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第4話:この子は俺だ

「……、……あん?」


 言いかけた言葉は頭から吹き飛んだ。


「魁星旗の決勝を動画で見てからずっと注目してました! それで個人戦でも全国に出場したって知って、いても立ってもいられなくなって東京からここまで来たんです! そして決勝戦を見て確信しました! やっぱり『剣聖』さんがいいって!」

「いや、いやいやいやいや……」


 おかしいだろう。尊敬する剣士に教えを乞うことは分かるが、決勝戦を見て俺に決めたというのが本気で理解できない。


「なんで俺なの? 俺は負けた。弱いんだよ。教えを乞うなら千虎にしておいた方がいい」

「いいえ、ゆいはあなたの剣に感動しました。絶対に勝ってやる! ……そんな執念がひしひしと伝わってきました。ゆい──剣道を見て泣いたのは初めてでした」


 先ほどのはしゃぐような様子とは違って、急に凛とした雰囲気を醸し出す小学五年生。

 言われてよく見たら、瞼が赤いような……?


「確かに千虎 刀治さんも強かったです。でもあの人の剣は……怖かった。冷たくて、誰も触れられないような……機械みたいな残酷さがありました」


 いつだったか。千虎が電話で言っていたことがある。


『また部員が辞めたわ。ワイの稽古についてこれへんて。ま、関係あらへんけどな。下手なヤツなんかおらん方がええ。自分が強くなればええ。取るに足らん雑魚なんぞほっとくが吉や』


 背筋が凍った。『天照』と呼ばれる男とは思えないほど冷酷な答えに、心の底から震えたのを覚えている。

 あっけらかんとした様子で、微塵も間違ってないと信じ切る心が悍ましかった。


 コイツが魁星旗に出てこなかったのも頷ける。人数が足らなかったからだ。


「あの人は強い。でも……冷たい。すごいとは思いますが、憧れは……しないです。なんというか……戦った相手の心を折るような、そんな剣道でした」


 子ども故だろう。心を隠さない正直な物言い。

 しどろもどろな様子だが、言いたいことはよく分かる。


 アイツが『天照』と称されているのも、手の届かない存在だと周囲が諦めるためなのかもしれない。


「でも、『剣聖』さんの剣道は……こう、心にぎゅ~って来たんです! 見ているこっちまで心が乗り移っちゃうような……応援したくなるような気持ちでいっぱいになったんです!」


 上手く言えないもどかしさに困りながらも、必死に思いを伝えようとジェスチャーも交えて話してくれる。

 興奮しながら話す動作の一つ一つが俺の心に染み渡る。


「努力、ですかね……? あなたの戦う姿からは、すっごくすっごくたくさんの稽古をしてきたんだろうな、っていうのが分かったんです。千虎さんからは冷たい才能が……でも、あなたからは、温かな心と努力が、確かに伝わったんです!」


 嬉しい。決勝で負けて二位になったとしても……こんな風に言ってくれる人がいるんだ。

 噛み締めて目を閉じる。開いてから言う内容は決まっていた。


「秋嶺 結ちゃん」

「は、はいっ!」


「それでも──ごめん、俺に君を指導することなんてできないよ」


 思わず心が感動で震えていたが、それとこれとは話が別だ。


 努力では才能に勝てやしなかった。

 俺は人の心を動かす剣道はできたかもしれないが、人に勝利の喜びを与えてあげられることはできないだろう。


 それに──弱冠十八の小僧が、一人の少女の剣道人生を背負うことなどできるワケがない。


「君がそう言ってくれるのは嬉しい。本当に嬉しかった。ありがとう……でも俺の剣道では、俺の努力では圧倒的な才能に勝てやしないんだ。だから──」


 敗北者が何を教える? その指導に説得力は生まれるのか?

 俺の言うとおりに剣道をして、結果が出なかったら誰が責任を持つというのだ?


 俺と楓先生(二十八)といった年齢ならともかく、こんな小さな子の剣道に翳りを生み落としてしまったら、どうやって責任を取れという。


 重く考えすぎかもしれないが、終ぞ千虎という才能を超えられなかったことで、心に深い闇が生まれてしまっているかもしれない。


 それが自覚できるくらいには打ちのめされている。

 ごめんね、と最後に言い残し、小さな剣士から離れようとした時だった。


「待ってくださいッ! ゆい……強くなりたいんですッ! どうしても、強くならなくちゃいけないんです! あなたのように……決して諦めない執念が欲しいんですッ!」


 俺の手を握る。弱い力だった。子どもだから当たり前か。


「剣道を見て思いました! 『剣聖』さんは努力の人だって! きっと、ずっと稽古してきて、朝から夜まで竹刀を振って来たんですよね? 分かります! ゆいだってそうだから!」


 でも、彼女の掌の感触は、伝わってきた。




 ゾッとするほどの数のマメと水膨れで埋まっていた。




「──……ッ」


 おおよそ小学生女児が付けていい傷ではない。

 この年で、どれほどの鍛錬を繰り返してきたのか。

 こうまでして強くなりたい理由とは何なのか──。


 ……初対面の子に、個人のことを深く聞くことは憚られる。

 しかし、これだけは分かった。


 この子は、俺だ。


 俺はこの子に、自分の面影を見た。

 必死に努力して、流した血と汗と涙の数だけ強くなれると信じて……いずれは天にも手が届くと、本気で信じて足掻いてきた俺の分身だ。


 言うなれば──昔の俺を見ているような。


「君は、そこまでして、強く……なりたいのか」

「はい──強く、なりたいんです」


 猫のような瞳の中に鋭い切っ先を見た。

 この子の魂には、真剣が宿っている。

 それ以上問うことは、この小さな剣士への失礼に値すると判断した。


「──、──……分かった」


 この子はやがて俺と同じような軌跡を歩むのだろう。努力に努力を重ね、積み上げる。


 そうして歩むことしかできないのだ。

 それしか知らず、ただ愚直に突き進む。


 この子がやがて俺のように絶望するのなら、それを見逃すことなどできるはずがない。


 怖い。言葉には責任が伴う。言ってしまえば取り消すことはできない。

 でも──でも。


 この小さな剣士は、覚悟を決めて俺に飛び込んできたんだ。

 だったら……俺も本気で応えねば、無粋というものだろう。


「分かった。なら今度……黒神道場においで。そこで君の剣を見せてくれ」

「──……っ、はいッッ!」


 目の端に一掬の雫を浮かべながら、秋嶺 結ちゃんは満面の笑みを浮かべた。


 ……二位のメダルを握る代わりに、俺が手に取っているのは傷だらけな女児の手。


 会場の喧騒とは切り離された世界で、俺と少女──秋嶺 結は出逢った。



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