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第19話:カッコつけたい理由

 陽炎纏……ふざけた名前だが、要は見せかけ技だろう。面を打つと見せかけて相手を防御に回す。そして空いた箇所を穿つ攻勢だ。


 ポピュラーな技だが、コイツはこれまでに打突の重さと膂力の強さを俺の心に刻み込んでいた。その脅威に怯えた心の隙を狙ったのだ。


「ヌハハハハッ! どうした雨宮? ヌシ、この程度だったか?」


 あまりの衝撃の重さに片膝をつく。残心を取り切った佐々木が背後で高笑いを上げていた。


「心が浮ついておるわ! 情けなし! やはり儂に勝ったのはまぐれだったようだなぁ」

「……クソ、が……」


 しかし、どこか調子が出ないことを差し引いてもコイツは強い。


 十分すぎるパワーに加え、背が低いことでスピードもある。駆け引きの場をひっくり返すようなことをしたかと思えば、単純ながらも説得力のある駆け引きを繰り出してくる。


 どこまでも自分の流れで剣道をしようというコイツの意志を感じる。そして主導権を握るだけの身体能力や技の性能を持ち合わせてやがるんだ。


「……燃え尽き症候群ってやつかな。全国二位を取ったことで……」

「強いヤツほどよくあるらしいけどな……」

「雨宮の兄ちゃん、負けちゃうのかなぁ……?」


 いつの間にか子どもたちも稽古の手を止めて、俺と佐々木の稽古を見ている。

 全国二位、全国二位、全国二位。俺という剣士ではなく、全国二位としてのレッテルを張り付けて眺めている。決勝で負けた剣士。因縁のライバルに勝てなかった敗北者。


 周囲の心が離れていくのを嫌でも感じてしまう。


「チッ……また、負けちまうかもな……」


 あの冷たい控室の光景が、嫌でも脳裏に蘇り──……、

 とーん……とーん……とーん……。


「──?」


 稽古を見ている子どもたちの中で、何か兎のように跳ねている子を見つけた。




 結ちゃんだ。




 子どもたちとの稽古は終えたのだろうか。仲良くなることはできたのだろうか。面を外し、されど竹刀だけは持ち、俺と佐々木の稽古をまっすぐ見つめている。


 いや、俺を見つめている。

 その瞳は透明だった。

 何のフィルターも通していない、純粋な瞳だった。


「…………」


 なんだ? あの目は?

 子どもたちはみんな、悲壮な目で俺を見ている。全国二位というのは俺にとっては苦しい看板だが、子どもたちからしたら憧れの的になるのだろう。


 だから圧倒的な勝利を期待した。

 俺が勝つと子どもたちは当たり前のように信じていた。

 だから劣勢になっている俺を見て失望した、がっかりとした目を向けていた。


 でも、結ちゃんは違った。

 全国二位というフィルターではなく、一剣士として、雨宮 剣晴を見つめていた。


 とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん。


 跳ねるリズムが速くなっていく。結ちゃんの体を巡る血が、徐々に加速しているみたいだ。

 スロースターターの電源が入ってるのか? 稽古していないのに、なぜ?


「せんせーなら……こうして、こうして、こうして……」


 小さく跳ねることを繰り返したまま、結ちゃんは竹刀をくねくねと動かしている。


「佐々木さんの力は凄いけど、とにかく突っ込んでくる感じなら……我慢して……」


 声はあまり聞き取れないけど。

 この世界で唯一、秋嶺 結だけは。

 全国二位とか関係なしに、俺ならどうすれば勝てるかを全力で考えていた。


「──……ハハ」


 渇いた笑いが出た。力が抜けた。

 ああ、そう言えばそうだった。千虎に負けた決勝と今では、明確に違う部分があった。


 俺には弟子がいる。俺を信じてついてきてくれる教え子がいる。

 その子が、俺の勝利の可能性を模索しているというのなら。


 先生である俺が、投げ出すなんて恥ずかしい真似できないよな。

 決して諦めない、執念の剣道。

 結ちゃんも奏ちゃんも、俺のそんな剣道を好きだと言ってくれたんだから。


「スゥ──……フゥ────────……」


 構えを解き、大きく呼吸を入れる。体に酸素を送り、脳の熱を取り払う。

 今日も暑いな。茹るようだ。まるでサウナに閉じこもっている気分だ。


「ぬ……? 雨宮……?」


 釜茹で地獄ってこんな感じか。ぐつぐつと煮えたぎる空気の中、垂れた汗を舌で舐め取る。少し鉄の味がしていた。頭の血も混じっているだろうか。


「あの子に諦めた姿は見せられねぇよな」


 構える。いつの間にか静寂に包まれていた道場に、緊張が走る。佐々木が目を吊り上げて中段に構えた。太い腕と逞しい胸板で作られた構えはなるほど強者の威容を放っているが……。


