五か国と一都から成る、星の形をした大陸――ぺダグラルファ。その北東には、強固な要塞と豊かな自然を有する、
将来、国防を担うために祖国を出て、聖都ステルラの聖騎士養成所に通っているのは、アルバーニ伯爵家次男のテオ・ド・アルバーニである。
テオは、久しぶりに帰国した春の庭園で、信じられない光景を目にしていた。その光景とは、自分の婚約者と親友が睦み合う様子だった。
魔がいいのか、魔が悪いのか。
すでに事は終わった後のようで、クラーラが男の膝上から降りようとすると、クラーラの唇を追いかけて、テオの親友のオルランドが口づけをした。
「んっ、あ、は……っ、……オーリー。これ以上はだめよ。そろそろ、テオ様が帰ってくる時間だわ」
そう言って、ドレスを整えるテオの婚約者クラーラを、熱の籠もった眼差しで見つめるのは、テオの親友であるオルランド。
「――俺は一体、何を見せられているんだ?」
囁くように呟いた言葉だったが、風に運ばれたのか、二人の耳に届いたらしい。
「っ、テオ様……っ!?」
「ち、違うんだ、テオ。これは、その、」
こんな真っ昼間から堂々と屋外で睦み合っておいて、それでもまだ言い訳をしようと慌てる二人の滑稽な姿に、テオは泣きそうな気分でハッと冷笑した。
『植物を
テオが持つ、類い稀な力を使って咲かせた花々の花束が、腕の中からするりと滑り落ちて、石畳の上で無残に散った。
――時は遡り、聖都ステルラにある、聖騎士養成所。
聖騎士養成所は、ペダグラルファ大陸の中心部に存在する、聖都ステルラの騎士育成機関である。
聖騎士養成所には、家門を継ぐことができない貴族の子息や、立身出世を夢見る平民の男子達が入学してくる。
しかし、希望したからといって、誰でも入学試験を受けられるわけではない。
聖都ステルラは、ペダグラルファ大陸を創世した全知全能の神――創世神を唯一神として崇め、教皇が首長として君臨する都市国家である。
そのため、『ギフト』と呼ばれる特殊な力を有する者のみが、神の僕として認められ、入学試験を受けることが許されていた。
木の女神シルティアーナが守護する国、ディエボルンからやってきたテオは、『
そして現在、聖騎士養成所内にある円形闘技場で、テオは模擬戦の真っ最中である。
――キィン、キィンと、刀剣同士の激しくぶつかり合う音が、吹き抜けの闘技場内に響き渡る。
テオはスモールソードを右手に持ち、小柄な体格と体重の軽さを活かして、対戦相手――オズヴァルド・ガレッディの攻撃をかわしていた。
オズヴァルドはテオより高い身長を活かし、得物であるサーベルに自身の体重をのせて、重い一撃をテオの頭上に振り下ろしてくる。
最初のうちは、サーベルの斬撃を真正面から受け止めていたテオだったが、何度も繰り返すうちに腕がしびれてしまっていた。そして、スモールソードは刺突を得意とするのに対して、サーベルは刺突に加えて斬撃も繰り出してくる。オズヴァルドとテオの腕力に差がありすぎて、すべての攻撃を剣身で受け止めることは不可能だった。
テオは左右からくる斬撃を後退しながらかわし、刺突のタイミングを見計らう。
しかし、テオが攻撃を仕掛けることができないように、オズヴァルドの攻撃は止まず、隙を与えてくれない。
テオは後ろに飛びのいて、オズヴァルドから距離をとる。疲労が蓄積し、もはやスモールソードの柄を握っているのがやっとだった。
「――テオ。アムレを使いすぎるな。逃げ回ってばかりいないで、正面から仕掛けてこい」
「そっ、そんなの、分かってる……っ!」
分かっているが、テオの体力は限界に近く、オズヴァルドに向けている剣先は小刻みに震えてしまっていた。
「……お前が来ないなら、こちらから行くぞ!」
オズヴァルドはつま先で地を蹴ると、一気に距離を詰めてきた。――もうこれは、攻撃に転じるしか道はない。
