レオポルドがテオと話した内容を説明し、オズヴァルドが『テオは男性が恋愛対象かもしれない』と話すと、室内には重々しい静寂が落ちた。そして、その静寂を破ったのは、意外にもカロリーナの泣き叫ぶ声だった。
「……クラーラ、あの女狐……! 今すぐ殺してやるわ……!!」
そう言って、勢いよく立ち上がったカロリーナの手首を、レアンドロが無言で捕まえる。カロリーナは歯を食いしばって、涙を流しながら拘束から逃れようとしたが、当然ながらレアンドロの力の方が
「離してっ! お兄様、離してちょうだい!」
「駄目だ。……座りなさい。キャリー」
「うっ……うぅ……!」
カロリーナは目蓋を強く閉じ、ポロポロと大粒の涙を流しながら、その場に膝から崩折れた。
その姿を見たレオポルドはソファから腰を浮かし、オズヴァルドがテーブルを回って立ち上がらせようと手を伸ばしたが、カロリーナは嗚咽をもらしながら助けを拒んだ。それからヨロヨロと一人で立ち上がると、片手で顔を押さえ、ドサッとソファに倒れ込んだ。
「ごめんなさい、テオ……わたくしが間違っていたわ……許してちょうだい……」
「キャリー……」
幼馴染のカロリーナが泣く姿――それも、声を上げて泣き崩れる姿を初めて目の当たりにしたオズヴァルドは、酷く動揺してしまう。泣き続けるカロリーナの側で片膝をつき、慰めようと右手を前に出したが、うろうろと彷徨わせただけに終わった。
オズヴァルドは、カロリーナ一人慰めることができない自分に不甲斐なさを覚え、右手を強く強く握りしめた。短く切り揃えてある爪が手の平の皮膚に食い込んだが、聖騎士養成所で毎日剣を握っていた皮膚は硬く、爪ごときで裂けることはなかった。
――尊敬していた兄……オルランドが原因で、テオは精神を病み、治る見込みの薄い大きな傷を心に負ってしまった。せめてこの皮膚が裂け、自身に流れる汚らわしい血を流すことができれば、少しは胸の痛みが和らぐのではないか。
そんなことを考えていると――
「――オズ。……オズヴァルド」
これまでただ静観していたレアンドロに名を呼ばれ、思考の深淵に沈みかけていたオズヴァルドは、ハッと意識を浮上させた。そうして自分の身体がやけに冷え、だというのにダラダラと汗をかいていることに気づく。
――いったい、どうしたというのだろう?
ツゥと顎を伝う汗を手の甲で拭うと、いつの間にか側に来ていたレオポルドに、ポンと肩を叩かれた。
「オズ……悪いのはお前じゃない。……だから、泣くなよ」
「――えっ?」
レオポルドに言われてオズヴァルドは、先程から顎を伝い落ちているものが、汗ではなく涙だったことを知る。
「ボク……なんで、泣いて……?」
そう呟いたあと、悲しみや怒り、憐憫に嫌悪。様々な負の感情が荒波のように押し寄せ、オズヴァルドがオズヴァルドであるために必要な、軸のようなものをバキッと折っていってしまった。
オズヴァルドの負の感情と根幹を奪って行った渦の華。当然オズヴァルドは体勢を保てなくなり、テーブルとソファの間に尻もちをついた。背が高く、筋肉質な男が立てた音は、床板を伝って控えの間にいるメイド達に聞こえたらしい。
バタバタと騒がしい足音が数人分。それから、いつもより強めに談話室の扉がノックされる。
「皆様! 大丈夫でございますか!?」
――大丈夫ではない。
カロリーナとオズヴァルドは心身共にボロボロなのだから。しかし、この状況を
返事が返ってこないことに焦れたらしいメイドは、入室の合図を待たずに、ドアハンドルを動かそうとした。その瞬間、レアンドロが椅子の脇に立てかけていたステッキを手に取り、ドン! と強く床を突いた。
「大丈夫だ! レオポルド君がビリヤードの最中に尻もちをついてしまってね!」
「えっ、オレェ!?」と、レオポルドは、情けない声音で言って自分を指さした。
「頼むよ、レオポルド君」
同じように小声で言って、ウィングまでよこしてきたレアンドロの顔は、瞳の色さえ除けばテオに良く似ていた。テオのお願いに弱いレオポルドは、レアンドロに逆らうことができず、「はぁ〜〜」とため息を吐いてからスゥッと息を吸い込み……
「痛ってーー! ケツが二つに割れちゃったじゃんかよ〜〜!」
と、ド下手くそな演技で叫んだ。それに触発されて、深淵に沈みかけていた意識を浮上させた人物が二人。カロリーナとオズヴァルドだ。二人は流れる涙をそのままに、ポカンと視線を交わらせる。そして、
「レオポルド君。安心したまえ。……尻はもともと二つに割れている」
笑いを
扉の向こうでも、「プッ!」「クスクス」と忍び笑う声が聞こえたあと、メイドが咳払いするのが聞こえた。
「で、では。私どもは下がります」
「くっ……ああ。騒がせて……すまなかったね……っ」
談話室の中は、最初とは違った意味で混沌としているのだが、それを知る由のないメイド達は大人しく下がっていったのだった。
――馬鹿は時として、世界を救うのではなかろうか。
オズヴァルドは泣き笑いを浮かべながら、不本意そうに頬を膨らませるレオポルドを見て、フイッと視線をカロリーナに移した。するとカロリーナも、アハハと声を上げて笑っている。
オズヴァルド自身も、滝のように流れていた冷や汗が止まり、先程よりも幾分か心に余裕が生まれていた。
――この状態と雰囲気でなら、テオの為の話し合いができそうだ。
「みんな。もう一度、テオを救うために話し合おう」
場を仕切るのは得意ではないが、今なら真っすぐな気持ちで、テオのことだけを考えられる気がしたのだ。
「……悔しいけれど、オズの言うとおりですわね。今は自己嫌悪に陥っている場合ではないですもの。――テオの為に、話し合いましょう」
そう言って、白い指先で涙を拭い、カロリーナは姿勢を正してソファに座り直した。
「……? 急になにが起こったんだ……?」
たった一人だけ、状況の変化についていけてない一番の功労者の肩を、オズヴァルドはポンポンと軽く叩いた。
「お前がいれば、テオはきっと、笑顔を取り戻すだろう」
「はあ? どーいう意味だよ、それ〜〜!」
純粋に褒めたのに、日頃の行いのせいで言葉の裏を探ろうとしてくるレオポルドを華麗に無視して、オズヴァルドは元いたソファに座り直したのだった。