「少ししんどくなってきたから休ませてくれ」と、テオは申し訳なさそうに言った。本当はまだ話さなければ――いや、聞かなければならないことがあったが、段々と青白くなっていくテオの顔色を見ると頷くしかなかった。
足元のおぼつかないテオを支えてやり、ベッドまで連れて行く。
「もう大丈夫だ。あとは横になるだけだから。ありがとう、レオ。その……オズにもよろしく言っておいてくれ」
そう言って、テオは、無理に作ったような笑顔を浮かべた。
レオポルドは、余計な追求はせずに、大人しく退室することにする。「じゃあ、お大事にな」と、レオポルドはそれだけを言って、部屋の扉を開けて廊下に出た。そうして扉を閉めたあと、ハァとため息を吐いて、右手でワシワシと頭を掻いた。せっかくセットした茜色の髪の毛は、きっとぐしゃぐしゃになっているだろう。
だが、そんなことよりも、オズヴァルドがテオの元にレオポルドを向かわせた一番の目的を達成出来なかった。そのことが、レオポルドの気分を重くさせていた。
しかし、たった一晩で別人のように衰弱して暗い目をしていたテオを前に、『もしかして、男が好きなのか?』と訊ねることは出来なかったのだ。
レオポルドはバイセクシャルで、女性はもちろん、男性も恋愛対象である。そのことに対して、罪悪感を抱いたり、悩んだりしたことはない。
――まあそれは、レオポルドの生来の性格や価値観に起因するのだろうが。
自分が平気で『バイセクシャル』であると公言し、陰口を言われたり好奇の目に晒されるのが平気だからといって、誰もがそうではないということくらい理解している。そして、レオポルドにとっては「ふ〜ん」の一言で済む問題で、テオは今にも死んでしまいそうなくらい憔悴しているのだ。
レオポルドは、チラッとテオの部屋の扉を一瞥したあと、オズが待っているであろう談話室に向かって歩きはじめた。
ボサボサになってしまった髪を手櫛で軽く整えながら、荘厳な雰囲気の
「……さて。どうすっかなぁ……」
――好きな相手が苦しんでいることを考えると胸が痛い。
だが、今回の件ばかりは、他者が口を挟んだからといって解決することではない。テオ自身が問題と向き合い、受け入れる。さらに、時間という薬が必要だった。――そして、家族の理解と協力も。
「テオのお姉さんに、相談することになるんだろうなぁ……」
そう呟いたレオポルドは、
「うっ! さむっ!」
レオポルドの身体は恐怖心を感じて、ぶるりと震える。そして、一瞬にして体温の下がった身体を温めるため、自分の身体をなで擦りながら談話室を目指したのであった。
――アルバーニ邸、談話室。
「……なんなの、この状況」
レオポルドが、重たい気分を背負って談話室の扉を開けた先には、予想もしていなかった光景が広がっていた。
部屋の中央に置いてあるビリヤードテーブルで、ビリヤードを楽しんでいる、オズヴァルドとカロリーナ。そして掃き出し窓の側にある一人掛けのソファに座り、マホガニー製の丸机の上に置いたチェス盤で、チェ
扉を開け放ったまま固まっているレオポルドの姿を、チラッと一瞥したカロリーナは、キューを構えたまま「邪魔よ」と言った。その鋭い言葉に、ハッと我に返ったレオポルドが後ろを振り向くと、ティーワゴンを押すメイドが困った顔をしていた。
「あっ、すんません!」と言って、レオポルドは扉の前から移動する。メイドは、ペコリと頭を下げただけで無駄口をきかず、ティーワゴンを押して入室した。それから両開きの扉を閉めると、カロリーナに向かって軽く膝を曲げてみせた。
「カロリーナお嬢様。お紅茶と茶菓子をお持ちいたしました」
「そう。ご苦労さま。そこのテーブルの上に並べておいてちょうだい」
「かしこまりました」
メイドは礼儀正しくお辞儀をすると、カロリーナの指示した通り、カウチソファ前のセンターテーブルの上に茶菓子等を並べていく。そして、タイミングを見計らったように、三人共がテーブルの側に集まりはじめた。その様子をボケーっと眺めていたレオポルドは、「何をしている。お前も座れ」とオズヴァルドに言われて、慌ててソファに座ったのだった。
オズヴァルドの隣に座ったレオポルドは、目の前に置かれたカップに紅茶が注がれる様子を眺めながら、平然とした様子のオズヴァルドに小声で耳打ちした。
「な、なあ。なんでここに、テオのお姉さんとお兄さんが居るんだ?」
「お前、テオの部屋に入れたんだろう?」
「うん」
「そのことが二人の耳に入ったんだろうさ。ようするに、二人共お前の話を聞きに来たってわけだ」
「……ナルホド」
――耳聡いことで。
正面に座るカロリーナをチラッと見ると、柘榴のように真っ赤な瞳とばっちり目が合ってしまい、レオポルドは口角を引きつらせて愛想笑いをした。カロリーナはそんなレオポルドをじっと見つめたあと、にこっと笑って右手を振った。すると給仕を終えたメイドが、軽く膝を曲げて「失礼いたします」と言い、ティーワゴンを押して退室していった。
レオポルドは全身に鳥肌を立て、自分もメイドと共に退室したかったと思いながら、無情にも閉じられてしまった扉を見遣る。そんなレオポルドに声をかけたのは、一人掛けのソファに座り、優雅に足を組んだレアンドロだった。
「――さあ。話を聞かせてくれるかい? レオポルド君」
そう言って、にっこり微笑んだレアンドロに、レオポルドは「……はい」と泣きそうになりながら頷いたのだった。