※文末にある「
第1回帝国議会
衆議院
本会議 第14号
明治23年12月19日
(明治23年12月18日の議事の続き)
議長(津田眞道):多数決により採決を終えましたが、9名の委員を設置するという説にも賛成者がおり、問題となりましたので、決を採りたいと思います。
伊藤熊夫(276番):決を採る前に少し述べます。特別委員はよく設置され、小さなことでも調査を依頼しますが、この問題に関しては興廃の調査を付託し、その報告を待って決めないと諸君の意見が定まらないというほどの問題ではないと思います。ですから、すぐに決を採ることを望みます。
立石寛司(14番):私が提案した終局の件が決まりましたので、直ちに二読会を開くか否かの決を採り、二読会を開くと決した場合、その時に至って委員を設置するか否かの決を採るのが良いと思います。
(宮崎榮次郎:立入君の説は、二読会を開く前に決を採らなければならないと思います。)
天野若圓(191番):私もその事について一言申し上げたい。
議長:議事規則第九十条の三項には「議員より提出された議案は、大体について討論した後、第二読会を開くべきか否かを決すべし。もし委員に付託する動議があって之を可決したときは、その報告を待ち、第二読会を開くか否かを決すべし」とありますので…(聞き取れない声)…それに基づいて、書記官長に朗読させます。
(横堀三子:議事規則は持っていますから、朗読には及びません。)
曾禰書記官長:議長の命により…(朗読の必要はない)つまり第九十条の三項です。(既に分かっているという声)
(立入奇一:色々な議論がありますが、やはり私の言うことを先に採っていただかないと困ります。)(その通りという声)
天野若圓(192番):その事について先ほどから申し上げたいと言っているのです。それに関わらず良いのですか? 簡単です。
議長:簡単ならば良いでしょう。
天野若圓(191番):全体、この法案を通読しますと、甚だ粗漏と言って良いのですが、中には往々にして竹を継いだような甚だしい事柄も見出しました。(何を言っているのか、もう終局だと言う声)このようなことは速やかに委員を設けて、それに付託して決めるようにしたい。
議長:決を採ります。9名の委員に付託するという説に御同意の方は起立。
(起立者少数)
議長:少数につき成立しません。よって、これから二読会を開くか否かについて決を採ります。この案に関して第二読会を開くことに賛成の方、起立。
(起立者多数)
議長:起立者多数ですので、これで決まります。
(豊田文三郞:「着席の人員は何名で、起立者の数は幾名ですか」と問う)
曾禰書記官長:着席者132名で、起立者74名です。
第二保安条例廃止法案第一読会
議長:これから議事日程にある保安条例廃止案の一読会を開きます。
飯村丈三郎(166番):この保安条例廃止案を議する前に一言発言したいのですが、よろしいでしょうか。
議長:何か緊急のことがありますか?
飯村丈三郎(166番):この議院法第四十条によれば、「政府より予算案を衆議院に提出したときは、予算委員はその院において受け取った日から15日以内にこれを報告する」となっています。つまり、政府が予算案を提出してから今日で15日目になります。すると今日この報告がなければ、当議院はこの議院法を破った形になると考えます。本院の状況を見ますと、権利問題の議論は随分盛んですが、未だ実際の経済法案についての議はありません。そして本員はこの重大な予算案については本日がその報告を受けるべき日と考えていますから…もし、このことの報告があるならば、保安条例廃止案を議する前に報告をお願いしたいと考えます。
議長:まだ委員からの報告はありません。
(書記官が議案を朗読)
明治20年12月公布勅令第六十七号 保安条例を廃止す
(加藤平四郎が演壇に登る)
加藤平四郞(275番):私は保安条例廃止案を提出して、諸君の御一考を煩わしたいと考えておりますが、そもそもこの保安条例廃止案というのは、私たちが今日まで交際している人々、また世間一般の話を聞く限りでは、特に不同意者や反対者はないように思います。しかしながら今日に至ってこのような案を私が持ち出すということは、あるいは不要であるという人もいるかもしれません。特別な説明を要するほどの案ではありませんが、既に案を提出した以上は多少の弁明をしなければなりません。さて、この保安条例というのは憲法の実施以後はその効力を失ったものかどうかということも一つの問題です。ある人の論によれば、憲法第二十二条において、日本臣民は法律の範囲内において住居及び移転の自由を有するとあります。そうである以上、このような条例を法律ということはできません。そしてこの条に抵触するものであれば無論無効である、という議論をする人がいます。