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第3話 話し合い

「そんな……! 国王陛下に上奏するだなんて……っ」


 悲痛な声を上げたのは、ガレッディ侯爵家次期当主のオルランドではなく、カステリヤーノ子爵家の子女であるクラーラだった。


 つい先程まで、悲劇のヒロインのように涙を流していたクラーラの表情が、こわばり真っ青になるのを見て、レアンドロは微笑んだまま口を開いた。


「おや。どうしたんだい? カステリヤーノ嬢。先程までとは、随分と様子が違うように見受けられるが」


「だっ、だって、国王陛下に上奏してしまったら、ララは社交界での立場を失ってしまうわ!」


 両手で口元を覆い、酷く動揺するクラーラの姿に、カロリーナはフンと鼻を鳴らした。


「大きな打撃を受けるのはカステリヤーノ子爵だというのに、一番に心配することが自分の立場ですの? まったく、呆れてものも言えませんわ」


 ハッ、と冷笑を浮かべたカロリーナに、クラーラはキッと鋭い視線を向ける。


「ララが、どれだけの苦汁をなめて今の立場を手に入れたのか、社交界の薔薇として君臨するキャリーにはわからないでしょうね!」


 カロリーナは足を組み、新月の夜空を溶かし込んだような艷やかな黒髪を、バサッと掻き上げた。


「ええ。あなたの気持ちなんて全く分からないし、分かりたくもありませんわ」


「キャリー……!」


 「でも」と、カロリーナは髪の毛先をいじりながら、フッと嫣然えんぜんに微笑んだ。


「元平民の新興貴族であるあなたが、社交界での立場を得るためにわたくしに近づいてきた……その度胸は買っていましたのよ?」


 クラーラは驚愕に目を見開き、フハッと歪んだ笑みを浮かべた。


「なーんだ。気づいていたのね? なのにどうして、下心を持つララを、テオ様の婚約者にしたの?」


 「そうねぇ」と、カロリーナはテーブルの上に置いてあったベルを手に取り、チリリンと優雅に鳴らした。すると、廊下で控えていたメイド達が入室し、カロリーナに向かって軽く膝を曲げた。


「お呼びでしょうか? カロリーナお嬢様」


「のどが渇いたわ。お茶を持ってきてくれる?」


 「かしこまりました」と、すぐに下がろうとしたメイドの一人を捕まえて、カロリーナはメイドの耳元に何かを吹き込んだ。「仰せのとおりに」と、再び膝を曲げたメイドは、頭を下げたまま静かに退室していった。――マルティネはまだカロリーナのすぐ横に置いてある。


 メイド達が下がり、部屋の扉がパタンと閉まる。


 カロリーナは、胸の谷間から折りたたみ式の扇子を取り出すと、優雅に一振して扇を広げた。ひと目で高価なものだとわかる、総レース作りの黒い扇子を、クラーラは食い入るように見つめている。


 カロリーナは扇で口元を隠し、フフッと笑い声をこぼした。


「……クラーラ。わたくしはね。あなたの果てのない貪欲さと向上心を買っていたの。どのような手段を使おうと、社交界では生き残った者が勝者よ。一見優雅に見える社交界だけれど、腹の探り合いに蹴落とし合い……派閥闘争が耐えないわ」


「だから、ララをテオ様の婚約者にしたの? 社交嫌いなテオ様を支える妻にするために」


「それもあるけれど……わたくしの可愛いテオが、あなたのことを憎からず想っていたようだったから、それで婚約者にしたのよ」


「……全ては、テオ様のためってことね」


 「あら。いけない?」と、カロリーナは扇を閉じて、こてんと首を傾けた。クラーラはフッと歪んだ笑みを受けべてカロリーナを見つめる。それに対抗するように、カロリーナは顎を反らしてふんぞり返った。


 睨み合うカロリーナとクラーラの横で、レアンドロとオルランドは黙りこくって向かい会っていた。


「――オルランド。黙っていては何も分からない。君はテオの幼馴染で親友だろう? それなのに、何故こんなことになってしまったんだい?」


 レアンドロは鷹揚に構えているが、澄んだ青い瞳の奥で、怒りの炎が燃えていた。


 レアンドロが言った通り、オルランドは幼い頃からテオと仲が良く、生前のアルバーニ伯爵夫妻にも可愛がってもらっていた。


 アルバーニ伯爵夫妻が馬車の滑落事故で亡くなり、レアンドロは、若干十歳でアルバーニ伯爵家の当主となった。が、周りの大人達はあの手この手で当主の座を奪おうとし、金銭までも奪おうとして、幼い子どもたちを追い詰めた。


 しかしレアンドロは、類稀なる才能を開花させ、家門も弟妹も見事に守りきったのだった。――そんな彼らを近くで見ていたというのに、何故、オルランドはアルバーニ伯爵家の人間を裏切ったのか? その答えは一つしかない。


「愛だよ」


 「……愛?」と、レアンドロは片目を眇めた。


「そう。愛さ」


 オルランドは、熱に浮かされたように同じ言葉を繰り返す。そして突然、左隣に座るクラーラの肩を抱いた。「きゃあ!」と、クラーラは小さな悲鳴を上げる。


 オルランドの挙動に驚いたのは、クラーラだけでなく、カロリーナもだった。――レアンドロは、姿勢を崩すことなく、ただじっとオルランドを観察している。


「オ、オーリー?」


 クラーラは、いつもと様子が違うオルランドに肩を抱かれたまま、戸惑いの表情を浮かべて彼を見上げた。するとオルランドは、恍惚こうこつとした顔をクラーラに向ける。


「『公明正大であれ』が、我がガレッディ侯爵家の家訓だけれど、僕は何をやってもうだつが上がらない。だから親戚の貴族連中に、爵位継承をさせるべきじゃないと爪弾きにされる。クラーラもこれといった特技は持ち合わせていないし、新興貴族という立場のせいで、世襲貴族たちに苦しめられている。それは君たちも良く知るところだろう? 僕とクラーラは似たもの同士なんだ。だから惹かれ合ったし、お互いのことを分かり合えるんだよ」


 オルランドの言う通りだったので、カロリーナもレアンドロも「否」と言わない。


「でも最近、弟の方が次期当主に向いているんじゃないかと言う話が出てね。その話題が原因で、こんな僕を兄として慕ってくれる可愛い弟は逃げるように聖都ステルラへと行ってしまった……けれど逃げたって無駄さ。おそらく、次期当主は僕の弟に決まるだろう。だから僕は爵位を捨ててクラーラと――」


「オ……オーリー……その話は本当なの……?」


 突然、顔色を変えたクラーラに詰め寄られ、オルランドは動揺しながらしっかりと頷いた。

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