病気に対して素人である自分たちが、解決策を講じることはできないという話になり、オズヴァルド達はアルバーニ家専属の医師を呼び出した。
前アルバーニ伯爵が存命の頃から仕えているという老医師は、つい最近、医術の発達している
「この者は私の弟子のジョゼフと申します」
「ジョゼフ・パンナムと申します。若輩者ではございますが、お見知りおきください」
ミルクティー色の長髪を首の後ろで一つにくくり、縁無しの眼鏡をかけた表情の乏しい青年は、礼儀正しくお辞儀をしてみせた。
鷹揚に頷いたレアンドロは、早速テオの状態について説明した。
ジョゼフは、レアンドロの言葉を熱心にカルテに記入する。そして時々、「お食事は摂られていますか?」「睡眠は十分にとれていますか?」などと質問をした。
しかし、やはりテオ本人でないと答えられない質問が多く、ジョゼフはテオへの面会を求めた。
「ジョゼフ、とおっしゃったかしら? テオは深く傷ついていて、今はまだあなたに会わせることはできそうにないの」
「では、いつからならお会いできますか? 明日ですか? それとも明後日?」
「それは……」
カロリーナに臆することなく、淡々とした口調で問い詰めていくジョゼフに、レオポルドは戦慄する。
「……あの人、お姉さんにあんな態度を取って大丈夫なのか?」
コソッと隣に座るオズヴァルドに耳打ちした時、ジョゼフが盛大なため息をついた。驚いて視線を移すと、流石のカロリーナも目を丸くしており、オズヴァルドは冷や汗をかく。
ジョゼフは中指で、クイッと眼鏡の位置を正すと、この場にいる全員の顔を見回した。
「――皆様がテオ様のことを大切に想われているということは十分に理解できました。しかし、本当にテオ様の為を思うなら、部屋に閉じこもっていらっしゃるのを静観していてはいけません」
ジョゼフの言葉を聞いて、レアンドロは組んでいた足を解き、膝に両肘をついて手を組んだ。
「と、いうと?」
値踏みするかのようなレアンドロの視線に怯むことなく、ジョゼフは神経質そうな薄い唇を開いた。
「いいですか? 女性恐怖症の治療には、薬物療法、心理療法、トラウマ処理などがあります。それに加えて、生活習慣や食事の見直しも必要になってきます。しかし一番大事なのは、テオ様本人が、不安を抱えながらでもご自身の意思で行動なさることです。患者自身が『治そうとしない』のに、私たち医師がいくら治療を施しても、期待した効果は得られません」
「それは……確かに。ジョゼフ医師のおっしゃるとおりだね」
「お兄様……っ!」
納得がいかないのか、カロリーナは手に持っていた閉じた扇を、メリメリッと音がするほど強く握りしめた。今にも折れてしまいそうな扇。それが一瞬、ジョゼフの首と重なって見えて、レオポルドは恐れおののいた。
しかし、レオポルドが面会してきたテオは、本当に不調そうだったのだ。病名が風邪ならば直ちに診察を受けさせるべきだろう。けれど、テオが患っているのは心の病だ。今日一日くらい、ゆっくりさせてやってもいいのではないだろうか?
「あの〜〜、ちょっといいっすか?」
不穏な空気が漂う中、レオポルドは恐る恐る右手を挙手して、たった今さっきまで考えていたことを話した。するとジョゼフは、「なるほど、そうでしたか」と言って、あっさりと頷いてみせた。
「レオポルド様のおっしゃるとおり、本日は無理に診察するのは避けたほうが良さそうですね。レオポルド様。教えてくださってありがとうございました」
そう言って、ジョゼフはペコリと頭を下げる。
「いやいや」と、レオポルドは苦笑いをしながら、胸の前で右手を振った。三方向から、じ〜っと視線を感じて、レオポルドはダラダラと冷や汗を流す。
「……な、なんですか、皆して」
「いや……別に」
「あなたってまともなことが言えますのね」
「助かったよ。レオポルド君」
三者三様の反応を返され、居心地の悪い思いをしたレオポルドであった。
「――それでは、診察は後日ということでよろしいでしょうか?」
老医師に問われ、レアンドロはコクリと首肯した。
「近日中には連絡するよ。――その時はよろしく頼むよ、ジョゼフ君」
「ご期待に添えるよう尽力いたします」
と言って、ジョゼフは礼儀正しく頭を下げた。そして、老医師とジョゼフはメイドに連れられて退室していった。それを見届けたあと、レアンドロが杖を持って立ち上がる。
「それでは、私とキャリーは仕事に戻るとするよ。今日は実のある時間を過ごせてよかった。特にレオポルド君には感謝しているよ。どうもありがとう」
「い、いえ! お役に立てて良かったです……!」
左手で茜色の髪の毛をワシワシしながら、レオポルドは、照れを隠すように視線を足元に向けた。頭上からフッと笑う声が聞こえて、レオポルドが視線を上げた時には、レアンドロはこちらに背を向けて扉へと向かっていた。
「それでは、わたくしも失礼いたしますわ」
カロリーナは相変わらずツンとした態度で言うと、優雅に席を立って、レアンドロと共に退室していった。
パタン、と談話室の扉が閉まると同時に、レオポルドは大きなため息を吐きながらソファの背もたれに寄りかかった。
「あ〜〜、めちゃくちゃ緊張した〜〜」
と言って、背もたれに背を預けたまま、ズルズルと身体をすべらせていく。フゥ、と額の汗を手の甲で拭い取ると、「お手柄だったな」と声をかけられた。
レオポルドは、アルバーニ邸に来るまで犬猿の仲だったはずのオズヴァルドを、じぃ〜っと見つめた。その視線を煩わしそうに一瞥したあと、オズヴァルドはフイッと窓際のチェスボードに視線を移した。つられてレオポルドもチェスボードを眺める。
「テオ、チェス好きだもんな。またすぐに、一緒に対戦できるといーな」
「……ああ、そうだな」
オズヴァルドと一緒に、しんみりした気持ちになりながら、今も一人で部屋にいるはずの親友の身を案じたのであった。