「さて、我慢比べといこうか」


 息を吸う。肺の隙間全てを埋めるほどに。

 そして、ゆっくりと吐き続ける。長く、長く……砂時計から砂が落下するように、大量に確保した空気を細く吐いていく。


 二本目は、あまりにも静かに始まった。


「むぅ、ヌシ──……」


 俺の呼吸に隙が無くなったことで、力に任せた飛び込みを見せていた佐々木の動きが止まった。


 対して、俺は虎視眈々こしたんたんと飛び込む準備を取っている。


 もしも佐々木が下手に攻勢に出れば、反射で即座に斬り落とす。出ばな技だろうが返し技だろうが、確実に粉砕する。


 俺の覚悟を感じ取ったからこそ、迂闊に飛び出せばやられると佐々木も理解しているのだ。

 ゆえに発生するのは、静寂と静謐せいひつを掛け合わせた立ち合い。睨み合い。

 かかって来いよ佐々木。俺の構えを崩せるもんなら崩してみろ。


「ぬ、ぐ、ぅう…………」


 どれだけ佐々木が鋭く間合いに侵入しようと、決して中心は譲らない。

 どんな小手先の見せかけをしてこようと、俺の胆力を乱すことは許さない。


「ふ、ぅ────────……」


 佐々木の頬が引き攣った。思うように攻めることができず、焦っているのだろう。

 かくいう俺も辛くなってきた。

 どちらの集中が先に乱れ、構えが崩れるかの根競べ。


 決して諦めない。執念深き剣道。その正体は半ば根性論に近い粘りと集中の戦いだ。

 血管が膨らむ。皮膚のすぐ下で破裂しそうだ。


 頭の包帯から血が滲んできて……そのまま頬を伝った。

 切っ先を佐々木の竹刀の上に乗せる。ヤツが嫌って巻きに来る。それを抜いて中心を奪う。尺取り虫のように足を動かして侵入すれば、ヤツは間合いを広げる。そんな応酬が続く。


 灼熱の空気の中、俺たちの汗は道場の床に何度も垂れた。

 ごくり、と風船のように膨らんだ緊張で誰かが息を呑み、


「────────────────、ぅ」


 佐々木の構えが僅かに傾いた。

 中心から逸れた体重を──見逃さねぇッ!


「だらぁああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 ようやく待ち侘びた一瞬。渾身の一撃は動けない佐々木の面を叩き割った。緊張に膨らんでいた空気が炸裂音と共に爆発する。


 残心を取りながら息を入れる。


 俺の粘り勝ちだ。猪突猛進と言わんばかりに突っ込んでくる佐々木ならば、長く構え続けることはできないだろうと見込んで我慢比べを仕掛けたが、上手くいった。


 周囲の大人や子どもたちから歓声が飛んでくる。待っていたと言わんばかりの拍手がしばらく止むことはなかった。


「ぬ、は、は……御美事よな、雨宮ァ……さすがは『剣聖』だ」

「おまえ、やっぱこういう我慢比べ苦手か? 耐える剣道って向いてねぇ気がする」

「儂は男らしく突っ込んでなんぼよぉ。ヌシの剣とは違うわい」


 やっぱコイツ猪だ。もしくは闘牛。まぁ、そういう乱打戦に持ち込んでも競り勝つだけの身体能力を持っているんだから、それが性格的にも一番馴染んだんだろうな。


「今の一本はどうした? まるでかつてのヌシのようではないか。見直したぞ」

「……あ~、まぁ」


 ちら、と横目で一人の少女を見る。

 声に出していないものの、にんまりと笑みを浮かべて、頬を上気させていた。


「──ちょっとカッコ付けてぇ理由ができた」


 可愛らしい教え子ができたとは、言いにくいから黙っておこう。


「くはっ……」


 何が面白かったのか、佐々木は噴き出しながら竹刀を持ってない右手で自分の面を叩く。


「よい顔付きだ。そうだ。それでこそ雨宮 剣晴。儂を斬った男の名よ」

「まだ決着ついてねぇけどな」


 互いに一本を取ると、勝負という段階へ進む。最後の一本を競う大一番だ。

 絶対に負けない。教え子が見てるのに、恥ずかしい姿なんか晒してたまるかよ。


「行くぞ雨宮ァッ!」

「来いよ佐々木ッ!」


 俺はどこまでも跳んでいける。

 結ちゃんこそが、俺の心に空いた穴を埋めてくれるかもしれない。

 先生がそう言っていたことを思い出しながら、俺は佐々木との勝負に突入した。



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