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第15話 遊戯

 メイドからの報告で、テオが右手の親指を怪我したと聞いたらしいカロリーナが、仕事を放り出して談話室へとやってきた。


「テオ! テオ! 大丈夫ですの!?」


 レオポルドとオズヴァルドのことなど眼中にない様子で、カロリーナは、テオが座るソファの足元に片膝をついた。


「姉上……そんなに心配しなくても大丈夫なのに」


 わざわざ大事な仕事を放り出してまで来てくれたことは嬉しかったが、カロリーナの過保護ぶりに辟易することもある。……特に、友達の前では控えてほしいと思う。


 テオの心中を知らないカロリーナは、眉根を寄せながら、テオの親指に巻かれた包帯を見つめた。それから、温かく柔らかい両手で、テオの手を優しく包み込む。


 カロリーナはテオの手を包んだまま、じっとこちらを見つめてきた。その視線は説明を求めていたけれど、テオはにこりと微笑んでごまかした。


 一度決めたことは、滅多なことがなければ覆すことのないテオ。その性格をよく知っているカロリーナは、ハァとため息を吐いて、寂しそうに微笑みを浮かべた。


「……言いたくないのなら、もうこれ以上干渉しませんわ。だけど、身体の不調も治っていないのだから、怪我には気をつけなければいけないわ。ちゃんと消毒をして、早く治すのよ? いいですわね?」


 まるで母親のように言い含めてくるカロリーナに、テオは「わかったよ、姉上」と言って、安心させるように笑ってみせた。


「それじゃあ、わたくしはお兄様のお手伝いに戻るわね」


 カロリーナは名残惜しそうにテオから手を離し、ふわふわの黒髪を優しく撫でて、退室して行った。


「……相変わらず、マイペースなお姉さんだな」


 呆れたような表情を浮かべるレオポルドに、


「カロリーナはいつもだ。テオ以外の人間は眼中にない」


 と、オズヴァルドは慣れた様子でコーヒーを飲んだ。


 置いてきぼりにしてしまった二人に、申し訳なく思ったテオは、コーヒーが入ったコーヒーポットを手に持った。


「ご、ごめんね二人共。蚊帳の外にしちゃって。そうだ! このコーヒー美味しかった? おかわりいる?」


 「俺が注ぐよ」と、テオが言った途端、レオポルドまでカップを持ち上げた。


「レオ。まだカップの中身が残ってるけど……?」


「えっ! あっ、もう少しで無くなりそうだから、オレにも淹れてくれよ」


「フン。 くだらないことで必死になって。恥ずかしくないのか?」


「オレだってテオに『俺が淹れてあげるよ』って言って欲しかったんだからな!」


 テオはレオポルドの言葉を聞いて、心中で、そんな風に可愛く言ってないけどなぁ、と思った。


 放っておいたら喧嘩になりそうな雰囲気に、テオは席を立つと、執事バトラーに成りきって給仕をすることにした。


「こほん。……オズヴァルド様。こちらのコーヒーはお気に召していただけましたか?」


 突然、バトラーの真似事を始めたテオを見て、オズヴァルドは驚いたのか、顔を真っ赤にした。それから、んんっ、と咳払いをして、空になったカップを差し出してくる。


「……今年飲んだコーヒーの中で一番美味しかった。どこで作られた豆なのだろうか?」


 テオはその質問を待っていたので、パアッと笑顔になった。すると、オズヴァルドの顔が耳まで赤く染まったが、テオはそれに気づかない。


「オズヴァルド様は、さすが、素晴らしい味覚をお持ちでいらっしゃいますね!」


「そ、そうか……?」


「はい! そうでございますよ。――本日のコーヒー豆は、土の国イストスエラから輸入した貴重なコウジャネコのフンから出てきた豆なのです」


 テオの言葉を聞いたレオポルドが、ブッ! とコーヒーを吹き出してしまう。それを見て、思わず駆けつけようとしたテオの腕を、オズヴァルドが掴んで制した。


「……お前は今、のバトラーだろう? だから、ボクの相手だけをしていればいい」


 澄んだ青い瞳が熱っぽく見つめてきたので、テオはオズヴァルドの瞳から目を逸らすことができず、こくこくと頷いて腕を解放してもらった。


 テオは、オズヴァルドが触れた場所から、熱が頬に移っていくのを感じながら、ドキドキする心臓をどうすることも出来ずに続きを口にした。


「こっ、この貴重な豆は、姉上の……カロリーナお嬢様の外交努力が実を結んで、我がアルバーニ領と王家のみが輸入することを許されたものなのです。オズヴァルド様。お味はいかがでしたか?」


 テオの『様』呼びに照れながら、オズヴァルドは、


「……砂糖を入れていないのに甘みを感じて、果物のような味わいと、なめらかな飲み心地が素晴らしかった」


 と言った。百点満点の受け答えをしてみせたオズヴァルドに、レオポルドは、


「取材記者になれるよ、お前」


 と言って、ケラケラとからかった。「うるさい。黙っていろ」と、オズヴァルドは素っ気なく返す。


 遊びに乗じて、アルバーニ領の新たな名産品を紹介することができたテオは、満足して微笑んだ。


 約束通りレオポルドにも給仕をしたのだが、『お坊ちゃま』呼びが不服だったらしく、拗ねてしまった。


 テオが苦笑しながらテーブルにコーヒーポットを置くと、ポットから離した手を取られて、グイッと引っ張られた。


 「あっ」と、テオはよろけて、たたらを踏んだ。そして顔を上げると、鼻先が触れ合いそうな位置に、オズヴァルドの整った顔があった。


 驚いて動けなくなったテオの耳元に、オズヴァルドが顔を寄せてくる。そして、耳たぶに触れるか触れないかの距離まで、唇を近づけてきた。


 触れていなくても、皮膚に当たる熱い呼気を感じて、テオの頬が熱くなる。そして――


「今度から、『様』付けをする男はボクだけにしろ」


 と言われて、テオは尾てい骨の辺りがゾクゾクするのを感じながら、こくこくと頷いて耳を押さえた。


「約束だ。たがえるなよ?」


 と言って、色っぽく微笑んだオズヴァルドから、しばらくの間、テオは視線を逸らすことができなかった。


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