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第33話:人ならざる

 大会は滞りなく進行していった。


「やぁあッッ!」


 結が観客すら唸らせるほどの体捌きで圧倒すれば、


「せぇあッ!」


 奏ちゃんが相手の動きを誘導して的確な返し技を叩き込む。


 ……とりあえず立ち上がりは大丈夫なようだ。よかった。奏ちゃんは最初こそぎこちなかったものの、少しずつ自分のリズムを掴んできたのか、二分を経過したころにはいつも通りの動きに近付いていた。録画に安堵の息が入らないようにするのは大変だった。


 周囲に耳を傾けたら、あの二人は何者だというぼやきが聞こえてきて少し鼻が高い。


 あの二人は俺が教えているんです! そんな感じでドヤ顔したくてたまらない。


 でもだめだ。そんな行儀悪いことできない。我慢だ我慢我慢……。


 にやけそうになる顔を必死に堪えていると、


「あのぉ……雨宮選手ですか……?」


 下からかわいらしい女の子の声が。名前を呼ばれて下を向くと、そこには小学校低学年くらいの女の子が三人いた。どこかおずおずとして上目遣いで俺を見ていた。


「うん? そうだけど……」


 返事をした瞬間、三人の女の子は「きゃあっ! やっぱり本物だ!」と色めき立った。


「あ、あのあの! 私たち、『剣聖』さんのファンなんです!」

「本物の『剣聖』さんだぁ……カッコいい~」

「ずっと憧れてますぅ! 今度私たちの道場に来てください!」


 などなど……めっちゃチヤホヤされてしまった。

 さらには──、


「こんにちは。『剣聖』の雨宮選手ですか? 私は剣道日本の佐藤という者です」


 巨乳でオトナの色香を纏ったドえらい美人の記者さんが名刺を出してやってきた。


「え、ええ……雨宮です」

「魁星旗の時といい、個人戦といい、目覚ましい活躍ですね」

「あ、ありがとうございます……ですが、まだまだですよ」


 千虎に負けてしまったし──そんな意図を含んで言ったのだが、何故かこの佐藤という記者は心打たれたと言わんばかりに仰け反り、


「こ、これほどの実績を持ちながらも謙遜ですか……っ! なんというひたむきさ! 私、感動しました! ぜひとも今度独占インタビューをお願いさせてください!」


 ぐいぐい、と詰め寄られる。巨乳が! お胸が! 迫ってくる! 


 ああ、これほど胴を着けていることが恨めしいと思ったことはない……ッ!


 脇には可愛い女の子たち、目の前には魅惑の女性。これで浮かれるなという方が無理だろう。


 少々照れ臭いが、こうやって注目を浴びるのは「ダメだよ結ちゃん! 竹刀は投げるものじゃないよぅ!」「止めないで奏ちゃん! デレデレしてるせんせーにお仕置きしなきゃ!」悪い気しないな、うん。


 試合の順番待ちをしている向こうから何やら殺気を感じるが、きっと気のせいだろう、そうに決まっている。


「でしたら、また改めでご連絡させていただきますね! 良い返事をお待ちしております!」


 記者の佐藤さんが去ったのを皮切りに、子どもたちとも手を振りながらお別れする。


 良い時間だった。その余韻に浸っていると──、


「おい、剣晴。暇ならアップ付き合ってくれや」


 背後から関西弁に声を掛けられた。千虎だ。


「うお……びっくりした、アップか? 別にいいけどよ……じゃあ佐々木も」


 と言って佐々木を探すが、アイツは後輩を連れてきているようで既に動いている。


「佐々木? 誰やソイツ」

「俺と地区予選で決勝を戦ったヤツだよ。おまえと準決勝で当たるぞ」

「知らん。興味あらへん」


 ばっさりと。一言で斬り落とした。


「おまえに負けたんやろ? ほなら雑魚や」

「……俺が雑魚って言いてぇのか?」

「おう、おまえもワイから見たら雑魚やが、ちっとはマシな雑魚や。やからワイが直々に声を掛けたってんねん。ほら行こうで」


 ……一瞬、頭の血管が切れかけるがいちいち噛み付いていてもしょうがない。


 千虎はこういう人間なのだ。出会った時から変わらない態度にむしろ清々しさすら覚える。


「おまえさ、どうしてわざわざこんな東京まで出て来たんだよ」


 楓先生には気まぐれと言ったようだが、そんなタマじゃない。必ず理由があるはずだ。


「……おまえ帝王学って知っとるか?」

「あ? ……リーダーになるための勉強、とかか?」


 確か天皇陛下とか、大企業の御曹司とかが学ぶ、人の上に立つための勉強……だったっけ。


「まぁおおよそは合っとる。人の上に立つ人間が学ぶべき学問、って感じや。ワイはそれを齧っとるが、その中で思ったことがあんねん」


 とりあえず何も言わず好きに話させる。


「人の上に立つ人間は、自分には人の上に立つ資格があると、定期的に周囲に示さなあかん」

「……示威、か?」


 ライオンの長が群れに力を示し、誰がトップかを叩き込むような。


 そうやって周囲を黙らせ、自分が頂点にいることを疑わせない──力の証明。


「せや。ワイが高校剣道界の頂点であるいうことを見せつけなあかんねん。最近チラホラ湧いてきおってなぁ。ワイが三連覇したんはマグレや言うていちゃもん付けるアホが」


「……そいつら、どうしたんだ」


「あん? 叩きつぶしたに決まってるやろ。二度と刃向かえんよう恐怖を刻んだったわ」


 呵々、と軽く笑いながらとんでもないことを言ってのけた。


 その叩きつぶされた剣士が果たしてどうなったかなど、想像もしたくない。


「つまりはそういうことや。今回ワイが大会に出たんは……おまえが出ると予想したからや。全国二位のおまえをまた叩きつぶしゃー、喚くアホも出んくなるやろって考えたからのぉ」


