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第32話:不穏な幕開け

「……アタシも驚いた。昨日の夜に参加申し込みが来たんだ」


 そこからどうやって千虎と別れ、道場に入って楓先生に話しかけたか覚えていない。


 ぼんやりした頭で、楓先生に千虎の参加を知っていたのかを尋ねていた。


「もちろんおまえと奏ちゃんのことも考えたが……そんな私的な理由で参加を拒否することなどできない。参加の理由はただの気まぐれなようだ」


 ……トーナメント表では、先に佐々木が千虎と当たる。準決勝でだ。そして俺は──順当に勝ち進めば、決勝で千虎と戦うことになる。


 まさか全国決勝の因縁がこんなところで巡ってくるとは。当然、それまでの試合も油断はできないが、武道館に見に来た観客たちは俺と千虎の決勝を楽しみにしているらしい。


 さっきから周りで『剣聖』だの『天照』だの、「全国の再戦だな」とぼやく声が聞こえてくる。


 試合場を示す白線のすぐ外で、許可証みたいな腕章を付け、高そうなカメラを構えている人もいた。ひょっとして剣道日本の関係者か? 千虎が出場する大会と聞いて駆けつけてきたのだろうか。ずいぶんと騒がしい大会になったものだ。


「せんせー、人がいっぱいですね……」

「ああ。やっぱり全国三連覇の男が出る大会って言ったら、そりゃ注目度も増すだろうしな」


 人が多ければ視線も増える。となれば重圧、緊張も比例してキツくなる。さらには武道館のすり鉢状の構造も緊張を煽る一因だ。


 誰もが憧れる聖地。そこで多くの観客に注目されながら試合をするという重圧が俺たちを蝕む。これはどれだけ場数を踏んでも慣れるものではないな──そう思っていると、


「……結ちゃん、大丈夫」


 隣で体を暖めるために面と小手を装着する奏ちゃんが口を開いた。


「あの人たちは、私たちの試合を邪魔するワケじゃないんだから」


 いつも通り、涼風を感じるような声色だった。この子はちっとも怯えた様子や戸惑っている様子がない。この大人数の前で剣道をすることがプレッシャーじゃないのか?


「奏ちゃん、君は大丈夫なのか」

「はい。この程度、何の問題も──」

「少し手が震えてるじゃないか」

「──あり、ま……」


 やはり誤魔化せないだろう。それもそうだ。この子にとっては家を出ることになった最大の理由がそこにいるのだから。これで平然としていられる方がおかしい。


「……すいません。正直、動揺しています。まさか来るとは思っていなかったので」


 大会はもうじき始まる。どうにかしてこの子の心を落ち着かせなくては。


「安心しろって。俺がずっと君を見てるし──俺がアイツをぶっ倒してやるから」

「……、はい」


 笑顔を浮かべて返事してくれるが、どうにもぎこちない。

 俺の励ましに気付いて、どうにかして気丈な様子を見せようとしているのが伝わってくる。


「結、ちょっといいか」


 奏ちゃんが自分のことをし始めた時に、隣で準備を整えた結に声を掛ける。


「はい、なんですか?」

「奏ちゃんを気にかけてやってくれ」

「……千虎 刀治さんですか」

「ああ。さすがに気付いてたか」


 奏ちゃんの様子がおかしいことは結も察していたらしい。助かる。


「分かりました。できる限り一緒にいますね」


 そう言って、結は奏ちゃんに話しかける。手を握るようにしながら準備に向かった。


 ──大会は小学生、中学生、高校生の順番に行われていく。それぞれの部で決勝進出の二人を決めたら、また小学生の部から決勝を行っていく。


 千虎は高校生で、その上第一試合がシードで免除されている。時間に余裕があるんだろう。


 記者たちに囲まれているヤツを横目に、二人は試合の準備を終えた。


「……高校生の部が始まるまでは君たちの試合を見ておくよ。録画もできるだけしておく」

「分かりました。ありがとうございます」

「せんせー、結、勝つからね」


 まずは結から。防具を全て身に着けた結が、アナウンスに従って試合場へ向かっていく。


 小学生は三十二人と最も多いカテゴリーになった。

 勝ち抜くのは難しいかもしれないが、この二人なら──……。


「──正面に、礼!」


 まず負けることはないだろう。

 スマホを横向きに構える。画面に映る結の所作は、小学生の中でも桁違いに綺麗だった。


 ああ、あの時もそうだった。この子の異様な剣の完成度に度肝を抜かされたっけな。


 まだ一ヵ月も経っていないのに、どこか懐かしい気持ちにさせられる。


「始めッッ!」


 俺たち三人にとって大事な大会が──幕を開けた。



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