もしそれが憲法に抵触するものであって、全く本日以降に効力のないものならば、最早議論するにも及びませんし、ましてや廃止案の議論を持ち出すにも及びません。しかしながら憲法の二十二条に「法律の範囲内において」という言葉があり、そしてこの保安条例というのは、その「法律」というものの中に含まれるか含まれないかということは、一つ究明しなければならない問題だと思います。私は憲法の末項を考えますと、総じて法律命令その他いかなる名称をもってするにかかわらず…という箇条があります。そうである以上、これはまた憲法の末項において、お粗末ながら法律の中にあるものと考えます。そしてこれは法律の範囲内に入るものだと考えます。そしてこれが法律に含まれるのであれば、つまり憲法第二十二条において、私たち日本臣民はこの保安条例の範囲内において、住居移転の自由を得ることになるのだと解釈されます。もしそうならばこの保安条例は、世の中に生きているものであり、私たちは保安条例の範囲内でなければ住居および移転の自由を得られないということになります。そうすると甚だ迷惑なことであり、余儀なくこれは廃止しなければならないと考えます。そして全体、この法律に限らず全ての法律を出すことはあまり軽忽に制定すべきものではないということは、もとより私たちが議論するにも及ばないことですが、この法律ができた時、あるいはこの法律の各条が保安条例の全体について見た時に、果たしてこれは臣民に遵守させるだけの価値をもって慎重に成立したものなのかどうかということは疑いを置かなければなりません。私は保安条例の全体七箇条を見ますと、一つとしてこれは慎重に考え抜いた上で、4千万の臣民が日本の法律として遵守しなければならないという価値あることを見出さないほど、これは軽忽に成立したものであると考えます。そのことはあるいは本条と言い、あるいはこれに設けられた他の刑律などと比較しても全てにおいて軽忽に見えるのみならず、第七条においてその条例公布の日から施行するとあります。従来日本の習慣において法律は公布して即日から施行するなどということは、慣例にもないことです。そうすると、終始一貫この条例の精神を考えれば、ただ時変に際して急を要する事態を防ぐということより外はないのだと思います。つまりこの条例を初めて公布された時、政府は目前にその必要を感じたものであり、今目前に必要だという緊急の事態を処理するのに、永久に存在すべき法律をもって処理することは、誠に軽忽と言わなければなりません。ある人は天皇陛下の大権においてあるいは行政官の職権内において、あるいは警察官の職権内において、わずかに人民が動揺する時あるいは社会の秩序を害するとか、社会の安寧を妨げることがあった時は、いずれの法規においても臨機の処置をすることができます。そうであるのにこのようなものを公布して永久に存在させなければならないということは誠にその意を解しません。故に政府がこの法令を出し、またこの法令のある箇条を適用したその時の状況を考えてみますと、誠に軽忽極まった状況でした。政府においても今日は後悔していると思います。この今日においてこのような条例を日本…日本の国の今日に必要であるということは政府自らも感じていないと考えます。そうであるのに私は不思議に思います。この憲法によってこれが法律と見なされるものであれば、政府はなぜこれを今日まで存在させていたのでありましょうか。私たちが考えるならば、誠にこの条例のようなものは殆ど日本という立派な面に泥を塗られたように考えている。かりにもこの法律が社会に効用を現し、法律をもって社会の秩序を立て社会を整頓していくという諸君においては、法律というものは如何にも慎重に、効用の多いものにしなければならないはずです。そうであるのにその法律を軽忽に作り、そして人民に不愉快を感じさせ、そしてなおまたそれを必要としない時まで存在させておくということはどうしてもわからないことです。今あるものに例えて言うならば、もし大臣や参議に出勤するには洋服の上に筍笠をかぶって行けと言い、あるいは人力車の鰻頭笠をかぶって行けと言えば甚だ不適当であると言って、大変迷惑に思われるでしょう。ちょうどそれと同じく、私たち日本国の情態はこのような残酷な野蛮国にもその例を見ない法律を日本臣民に遵守せよと言えば、日本臣民はありがたくこれを受けるでしょうか。ちょうど大臣に向かって筍笠をかぶれと言うのと似たようなことではないでしょうか。もし洋服の上に筍笠をかぶって出勤することができるならば、日本臣民は保安条例を戴いて生きていくことができるかもしれませんが、これは人情としてできないことです。我慢できないことです。大臣が筍笠をかぶることができないならば、日本臣民は保安条例を戴くことはできないというのが至当であろうと考えます。