 何よりコイツのタチが悪いのは、この発言に一切の悪意が存在しないこと。


 自分はこういう人間だから、こうするべきなのだと決めたら本当に歪まない。悪意も存在しなければ快楽も付随しない。


 人が呼吸をしても何も思わないように、コイツは頂点に立ち、その地位を維持することに、人間が持つべき感情を持ち合わせていないのだ。


「やから決勝まで上がってこいや。またつぶしたるからよ」


 ゆえに神。『天照』という、人の領域を逸脱した異名を与えられた剣士。


「……調子乗ってんじゃねぇぞテメェ」


 だからこそ、俺は言葉を叩きつけてやる。


「いつまでも上にいると、足元がよく見えねぇってな。すくわれても知らねぇぞ」


 一切目を逸らさず、全開の覇気を込めてまっすぐに睨みつける。


 瞬間、周囲の空気に火花が散った。


「お? 随分と勇ましい態度やのう」


 言うや否や、千虎は俺の顔を覗き込み、


「ほぉーう……この前の時はずいぶんなよなよしとったみたいやけど、まだそういう目ができたんやな。安心したわ。ちったぁ楽しませてくれそうやんけ」


 俺に背を向けて去っていく。「アップは」と声を掛けると、ヒラヒラと手を振って、


「おまえとはやらん。敵に少しでも手の内を晒したぁないからなー」


 んだよ、じゃあ最初から言ってくるんじゃねぇ。


「……いや、ひょっとしたらマジで俺とアップするつもりだったんだろうな」


 もしも俺がアイツの言うなよなよした状態だったら。

 敵に手の内を晒したくないとヤツは言った。


 つまり、俺がヤツから見て手の内を晒してもいいと舐められていたら……。


「とりあえず、第一ラウンドは引き分けって感じか」


 ──心が飲まれなくてよかった、本当に。

 心が強くなったから? いいや、違う。


「せんせーっ! 勝ちましたぁ! 決勝ですぅ!」

「剣晴さん、私もです。結ちゃんと最後を戦います」


 二人とも手ぬぐいを頭に巻いたまま、上気した頬で突撃してくる。


「うん、さすがだな二人とも」

「ありがとうございます! ですが……せんせー、さっきは随分とお楽しみだったようで」


 笑顔から一変、瞬時に結ちゃんから表情が消えた。詐欺師もびっくりなほどの切り替えの滑らかさに思わず背筋が震えた。


「すいません……止めたんですが」


 隣では奏ちゃんが「よよよ……」という感じで目元を拭っている。


「な、なんのことだ?」


「とぼけないでください。三人の女の子とおっぱい大きい綺麗なお姉さんにデレデレしてましたよね。見てました。鼻の下がびろーんって伸びてました。せんせーは周りに女の子を侍らせ過ぎです。これ以上増えようものならせんせーのアキレス腱を切って監禁するしか──」


「増やさない。増やさないから。お願いだからその光の消えた目をやめてくれ」


「ホントですかぁ……?」


 怖、なんだこのサイコパス。夏なはずなのに冷や汗が止まらねぇ。


「あの子たちは俺の部屋を知らないだろ? 知ってるのは君らだけだ。な? 落ち着けって」


「あ、そう言えばそうですね! もぉ~、せんせーったらぁ~」


 結がぺしーん、と俺の腰を叩いてくる。危ねぇ……躱したみたいだ。ちょろくて助かった。


「ゆ、結ちゃん……」


 奏ちゃんがどこか不安そうな目で結を見てる。うん、俺もこの子の将来が心配です。


 さて、こんな寸劇をしてる場合ではない。一つ咳払いをし、気を取り直す。


「……結、試合見てたが……強引なところが多すぎる。相手の出方を窺って、待つことができればもっとスムーズに勝てた試合はあるぞ」


 真剣な俺の目つきに、結が姿勢を正した。


「あ……は、はいっ!」

「踵は大丈夫か?」

「大丈夫です! ちっとも痛くないです!」


 それはよかった。次は奏ちゃんを見る。


「それと奏ちゃん」

「はい」


 ぴし、と背筋を伸ばして俺の話を聞く姿勢を取った。


「……大丈夫か?」


「……はい。もう動揺してても意味がありません。試合のたびに、落ち着いてきました」


 ならよかった。根本的な解決になったワケではないだろうが、それで全力を出せるというのなら、余計な言葉は不要だ。本題に移ろう。


「君はもっと攻めていい。相手の癖や心を探るのもいいが、君ほどの動きができるのであれば急激に攻めることで意表を衝ける。自分からの攻勢を意識しなさい」


「分かりました。ご指導ありがとうございます」


「よし、それじゃあ……」


 自分の決勝まで体を冷やさないようにと忠告しようとしたら、


「せんせーはアップどうするんですか! ゆいたち手伝いますよ!」


「……気持ちはありがたいが、体格差がありすぎるだろ」


「結ちゃんを肩車します。それでどうでしょう」


「いや危ないから。でもありがとな。気持ちだけ受け取っておくよ」


 ポン、ポンと二人の頭を撫でてやると、くすぐったそうに頬を緩めた。


 千虎と対峙して、心が飲まれなくてよかった。

 心が強くなったからか? いいや、違う。


「君たちがいるから……俺は戦えるんだよ」


 心を支えてくれる子たちがいるから、俺はおまえに立ち向かえるんだ。



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