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第14話 疎外感と甘美な痛み

 朝の身支度が終わった後で、テオは、別室に移りたいとカロリーナに相談した。すると、昔、兄――レアンドロが使っていた部屋をすぐに用意してくれるという。


 今夜には移れるようにしてくれると聞いて、テオは心の底からホッとした。――これで悪夢を見なくなればいいのだが。






 ――アルバーニ邸、談話室。


 朝食を終えたレオポルドとオズヴァルドに混ざって、テオは三人で談笑していた。


「――俺はステルラから馬車でこっちに戻ってきたんだ。だから、馬で旅してきた二人のことが羨ましいなって思って」


 「あっ、もちろん、大変だっただろうけど!」と、テオは慌てて付け加える。


「そんなに恐縮しなくていいって! テオに言われて来たんじゃなくて、オレたちが勝手に押しかけたんだからさ」


 レオポルドが可笑しそうに笑う。そして、馬での短い旅の話を面白おかしく聞かせてくれ、テオはますます二人のことが羨ましくなってしまった。


 「いいなぁ……」と、テオが囁くようにつぶやいた言葉が、オズヴァルドの耳に届いたらしい。


「旅することは出来ないが、馬を見てみるか?」


 思いがけないオズヴァルドの提案に、テオは思わず前のめりになった。


「えっ、いいの!?」


「いいも悪いも、そもそもボク達の馬じゃない」


 素っ気ないオズヴァルドの言い方に、


「テオ。オズはこう言いたいんだ。『いいに決まってるじゃないか。ボク達の馬じゃないけどね』って」


 「なっ! 照れ屋さん?」と言って、レオポルドはオズヴァルドの肩に片腕を回した。その腕を容赦なく引っ剥がしたオズヴァルドは、


「ボクは照れてなんかいない! あと馴れ馴れしく触るな」


 と言った。レオポルドは口元に手を当てて、ニヤニヤしながら「そうなんでちゅか〜〜?」と、オズヴァルドを挑発する。あれは怒るだろうな、とテオは心中で思っていたが、予想は外れてしまう。


「馬鹿なことを言うな。ボクがテオに対して照れるわけがないだろう? だってボクたちは、」


「『ボクとテオは物心がつく前からの幼馴染』って言うつもりだろ?」


「何故、分かったんだ?」


「同じことを何度も聞かされたからに決まってんだろーが」


 ワイワイ、とテンポ良く言い合う二人の姿を見て、テオは自分一人が置いてきぼりにされたような気がした。


 ――テオと一番仲の良かった親友のレオポルドが、テオに向けるのと同じ笑顔をオズヴァルドに向けている。オズヴァルドは、テオには絶対にしない気安い態度でレオポルドに接している。


 寂しいと思う気持ちに混じって、モヤモヤとした気分が悪くなる感情が、テオの心を支配していく。カリ……カリ……と、硬い何かの音がして――


「おい、テオ! お前、親指が血だらけだぞ!」


「……え?」


 レオポルドに強く手を掴まれて、硬い音の正体が、自分が爪を噛んでいた音だと気付いた。


「俺、何して……ごめん。全然気が付かなかった……」


 意識した途端、口の中に鉄の味が広がっていることに気がついて、テオは咄嗟に手を隠そうとした。が、レオポルドが手を掴んだままで、腕を動かすことが出来ない。


「レオ。手を離してくれないか? 大丈夫だから」


 そう言うと、レオポルドは少し怒った顔をして、


「これが大丈夫なわけないだろ!? よく見てみろよ! 爪が割れてるんだぞ!」


「あ……でも、全然痛くないし」


「……そういう問題じゃない。レオ。そのまま、テオの手を掴んでいろ。また無意識に自傷行為をするかもしれないからな」


 「わかった」と、レオポルドは頷いて、テオの隣に移動してきた。「自傷行為……?」と、テオは首を傾ける。それを見たオズヴァルドの表情が、険しいものから、痛ましいものに変わった。


 オズヴァルドは、テーブルの上に置いてある呼び鈴ハンドベルを鳴らしてメイドを呼んだ。廊下に控えていたメイドがすぐにやってくる。オズヴァルドはメイドに、手当の道具を持ってくるように頼んだ。


「オ、オズ! そこまでしなくても……!」


 「お前は黙っていろ」と、オズヴァルドに睨まれて、テオは口を閉ざした。


 ほどなくして戻ってきたメイドは、テーブルの上に道具の乗ったトレイを置いて、お辞儀をして下がっていった。その頃には血が固まりかけていて、余計に痛々しい見た目になってしまっていた。


 「……ほら。手を出せ」と、綿球に消毒液を浸けたオズヴァルドが、こちらに左手を差し出してきた。テオはレオポルドから解放された手を、オズヴァルドの手のひらに乗せる。テオは、自分の親指を真剣な表情で手当するオズヴァルドを、ぼうっと眺めていた。


「そんなに見つめられると、非常にやりにくいんだが」


 言って、オズヴァルドは上目遣いに見てくる。透き通った蒼穹の瞳を向けられて、テオの心臓がドクンと跳ねた。テオは自分の頬が紅潮していくのを感じながら、ごめん、と言って俯いた。


 消毒が終わり、優しい手つきで包帯を巻かれている間、テオの心臓はドキドキと拍動し続けた。手汗をかいてしまっていることが、とても恥ずかしくて、早く終わってくれと両目をグッとつむる。


「ほら、出来たぞ。これでいい」


 そう言って、オズヴァルドの手が離れていく。テオは礼を言って、包帯の巻かれた親指をしげしげと見つめて、大事なものを抱くように胸に寄せた。


「これじゃあ、乗馬はしばらく無理だな」


 隣に座るレオポルドに言われて、テオは「そうだね」と返した。消毒液が傷口に染みて、親指が熱を持って、ズクズクと痛んだ。その痛みが、不思議と甘美な感覚に思えて、テオは緩みそうになる口元を引き締めたのだった。

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