屋敷へ帰宅してすぐに婚約者と親友の裏切りの現場を目撃して、心に深い傷を負ってしまったテオは、自室に引きこもりがちになっていた。悪夢のようなシーズン初日から数日が経った今でも、東屋で睦み合う二人の姿が、目に焼き付いて消えてくれない。
だが不思議なことに、裏切られたことに対するショックはあるものの、二人が愛し合う現場を目撃したことに対するショックはなかった。――ただ、絡み合う二人の姿が汚らわしくて、吐き気を伴うほどのトラウマを植え付けられてしまったが。
「男と女の睦み事は、なんて汚らわしいんだ……」
――あの行為の果てに、自分という存在が実を結び、この世に生まれたという事実さえおぞましい。
「……っ、早く、早く、俺の頭から消えてくれ……っ! もう思い出したくないんだ……!」
テオはうつ状態になり、不眠症と摂食障害になっていた。
――同時刻。アルバーニ伯爵家、レアンドロの執務室にて。
静寂な室内に、カリカリと紙の上を羽ペンが滑る音が響く。
しかしその静寂を壊す存在が、執務室の扉を荒々しく開け放ち、薔薇の甘い香りをまとって現れた。
「お兄様! 由々しき事態ですわ!!」
厚い真っ赤な絨毯の上を颯爽と歩いてくるカロリーナを見遣り、レアンドロは持っていた羽ペンをペン立てに戻して、ハァと前髪を掻き上げた。
「……キャリー。扉をノックしなさいとあれほど――」
「そのような瑣末なこと、今はどうでも良いのです!」
言って、カロリーナは執務机の天板を力いっぱい叩いた。その衝撃で、机の左右に積み上がっていた未処理の書類が、雪崩のように崩れ落ちていく。
その間、レアンドロの片側に立つ初老の侍従長は、動揺することなく、その光景を眺めていた。レアンドロもまた、スーッと息を吸い込んだだけで、カロリーナを咎めることはしなかった。
そして、最後の一枚がハラリと床に落ちた時、レアンドロは侍従長に向かって右手を上げた。侍従長は委細承知したといった様子で、レアンドロとカロリーナにお辞儀をしたのちに、静々と執務室から出ていった。
扉がパタンと閉まると、レアンドロは席から立ち上がり、部屋の隅に備え付けてあるミニキッチンへと向かった。「それで?」と、レアンドロは、棚から紅茶の茶葉が入ったアルミ製の保管容器を取り出した。
「血相を変えてどうしたんだい?」
レアンドロがお湯を温め、茶葉を選別する姿を見て、カロリーナはフンと鼻を鳴らして応接用のソファに座った。
「どうしたもこうしたもありませんわっ。わたくしの可愛いテオが、あの悪夢のような日からほとんど部屋の外に出てきませんの!」
「そうか」と言って、レアンドロはアルミ缶を両手に持つと、上半身を回してカロリーナを見た。
「
「祁門紅茶でお願いしますわ」
「かしこまりました、お嬢様」と、レアンドロは仰々しくお辞儀をして、さっそく準備に取り掛かる。その背中を見て、カロリーナは行儀悪く、ソファの背もたれにもたれた。「行儀が悪いぞ、キャリー」と、レアンドロに注意されるもどこ吹く風で、カロリーナは疲労の滲むため息を吐いた。
「……だぁって、お兄様ったら、いつも通りのご様子なんですもの。気を揉んでいる自分がおかしいのかと思ってしまいますわ」
「そんなことはないよ。私だって心配しているさ」
「本当に?」
「本当だとも。――キャリーもテオも、私に残された、ただ二人の家族なのだからね」
そう言って、カロリーナの為に茶菓子を用意するレアンドロの後ろ姿を見て、カロリーナはブラックドレスの生地を両手で握りしめる。
「……今回の件については、完全にわたくしの失態ですわ。申し訳ありません、お兄様。……テオにも謝りたいのですけれど、一度も顔を見せてくれませんの」
「わたくし、嫌われてしまったのかしら」と、カロリーナは、ルビーのように澄んだ赤い瞳から涙を零した。
レアンドロは、ちょうど淹れ終わった紅茶と茶菓子をトレーの上に載せて、カロリーナの前の机の上に置いた。それからラグの上に片膝をつき、真珠のように美しい涙を流すカロリーナを、頭ごと抱きしめた。
「お前だけのせいではないよ、キャリー。二人に早く自分の家族を持ってもらいたくて、私が焦ってしまった結果、今の状況を引き起こしてしまった。……私もテオに会って謝りたいが、今はまだ、私とキャリーには会ってくれないだろう」
「では、どうなさるのです?」
「私の予想通りなら、そろそろ彼から手紙が届くはずだが……」
と言った瞬間、執務室の扉をノックする音が響いた。驚いて涙が止まったカロリーナに向かって、ほらね、とレアンドロがウインクをする。
「入りなさい」と、カロリーナにハンカチを手渡して、レアンドロは立ち上がった。そのまま悠然と執務机の椅子に座った瞬間、丸い銀のトレーに一通の封筒を載せた執事長が入室してきた。
レアンドロは、ニッと白い歯を見せて微笑み、トレーの上から封筒を受け取った。すぐに差出人を確認し、フッと笑ったレアンドロは、ペン立てに立ててあったレターオープナーで封を切る。素早く書面に目を走らせると、ハハッと軽快に笑ってカロリーナを見た。
ハンカチを机の上に置き、
「どなたからのお手紙でしたの?」
レアンドロは満面の笑みで答えた。
「オズヴァルド・ガレッディ。――オルランドに似ても似つかない、美しくて優秀な、ガレッディ侯爵家の次男からさ」