テオは最後の力を振り絞って、スモールソードの柄を強く握りしめ、攻撃の姿勢をとった。そして――
カキィン! と、玉を砕くような鋭い音があたりに響き渡り、テオの手からはじかれたスモールソードがくるくると宙を舞って、剣先から地面に突き刺さった。
「――試合終了! 勝者、オズヴァルド!」
審判役をつとめていた、テオの親友――レオポルド・フォン・イテーリオのハリのある声が闘技場に響き渡る。テオは大量の汗を流しながら、ふらりと足をもつれさせて、尻もちをついた。
「テオ! 大丈夫かっ!?」
軽い身のこなしで審判台から飛び降りたレオポルドが、タオルを手にして駆け寄ってくる。テオは息を切らしながら、なんとか笑顔をつくってみせた。すると――
「無様に負けた奴が、へらへら笑うんじゃない。……テオ。お前。本気で騎士になる気があるのか? 何のために戦っているのか、もう一度、よく考えてみるんだな」
そう言って、オズヴァルドは
「おい。なんだよ、その言い方。お前、テオの幼馴染だからって、言っていいことと悪いことがあるだろ」
「……この汚い手を離せ。それと、ボクとテオの間に部外者が割り込んでくるな。不愉快だ」
「なっ! ……オズ。お前――」
レオポルドは、オズヴァルドの腕を勢いよく振りほどくと、オズヴァルドの胸倉をつかみ上げた。するとオズヴァルドは、レオポルドの手首をつかんで、ギリッと強く握りしめる。
「……おい。オレの手はきたねーんだろ? さっさと離さないと、そのお綺麗な手が腐っちまうぞ」
「そうなる前に、お前の手首を切り落としてやるさ」
一触即発の雰囲気を察したテオは、自分のまわりに集まってきていたファンの垣根をくぐり抜け、オズヴァルドとレオポルドの元に駆け寄った。そして二人の間に飛び込んで、アムレを発動する。
「っ、!」
「うおっ」
二人は瞬間移動したように、立ち位置が入れ替わった。
「まあ、まあ! 落ち着けって、二人とも! 騒ぎを起こしたら反省室行きになるんだぞ!」
テオを一瞥したオズヴァルドとレオポルドは、もう一度睨み合ったあと、勢いよく顔をそらした。
「も~~! テオは優しすぎるんだって~~! 一度くらい、ガツンと言ってやったらどうなんだ!?」
がばっと抱き着いてきたレオポルドを抱きとめて、テオは苦笑いする。すると、後ろを振り返ったオズヴァルドが、深いため息を吐いた。
「テオ。ボクはもう行く。……それと、付き合う友人は選んだ方がいい」
「おい! てめえ……っ!」
「落ち着けって、レオ! あれがオズの通常運転なんだから!」
レオポルドの腕にしがみついて引き留めると、それを見たオズヴァルドが、フンと鼻を鳴らして歩き出した。その背を見送りながら、争いを回避できたことに安堵しているテオのまわりに、ファンの男達が群がりはじめる。
「テオ先輩、大丈夫ですか!?」
「なんなんだ、あいつ。俺達のテオ様に向かって生意気な!」
「ああ……! テオ様の愛らしいお顔に傷が……っ」
「テオ先輩っ! 傷がついても変わらず可愛いですっ!」
「テオ様、大好きです〜〜!」
テオはいつもの見慣れた光景に、表情筋をひくつかせながら、レオポルドを引きずるようにして闘技場を後にしたのだった。
――その日の夜。
テオは下宿先の男子寮で、古びた机に向かって手紙をしたためていた。
書き終わった文面に何度も目を通して、慎重に封蝋で刻印し終わった時、ムニッと頬を指で突かれてしまう。
テオは封筒を机の端に置くと、ムニムニッと頬をつついてくる長い指を払いのけた。
「俺の顔は
テオのルームメイトであるレオポルドは、夕焼けの茜色の空のような赤い髪を揺らしながら軽快に笑う。
