た目よりも力強かったらしく、
「いっっってぇ〜〜!!」
と言って、レオポルドは頭を押さえてうずくまる。
「だっ、大丈夫か? レオ!」
うるうると瞳を潤ませながら、痛がっているレオポルドの前に片膝をつくと、頭上から、フン! と鼻を鳴らす音が降ってきた。テオがレオポルドの頭を擦ってやると、
「テオ。お前はこの馬鹿を甘やかし過ぎだ。――ボクは先に行く。じゃあな」
と言いながら、踵を返して邸の中へと消えていった。その軌跡をポカーンと見つめたままでいると、テオの手が離れた隙に、レオポルドがバッと勢いよく立ち上がった。
「誰が『馬鹿』だっ! おい! 言い逃げすんなっ! このむっつりスケベ〜〜!」
と叫んで、レオポルドはオズヴァルドの後を追いかけて行った。
「む、むっつりスケベ……」
自分が言われたわけではないのに、急に恥ずかしくなったテオが両手で頬を押さえていると――
『ウフフッ! ようやく自覚してきたみたいだね?』
百合の甘ったるい香りにのって、舌っ足らずなクラーラの声が耳元で聞こえた。テオは右耳を押さえて辺りを見渡したが、クラーラの姿は見えず、ただ百合の香りだけが鼻先に残ったのだった。