そういうわけでありまして、私は今日以降において、もし臨機の処置であれば警察官の職権において、あるいは行政官の職権において、あるいは憲法第八条第九条の天皇の御特権において、いかなる場合と雖もこれを防ぐことができるのに、このような法律を設けて…存在させておいて日本国に生まれている者の民心を縛っていくというのは甚だ宜しくありません。これを存在させることは私が前に申しました通り、日本国の汚点です。誠に美しい日本という顔に泥を塗られているという気持ちを抱いているものですから、今現に行われていて特に害のない…無効のようになっているからどうでも良いという感想を持っている人がいるかもしれませんが、とにかく塗られている泥というものは人前に出るには拭わなければならないという気持ちでいますから、私は顔の泥を拭う気持ちをもって、日本国の中から保安条例を退去させようという考えです。幸いに御賛成をお願いします。
清水粲蔵(139番):議院法第二十七条によって、一読会だけで…三分の一以上の賛成があれば二読会三読会を要さないようにしたい。
板倉中(131番):私は今の発議に賛成します。
大津淳一郎(288番):私は反対の意見を持っています。発言してもよろしいでしょうか。私は反対の意見を昨日通告しておきましたが…
議長:大津君。
(大津淳一郎が演壇に登る)
大津淳一郎(288番):私はこの保安条例廃止の案が出ましたことについて、昨日書記官局においてこの案について通告があったかどうか聞きました。そうしたら(不要だと言う声)、9名ほどの賛成者が出ておりまして、反対の意見を持っているものは一人もいませんでした。そこまで保安条例というものは社会に容れられない、世論に背いている法案なのかと思いました。また改めて考えてみますと、社会の世論に背いている法案ではない。この議場には一種の感情があって、この衆議院というものは一種の感情に支配されている。(反対の声が四方から起こり議場騒然となる)その感情の中で、つまりこの案を…(再び議場騒然となる)…そこまで反対意見がなかったのかと考えますが、私はこの保安条例廃止という趣旨は、一向にその説明について見てもわかりません。この説明からして、段々反対の意見を述べようと思います。
今、その説明を挙げてみますと、大体四段になっていまして、その第一段に「現行保安条例の各条を案ずるに、甚だ厳酷にして他の法令と緩急の均衡を得ざるのみならず」とあります。これが廃止の要点になりましょうか。もしこの条例中の文言に緩急他の法律と釣り合わないものがありましたら、宜しくその文言を修正するべきです。立法部の私たちは、どう言うことにも変えることができる権利を持っています。他の法律と釣り合わないという箇条をもってこれを廃止するのは、私には全くわかりません…簡単に段々述べます。次に「斯かる条例の存在することは却って内は民心の和を破り、外は国家の体面を汚損する」と、只今この出題者が述べている言葉ですが、重複して再び申し上げます。私はこの法案から見て、つまり民心の和を破るような少しでも悪いところがあれば改正するのが良い。保安条例というものは民心の和を破ることは少しも考えられない。私は日本国中においては平和を保つ条例があればこそ民心の和を図るという考えです。次に「国家の体面を汚損するのを免れない」とありますが、一国の保安を保つ法律が日本国に存在して、日本の体面を汚損するでしょうか。もしこの法律がなくて粗暴なものがこの社会に現れたならば、日本の体面を汚損するでしょう。このように法律があって社会の取締りをすればこそ、日本の体面を保持することができる。私は汚損と言うよりは、私はこれを保持するものと見て宜しいかと思います。それから「我政府がこれを公布した当時の状況を回想するに、当局者も亦只必要を当時に感じたるに過ぎず、永久不変の良法なりとして発せられたるものにも非ざるを信ずるなり」とあります。これが一種の感情を与えたもので、私も知っていますが、この法律を公布したのは明治20年の12月で、私もその晩にぞろぞろと警察官に拘引される者を見ていましたが、当時の惨状は確かに私も如何にも残酷な状況だったと思います。とは言え当局者その人がこれを使用するのが間違っていたと思いますが、いわゆるこれは使用仕方が悪いからといってこれを廃止するというのはおかしい。それはちょうど坊主が憎いと言って、その着た袈裟まで焼き捨てろと言うのと同じです。私はまたこの法律を正宗に例えて申します。これを使用するものが誤って自分の身に傷を付けたからと言って、これを蔵の中に仕舞っておくと言うのは良いが、直ちにこれを水の中に放り込むと言うのはおかしいと思います。一番最後の「今日の現状に必要を見ざる本条例のようなものは速やかに廃止すべきものと考える」とありますが、何が必要でないのでしょうか。今ここに立法部が成立して、私たちが完全な法律を作ろうという今日に当たって、この保安の条例を不都合と見るならば、これに対して適当な修正を加えれば立法部を持つものとは言われませんか。