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第31話:比類なき天才

 二週間が経った。今日は朝稽古はなしだ、何故なら──、


「せんせーっ! 早く早く!」

「おー、でも早く来すぎたって会場は開いてないんだから入れないぞ」


 八月三十一日。夏休み最後の日。楓先生主催の剣道大会が、日本武道館で開催される。

 ゴロゴロ、とスーツケースのような黒い防具袋を転がし、前で手を振る結を追う。


 調子よさそうだ。食堂の朝ごはんもモリモリ食べてたし、昨日も早く寝た。俺としても体調は万全。気合も体力も充実しまくって弾けそうなほどだ。


 蝉時雨も以前よりは大人しくなり、熱されたコンクリートの匂いも少しは和らいだだろうか。ほんの少しの涼しさが顔を出し始めたが、それでも真っ白に輝く太陽は俺たちの肌を焼かんと容赦なく日差しを注いでくる。


「……今日もあちぃーな、ったく」


 手で影を作りながら、片目で見上げる。

 目の前に君臨する武道館も、陽射しを受けて一際輝いているように見える。


 真っ白な光の中に憎たらしいアイツを見た気がして、すぐに目を逸らした。

 ……あの夜、割られた額がズキズキと疼く。


「あ、奏ちゃん!」


 前から弾むような声がする。耳と尻尾を生やした結が奏ちゃんを見つけて駆けていった。


「結ちゃん、おはよう」

「うん、おはよう! 今日はよろしくね!」


 振り向いて微かに笑う奏ちゃん。太陽に負けないくらいの眩しい笑顔を浮かべる結。


 あれから二週間、毎日二人は俺が止めるまでずっと稽古をし続け、すっかり打ち解けた。

 大会の然るべきところで戦うことをずっと楽しみにしている。指導している立場の俺も、この二人が大きな晴れ舞台で剣を交えるのをぜひ見てみたい。これが親心ってやつなのか。


「剣晴さんもおはようございます」

「ああ、おはよう。今日は……いや、今日も結をよろしくな」

「はい。けちょんけちょんにしてもいいですよね?」


 柔らかい笑みを浮かべながら怖いことを言ってくる。驚いた結の尻尾がまっすぐ伸びていた。


「ま、負けないもんね! 稽古は全部で二十六勝二十六敗……ゆいが勝ち越すもん!」

「こっちのセリフ。決着をつけるいい舞台だもの。私の勝つ姿を剣晴さんに見てもらうから」


 試合場に入る前から目線で火花散らす二人。しかし、そこには以前のような剣呑さはなく、互いの力量を認め合っているからこそ出せる柔らかい雰囲気があった。


 良き好敵手──そう呼ぶにふさわしい二人は、健闘を誓い合っていた。


「ぬ? このただならぬ覇気……もしやと足を運んでみれば、やはりヌシではないか雨宮!」


 すると、背後からやたらと時代劇みたいな口調と野太い声が聞こえてきた。

 俺の知り合いでこんなヤツは生涯一人しかいないだろう──佐々木 慎吾。


「おう、佐々木……おまえも出るのかこの大会」


 盛り上がった気分が急激に下がっていくような効果音を聞きながら、一応挨拶はする。


「ぬはははは! 黒神 楓氏が主催ならば、やはり弟子のヌシもいるわな! 愉快愉快! 楽しみな大会になりそうじゃあないか! 何より憧れの武道館で剣を振れるとは光栄だ!」


「せ、せんせーっ! あの時の侍さんです! 侍さんが来ましたよ!」

「ああ、そうだな。教育に悪いから見ちゃダメです。指を差すな」


 佐々木を見てはしゃぐ結の目を両手で覆ってやる。不審者から子どもを守らねば。


「え、なんですかこの人……時代劇の見過ぎじゃないですか……?」


 対して奏ちゃんはドン引きしていた。うん、それが求めていた反応です。やっぱり奏ちゃんは安定して常識人だから俺は安心します。


「むむ? 雨宮、ヌシいつの間に小童を増やしておった? 少女にモテるのう」


 ぬぅ、と毛深い腕で奏ちゃんの頭を撫でようとする。しかし、奏ちゃんは「ひぅ」と小さな悲鳴を上げて俺の背後に逃げ込んできた。


「なんか俺が子ども作ったみたいなこと言ってんじゃねぇ。っていうか無造作に触れようとするのやめろ。奏ちゃんが怖がっちまっただろうが」

「セ、セクハラです……訴えていいですか……?」


「むぁ! す、すまぬ! 儂は子どもと接する機会がないゆえに、どうやって関わったらいいか分からぬので──」


 だからと言ってボディタッチから入るなよ。犬猫じゃねぇんだから。


「まぁ、こんな冗談はさておき──」

「こっちは冗談じゃねぇんだがな」


 マジで殴るぞおまえ。こっちは子どもを守るため、という立派な理由があるんだからな。

 拳に息を吹きかけてゆっくり振り上げると、佐々木は慌てたように手を顔の前で交差させ、


「いや、待て待て聞いてくれ! ヌシにとっても大事な話なんだ!」

「あ? なんだよ」


 結と奏ちゃんを背中で隠しながら佐々木を上から睨みつけている時だった。コイツは自分のスマホを取り出して、ある画像を見せていた。……トーナメント表?


「おまえ、侍を名乗るならスマホなんざ──」

「いいから見ろ、とんでもない名前があるぞ」


 渋々と佐々木のスマホを覗き見る。背後では二人も気になるようで、結はひょっこりと顔を出し、奏ちゃんはおそるおそるといった感じで覗いていた。


 映し出されていたのは、黒神道場のホームページ。今日開催されるトーナメント表がアップされていた。小学生の部は……、


「あ、ゆいと奏ちゃん、逆ブロックですよ! 決勝で当たれます!」

「ホントだ……よかったぁ」


 興奮した様子の結と安堵したように胸を撫で下ろす奏ちゃん。

 よかったよかった。ありがとうな佐々木。そう言ってスマホを押し返そうとしたら、


「ぬはは、組み合わせが良かったか。それは重畳──ではなくてだな」

「なんだよ、まだなんかあんのか」

「高校生の部だ。儂らにとっては見逃せん名前がある」


 画面を指でスクロールし、高校生のトーナメント表を見る。全部で十六、いや十七人か。まぁ急遽な募集だったし、これくらい集まっただけでも十分凄いことだ、と思っていたら。


「右下にいる唯一のシードだ」

「────、あ」


 気付いた。息が止まった。目を見開いてその名前に釘付けになる。

 急に動きが固まったことで二人も様子がおかしいと思ったのか、再びスマホを覗き見る。


「あ……」


 結が気付いた。だが、それよりも。


「う、嘘……どうして……」


 奏ちゃんが、言葉を失っていた。

 なんで、コイツが。





「よぉーう、剣晴。武道館で会うのは二度目やなぁ……なんか雰囲気変わったか?」





 背後から関西弁が聞こえてくる。防具袋を転がす音がする。

 記憶に呼び起こされる人物の名前が、スマホの画面に映し出された名前と一致した。


 千虎 刀治。『天照』の異名を背負う、比類なき天才。


「奏ぇ。家出までしたんや。ちったぁ剣道上手なったんやろな?」


 俺の最大の因縁が、不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。

 ずきり、と。コイツに刻まれた額の傷が唸るように疼いていた。



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