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第7話:エンジン

「地稽古……ですか?」

「ああ、嫌か?」

「いえ、嫌というワケじゃないんですけど……」


 息を切らしながら返答する結ちゃんはどこかもじもじしている。

 しばらく目線があちこち泳いでいるなと思ったら、


「──あの、本気で……お願いできますか?」


 そんなとんでもないことを言い出した。

「……、……んん? 本気? ガチでやってくれってことか?」

「はい。やるからには全力で──ぶつかってきてください」


 目が点になる。いやまぁ、稽古する以上、適当にするつもりはなかったが。

 しかし、本気……本気かぁ。性別、体格、歴、経験と何もかもが違う。


 確かにこの子が小学生にしては相当動けるのは認める。将来が楽しみであるというのも本音だ。正しく鍛えていったら全国でも戦えるようになるだろうな。


 だが、それはあくまで将来の話だ。現状において……俺がこの子相手に本気を出せるワケがない。最悪ケガを負わせてしまう。


「……分かった。本気。本気だな。それでやろう」

「──……ッ、はいッ! ありがとうございます!」


 でも、ここで真面目に断わる必要もない。適当に言って、俺はこの子の腕前を確かめるべく稽古する心持ちでいればいい──。


 一礼。三歩すり足で寄って、蹲踞しながら抜刀。一つ呼吸を挟んで。


「ッシャアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「サァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 互いに気を充実させる声を発しながら、立ち上がって中段に構える。

 当然だが小さい。俺が全力でぶつかればこの子は吹き飛んでしまうに違いない。


 そんなことはできない。自由に打たせて、空いた隙をポンポンと取っていこう。

 これは試合といった勝負ではなく、あくまで稽古なのだから。


「メェンッ!」


 結ちゃんがいきなり大きく跳び込んで面を狙ってくる。

 腰の入り具合、打突の伸び、太刀筋と小学生にしては完成されている打突に感心するが、


「……バカ正直な打突が当たるワケないだろう」


 竹刀の側面で打突を捌き、流れた体の逆側から面を打つ。


「ほいよ」


 ぱこんっ! とどこか間の抜けた音が結ちゃんの面から響く。

 微かな呻き声と共に結ちゃんが残心で抜けてから振り返る。緩急を織り交ぜた間合いの詰め方はまさしく実戦での立ち回りだろうが、


「止まった瞬間は打突できないぞ」


 逆に俺が一歩踏み出し、結ちゃんの呼吸を崩す。

 居付いたタイミングを逃さず、面を打つ。俺の呼吸をズラしに掛かったのだろうが、それは俺が結ちゃんの動きに戸惑いを覚えた場合だ。


 並の小学生なら確かに気の揺らぎを誘えるだろう。しかし、相手は俺だ。目の前でちょこまかと動く子どもに動じる理由などどこにもない。


「……ッ」


 繰り出す仕掛けが通じないことを悔しく思っているのか、結ちゃんの表情が険しくなる。

 その後、何度も突撃しに来るが、そのすべてを俺はいなして打っていく。


「はぁっ……はぁっ……!」


 五分もすれば結ちゃんの呼吸は荒くなっていた。

 うーむ、まぁやっぱ小学生だし、いざ実戦ってなるとこの程度だわな。


 動きも鋭い。打突も上質。しかし正直すぎる。おそらくは駆け引きが苦手なタイプだ。

 剣に愚直な性格がよく滲み出ている。


 俺が出ようとするフェイントに釣られてしまうし、打突も裏を掻こうという怖さがない。

 まっすぐに思いを伝えてきた昨日のように、一直線にぶつかってくる。


 言い方は悪いが、剣道には相手を騙してやろうというくらいの気持ちが必要になるのだ。


 ──剣道は対話だ。


 相手の目線や呼吸、竹刀の動きなどを感じ取って心を読む。

 だから裏を掻く必要があるし、相手をコントロールする術も必要になる。


 動きの鋭さといった身体能力にしか頼れないところがもったいない。相手が小学生ならばまず圧倒できるだろうが、自分よりも身体能力で優れた相手には通用しない。


 自分が勝てる土俵に相手を引きずり込む……そういったずる賢さも必要になるのが剣道だ。


 まぁ、やる気は十分。素質も上等。教え甲斐はあるかもしれないな。


 というかそれより、この子を負かした相手とは何者なのか──。


 息を切らしながら必死に打突を繰り出す結ちゃんではなく、結ちゃんを倒した何者かに意識が向いた瞬間だった。


「……せんせー……」

「ん? ああ、どうした?」


 とん、とん、とん……と結ちゃんがボクサーのように細かく跳ねている。


「本気で、って……お願いしましたよね……?」


 低い声が、耳朶を舐める。

 ガラリと変わった雰囲気に一瞬だけ思考が止まる。


「あ、ああ……だから本気でやってるぜ」

「嘘、吐かないでください」


 ずばりと言われた。やっぱりバレるか。


「あなたはもっと……全身から闘気を迸らせるような剣道をする人でした。そんな姿に感動して、ゆいはせんせーに指導を願い出たんです」


 とんとんとんとんとんとん。結ちゃんのリズムが加速していく。

 まるで、エンジンに火を入れるバイクのような。


 それがまるで、彼女の心臓から響く鼓動のように聞こえて。


「あー……まぁ、真面目にやっちゃあいるけど、そりゃ本気ではやれないさ。体格が違いすぎる。本気でぶつかったら吹き飛んでケガさせちゃうからよ」

「…………」


 僅かに俯いて結ちゃんの表情が見えなくなる。


「…………、……ゆいが弱いから……手加減してるんですね」

「結、ちゃん……?」


 とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん。


「ダメですね……大事な人がいなくならないように、ゆいは……」


 とん、と。俺の声を無視して、一際高く跳ね──、




「──強く、ならなくちゃ」





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