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第18話:じわりと滲んで

「めぇえええええええんッッ!」


 パァンッ! と結ちゃんの打突が、同い年くらいの男の子の面に炸裂する。

 最後まで油断せずに残心を取りきり、文句なしの一本を獲得した。


「うわぁっ! やられた! つえぇ~」

「えへへ、ゆいの勝ち!」


 面に手を当てて悔しがる男の子の前で、にこやかに笑う結ちゃん。

 稽古の様子を見ていた周囲の大人たちも、感嘆の息を漏らしていた。


「良い太刀筋だ。迷いがない」

「本当に小学生か? 踏み込みの速度が並外れてるね」

「あれなら全国も堅いんじゃないかなぁ」


 絶賛の嵐だ。聞いている俺も少し鼻が高くなる。


「ありがとうございまし──」

「次の人っ! お願いしますっ!」


 ん? 今、稽古してくれた男の子が礼をしたのに、結ちゃんは礼を返さなかった……?


「おい、結ちゃ──」


 声を掛けようとしたが、結ちゃんはすぐ他の子と稽古を始めてしまった。


「……」


 今のは、気のせいじゃないよな?

 そう思いながら腕を組んでいると、


「おい、雨宮っ! 儂と稽古してくれるんだろう?」

「あ、ああ──」


 佐々木に注意を促され、結ちゃんの稽古から目を離す。どうしてもさっきの光景が気になって目線だけは追っていたが、これ以上佐々木を待たせると面倒だ。


「ぬっふっふ、とうとうこの名刀・虎徹丸こてつまるを抜く時が来たようだな……」

「はいはい、三千円の虎徹丸な。ちゃんと斬れるといいな」


 竹刀の値段は平均して一本当たり三千円くらいです。


「ゆくぞぉッ! ヌシとの決闘で折れてしまった宝刀・正宗(まさむね)の雪辱戦じゃあッ」

「あー、決勝でおまえの竹刀ささくれちまったんだっけ? 悪かったな」


 竹刀は四本の竹で出来ているので、ささくれた一本を取り換えればまた普通に使えるようになる。ささくれていると竹のカスとかが目に入って危ない。


 しかし、竹を換えただけで名称変わるのか。便利な設定だな。


「お、……雨宮君が稽古を始めるぞ」

「あの変な子とやるのか。地区大会でも勝ったんだろう? 余裕だろうさ」

「見に行こうか」


 負けたとはいえ、全国二位という看板は注目を集める。

 蹲踞を取った瞬間、壁際にいる大人たちが俺たちの邪魔にならないよう集まってきた。


 全国二位の腕前は如何ほどか──そんな興味が湧いているのだ。

 別に注目されるのはいいけど、全国二位というフィルターは邪魔だな。


 ああ、と。そこでふと気が付いた。

 奏ちゃんは、きっとこんな気分だったんだろうな。


 あの子が千虎 刀治の妹と言われ続けるように、これから俺は全国二位という名前になる。

 全国二位だからできて当然。全国二位だから勝てて当然。

 俺はそんな重圧を、これから背負い続ける。


「…………きちぃな」


 あの子にとっては全て千虎 刀治の妹だから、と置き換えられる。そうやって望まないフィルターで覗かれる気分は、たまったものではないだろう。


「ッシャァアアアアアアアアアアアアアアッッ!」

「……ラァアアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 心の中にささくれを感じたまま──稽古が始まった。


「ぬ? 集中が甘いぞ雨宮ァッ!」

「──ッッ」


 瞬間、一気に弾ける佐々木の体。下から伸びてくる様は猪が飛びかかるようだった。


 辛うじて防御が間に合うが、続く体当たりで視界が大きく揺らいだ。なんという膂力。下手をしたら身長百九十を超えている千虎より重い。


 内臓を襲う圧迫感で息が詰まり、次の手が遅れる。そんな隙を逃すコイツではない。


「必殺・兜割かぶとわりィィッッ!」


 ただの引き面だろうが。

 零距離で俺の頭蓋を叩き割るために虎徹丸──と名付けただけの、ただの竹刀──を振りかぶる。ふざけた名前だが、血管が皮膚を破らんと浮き出ているコイツの腕の力は底知れない。


 その名の通り、直撃すれば本当に頭が割られそうだ……ッ!