「婚約者への帰国の手紙は書き終わったんだろ? 相変わらずマメだなー。ほらほらっ。テオが相手してくんないとつーまーんーなーい〜」
テオにぎゅっと抱きついて、耳元でわあわあ騒ぐレオポルドに、ハハハと乾いた笑い声を上げる。
「……別に俺の側にひっついてなくても、レオなら引く手
――ここは男子校だけど。
と、いう言葉は飲み込んだ。自分はバイセクシャルであると公言しているレオポルドには、交際する相手が男であろうと、女であろうと関係ないのだから。そんな事を考えながら勉強机の目の前にある窓から星空を眺めていると、今度は指ではなく、レオポルドの冷たい頬がテオの頬にグリグリと擦りついてきた。
「テオってば酷いじゃん! オレはこんなにテオのことが大好きなのに!」
――レオポルドの病気が、また始まったか。
「気持ちはありがたいけど、オレ、結婚するからさ。聖騎士になるのも、伯爵位を
テオは思わずため息を吐いた。
「あーっ! 酷いな~! 今、面倒くさい男って思ったでしょ!?」
「思ってないない」と、テオは首を左右に振り、内心では面倒くさいなぁと思っていた。
遠い目をするテオの顔を覗き込んだレオポルドは、ぷくっと両頬を膨らませる。そして、テオの頭を後ろから抱きしめながら、黒髪に頬をつけてスリスリし始めた。
「テオってさぁ、異常なくらい男にモテるじゃん?」
とてつもなく不名誉なことだが、言っていることは正しいので、テオはこくりと頷いた。
「ほら! 見てみなよ、自分の顔!」
レオポルドは言って、テオの顔を両手でがっちり押さえると、窓ガラスに映るテオの顔を強制的に見せつけた。
――これ、なんの拷問?
「茶色がかったツヤツヤの黒髪に、女も嫉妬するような毛穴一つない白皙の肌! 子猫みたいなツリ目の奥には、一級品のルビーみたいに澄んだ赤色の瞳が嵌ってる。おまけに童顔でめっちゃかわいい顔してんの! ……オレなんてさ、理性を保ってないとテオのこと襲っちゃいそうになる」
レオポルドの声が途端に真剣みを帯びる。テオは、最後の言葉は聞かなかったことにして、「おおー。レオ、お前、食レポで食っていけるよ」と、拍手を送った。
「えへっ、そうかな〜? じゃなくて! オレはテオのことを心配してんの!」
「てか、なんで食レポ!?」と、落ち着きのないレオポルドに苦笑しながら、テオは封筒を手に持って椅子から立ち上がった。
「聖
「それに、俺にはかわいい婚約者がいるからね」と言って、テオは笑顔で封筒を揺らしてみせた。途端、レオポルドの表情が不快そうに歪んだ。
「テオの婚約者って、
テオはきょとんとレオポルドを見上げた。――レオポルドとは八センチメートルの身長差があるので、毎回首が痛くなる。
「なんだ、レオ。お前、クラーラに会ったことがあるのか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。上目遣いの破壊力が……っ!」と言って、顔を覆ってしまったレオポルドに冷たい視線を向けて、テオはレオポルドの横を通り抜けようとした。
しかし、正気を取り戻したレオポルドに手首を掴まれ引き寄せられた。思わずたたらを踏んだテオの顔を、翡翠に似た新緑の瞳がじっと見つめてくる。不覚にも、ドキッとしてしまったテオに、レオポルドは言った。
「人づてにだけど、最近の社交界で、カステリアーノ嬢が、オルランド・ガレッディ侯爵子息と行動を共にしていると聞いた。……なにがあっても動揺するな。社交界ではよくある話だからな」
テオはアルバーニ家の自室にこもり、涙を流しながら笑った。
「……このことを忠告してくれてたんだな、レオ。でも――」
――だったらいっそのこと、引き止めてくれた方が良かった。
カーテンを締め切った薄暗い部屋の中で、テオは扉に寄りかかり、立てた両膝の間に顔を埋めて嗚咽をもらしたのだった。