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第19話 女性恐怖症

 テオはレオポルドがきょろきょろと室内を見回すのを一瞥して、その横をスタスタと通り過ぎると、暖炉の前に敷いてあるラグの上に腰を下ろして両膝を抱え込んだ。


 「テ、テオ?」と、レオポルドは戸惑った声を上げる。テオは暖炉の炎を見つめたまま口を開いた。


「話ならここで聞く。……寒いんだ」


 パチパチッ、と火が爆ぜて、綺麗に積み上げられていた薪が崩れた。それから数拍の間を置いて、衣擦れの音がし、テオの右隣にレオポルドが腰を下ろした。テオは膝の上に顎をのせたまま、チラリと横目で隣を見る。レオポルドは柄にもなく、緊張した面持ちで胡座を組み、組んだ手の指をモジモジと動かしていた。


「……俺に話があるんだろう? さっさと話してくれないか?」


 少々、ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、レオポルドを気遣うのもおっくうだったから仕方がない。


 常とは違うテオの様子に怯んでみせたレオポルドだったが、じっと揺れる炎を見つめたあと、覚悟を決めたような顔をしてこちらを向いた。それに合わせて、テオもこてんと首を傾ける。レオポルドの翡翠の瞳の中で、橙色の炎が揺れるさまをじっと見つめる。するとレオポルドは、かあっと頬を紅潮させた。


 ――暖炉の火が強すぎただろうか? ……いや、そんなことはない。


 レオポルドから視線を外して暖炉の炎を眺めていると、ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえた。テオは思わず、フッと笑う。


「あのお調子者のレオが緊張しているなんて、明日は雪が降るかもしれないな? 対抗試合の時でさえ飄々としていて緊張したことがないくせに、何をそんなに躊躇っているんだ?」


 穏やかな声音で言って、再びこてんと首を傾けた。少しだけ、普段の調子を取り戻したテオを見て、レオポルドはあからさまにホッとした表情を浮かべる。そうしてレオポルドは、形の良い唇をひと舐めし、軽く息を吸い込んだ。


「実は、オズが――」


「オズ? オズがなんだって?」


 レオポルドの言葉を遮り、揃えていた足を崩して、テオは片膝を立ててレオポルドへと顔を寄せた。レオポルドは上体を反らし、慌てたように両手を前に突き出してきた。それに、ハッとしたテオは謝罪の言葉を口にして、立てたままの片膝に額を擦り付ける。


 ――なにをやっているんだ、俺は。


 クラーラのせいで、オズヴァルドの名前に過敏になっている。それは、テオがまんまとクラーラの術中にはまり、彼女の思うがままに操られているに等しかった。


 ――負けちゃだめだ……!


 テオは奥歯で頬の内側の粘膜を強く噛んだ。ピリッとした痛みのあとに、鉄の味がして、血液の生臭い臭いが鼻腔を刺激する。テオは鼻から息を吸い込み、肺の中に空気を満たすと、それをゆっくり時間をかけて口から吐き出した。それから、ゆっくりと瞬きをしたテオの赤い瞳は、本来の美しいルビーのような輝きを取り戻していた。


 テオの視界の端で、


『あーあ。もう元に戻っちゃった。ララ、つまんなぁ〜い』


 と言って、クラーラの幻影が消え去った。


 テオは、フゥと息を吐いて、レオポルドに向き直った。


「話を遮ってしまってごめん。オズがなんだって?」


 自分のよく知るテオの姿に戻ったからか、レオポルドはあからさまにホッとした様子で、ポリ……と頬を搔いた。


「その……オズはテオに悩み事があるんじゃないかって言っててさ。そんでその悩みなんだけど、もしかしたらオレが力になれるかもしれないから、テオに会いに行けって言われて……」


「俺の、悩み……」


「そう。……もしかして、テオ。お前、女性恐怖症なんじゃないか?」


「女性恐怖症?」


 テオが復唱したと同時に、暖炉の火が爆ぜた。レオポルドはコクリと頷いて、オズヴァルドと二人で推察した内容を話して聞かせてくれた。途中何度か吐き気を催したが、レオポルドの話を聞き終えたあと、ストンと腑に落ちている自分に気づく。


「……そうか、そうだったのか。俺は女性が苦手だったんだな」


「うん。元々そうだったところに、カステリヤーノ嬢のことがあって、苦手意識が恐怖対象に変わったのかもしれない」


 「詳しい話は、心療系に詳しい医者に聞いた方がいい」と、レオポルドは言った。その言葉に、テオは素直に頷く。無事に任務を達成したレオポルドは、両足を前に投げ出して両手を後ろにつくと、盛大なため息を吐きながら安堵していた。テオは再び両膝を抱えて暖炉の炎に視線を移し、フッと自嘲気味に笑った。


 「どうした、テオ?」と、胡座をかいて、レオポルドが訊ねてくる。背を丸めてこちらを覗き込んできたレオポルドに、テオは苦笑いで返すと、視線をラグの上に落とした。


「いや……大したことじゃないんだ。ただ、自分のことなのに、他人ひとに指摘されるまで気づけなかったことが情けなくてな」


「何言ってんの! テオは情けなくなんてねーよ! ……誰でも苦しんだり悩んだりして暗闇の中を彷徨っているときは、足元が見えなくなって、すぐ目の前にある灯りに気付けないもんなんじゃないか?」


「……そう、なんだろうか?」


 「そーだよ!」と言って、レオポルドはテオの頭の上に、ポンと優しく手を置いた。その手の重みと温かさに涙腺が緩みそうになったが、ツンとする鼻の痛みを耐えて、グッと強く目蓋を閉じた。そして再び目を開くと、テオは小さな声で「ありがとう」と言った。


「いーってことよ。オレたち親友だろ?」


 そう言って、ニッと白い歯を見せたレオポルドに向かって、テオはクスッと笑ってみせた。


 ――その大事な親友のレオポルドに、オズヴァルドに抱いた邪な感情を吐露することは、今のテオにはやはりまだ不可能だった。

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