「技名を、言ってんじゃねぇッッ!」


 引き面の残心は、両腕を高く突き上げることにある。しかし、その瞬間は胴を晒すことになる。竹刀の側面で打突を流し、がら空きの腹を引き胴で狙い打つ。


「ちっ──……」


 だが、後退するヤツの足捌きの方が速い。僅かに佐々木の胴を掠めただけで、打突が有効となる切っ先三寸では捉えられていない。


 剣で人を斬れるのは切っ先三寸だけと言われている。竹刀で言うなら中結なかゆいと呼ばれる、竹刀の先端三分の一あたりに括られている白い帯から先を指す。


「おぉおおおおッッ!」

 すぐさま追って打突を繰り出す。しかし、その出鼻を読まれていたのか、ヤツは一歩鋭く入って俺の打突を無効化した。竹刀の根元でヤツの面を捉える。これも一本にならない。


「なんだ、ずいぶんと打突が雑ではないか雨宮。心が乱れているのか?」

「喧しいんだよ……黙ってねぇと舌噛むぞ」


 竹刀の根元で相手の部位を捉えることを元打ちという。真剣で言ったら遠心力が乗らない部分であるから、斬っているとはならないのだ。


 今、佐々木が一歩踏み込んできたのは、俺の打突のタイミングは見切っているぞという意思表示だ。つまるところ──舐めている。


「……うーん、雨宮君、調子悪いのか?」

「そうだね……以前のようなキレがない気がする。頭のケガのせいかな?」


 目の前の佐々木に意識を集中させていても、周囲からの声を拾ってしまう。

 クソ、うるせぇな。黙って見てろ。


 鍔迫り合いに移行する。この時、漫画や創作物では力を込めて拮抗するような表現が多く見られるが、それは厳密に言えば間違いだ。この時に力を必要以上に込めると、相手に体重や力の方向を教えることになる。


 つまり、簡単に裏を取られてしまうということだ。一度流された力を戻すのは容易ではない。ほんのコンマ数秒程度だろうが、明らかに後れを取る。


 0.1秒以下の世界で競い合う剣道にて、その遅れは致命傷。故に、どう力を掛けさせるか、体重をズラすか、そういった駆け引きが重要となる──。


「ぬんっっ!」

「のわ……ッ!」


 しかし、佐々木は持ち前の腕力でその駆け引きの盤をひっくり返した。

 竹刀を合わせる俺の腕ごと弾き、ヤツから見て右に体を持ってかれる。


 重すぎんだろコイツ。どんな体重してやがる。よく見たら道着に皺がない。普通、道着は大きめのサイズで合わせることが多いからだいぶ余裕があるはずなのに。


籠手落こておとしィィッッ!」


 だからただの引き小手だろ。


 ビシィ! と小手ではなく、俺の肘付近にヤツの打突が命中する。痺れるような痛みが走る。一瞬だけ目を遣れば、僅かに出血していた。周囲の大人たちが驚いたような声を上げる。


 コイツ。腕力だけじゃない。手首の柔軟性も大したもんだ。体がほぼ密着している状態から打突を放ってこれほどの威力を出すなんて。ほとんど手首だけで打ってるようなものだ。


 俺に予選の決勝で負けたことが相当悔しかったみたいだ。明らかにその時とは違う。ただでさえ厄介だったのに、さらなる磨きを掛けてきやがった。


「テメェ……いちいち技名言うとかどういうつもりだ」

「ぬん? 決まっておろう! 技名は己を鼓舞するもの! 必殺技は必殺を誓ったもの! 宣言と同じだ。ヌシから一本を取ることが約束されているから叫ぶのだ!」


 そういうことか。出した瞬間に取ったと確信してんのか。

 まだ一本も取られてないと言いたいが、確実に追い詰められてきている。


「──……」


 じわり、と。

 千虎にやられた時の絶望感が襲ってきた。体が鉛を詰められたかのように重くなる。


 ……自分でもおかしいと思う。疲れているのか? いやいや、そんなはずはない。頭にケガを抱えているものの、調子自体は悪くない。


 ──かつてワイを脅かした男がこんななよなよなってたか。

 ──おまえにも大きな穴が開いてんだよ。

 ──どうした雨宮、集中が甘いぞ。

 ──雨宮君、調子悪いのか?


 誰もが俺の様子をおかしいという。そんなバカな。俺は──……、


「秘技……陽炎纏かげろうまとい

「──ッ」


 ぐん、と巨大な岩塊のような体が一気に迫って来る。

 威力を心に刻まれているから、迫力に押されて反応してしまう。

 僅かに手元が浮く。面を防ぐため、反射的に腕が防御を取ってしまい──、


「隙アリィイイッ!」


 ズドォンッッ! 俺の左胴に、棍棒で殴られたのかと紛うような逆胴打ちが炸裂した。

 内臓が震撼する。こみ上げる空気に、口から苦悶の声が漏れた。

 一本──誰もが認める一本だ。周囲から歓声が沸いた。



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