私たちは社会の安寧を保つために完全な法律を作って、暴人を防ぐ準備をするというのが私たちの職掌ではありませんか。そうであるのに、この法律の全案を破るというのは至当のこととは思われません。またこの日本国に決して暴徒が起こらないと断言することはできません。これは一時政府を保護する機械と見るならば、大変間違っています。この議会に対してどのような暴徒が集まって、どのようなことをしようとしたならば、この保安条例をもって防がなければならないと思います。(憲法がある)私はこの点から考えれば、これは政府を保護する機械と見て、一種の感情からこれを廃止しようというのは大変間違っていると思います。それからまた出題者が一番最後に述べたのは、私には全く気に入りません。この条例がなくても憲法の第八条によって命令を発して処分することができる。つまり緊急命令を出せばどのようなことでもできると言うが、緊急命令などを出させないのはこの立法部の私たちが希望するところです。そうであるのにこれを廃止して陛下に緊急命令を出させようとするのは(つまり立法部の私たちの職掌ですが)、決してそうではないと考えます。この緊急命令に頼って、一種の感情から保安条例を廃止してしまうというのは、諸君はどう考えるか大いに疑うべきことです。私たちは議会においてこの法律を全廃するならば、大いにこの議会の指針を誤ると考えます。(全廃だと言う声)このように賛成者が多くて反対者の少ない今日ですから、私としてもこの議論が行われようとは思われませんが、一応ここに意見を述べて将来の参考といたします。
(野口褧が演壇に登る)
(この時、田中正造が発言を許されていないではないかと叫び、また簡潔にと言う者あり)
野口褧(200番):大変申し訳ありませんが、私が発言権を得ました。できるだけ簡潔にせよという御注意ですので、できるだけ簡潔に申し上げようと思います。
この保安条例というものはどうしても廃止すべきです。なぜ廃止すべきかと言うと、私は外国のことは知りませんが、もし外国にそういうことがあるとしても、我が国は我が国、外国は外国です。外国にあるからと言って、外国の悪いものを我が国に適用するということは全く不都合です。もし外国にあっても、我が国に適用することはできません。
それで保安条例を廃止すれば、丸橋忠弥のような、由井正雪のようなとんでもないことをしでかす奴があった時にどうするかという御心配を持っている方もいるでしょう。既に反対に回った方は、つまりそれであろうと考えます。それに対して粉微塵に打ち砕く道具がありますから、この道具でもって打破ったならば満場の諸君は直ちに「喝采」と手を叩いて賛成することと思います。この保安条例を不必要である、要らないものと言うことは、ただ口でばかり言っていても良いというものではありません。証拠がなければ意味がありません。保安条例を廃止して今言うような悪い者が起こった時には、それを防ぐには結構なものがあります。その結構なものは何かと言うと、この憲法第八条にあります。「天皇は公共の安全を保持し、又はその災いを避けるため緊急の必要により帝国議会閉会の場合において、法律に代わるべき勅令を発する」。さあこの条があるならば、いかに不軌を企てるものがいても決して悪いことはない。なぜ保安条例のようなこんな不完全な、不都合なものを頼ろうとするのか。実に不都合ではないでしょうか。私はこの趣旨をもってこれを廃止すべきものとします。
(討論終局あるいは賛成と言う者あり)
(この時、田中正造が発話許可を得て演壇に登ろうとして「私も討論終局を望む」と言って退く)
議長:討論終局の動議があります。討論終局の決議を採ります。討論終局と認める者は起立。
(起立者多数)
議長:大多数でありますから、討論終局とします。
(採決について不同意を唱える者あり)
議長:少し…それではここで二読会を開くか否かの決議を採ろうと思います。
(植木枝盛:「その決議について申します。一読会の決議がないのは不都合です。この間も一読会の決議を告げないことがある。そんな会議はない」)
議長:衆議院規則第九十条第三項によって「議員より提出されたる議案は、大体について討論した後、二読会を開くべきか否かを決すべし」という条によって決議を採ります。二読会を開くことに賛成の君、起立。
(起立者多数)
(堀部勝四郎:「開くべし、というのは間違いではないか」)(この時また不要だと言う者あり)
(立石寛司:「宣言が耳に入らないので、私にはわからない」)
議長:明日の議事日程を報告します。明日19日は、地租徴收期限改正案、岡田良一郎君提出の緊急事件第一読会です。これで散会。
午後4時45分散会
明治23年12月19日(金曜日)午後1時20分開議
議事日程第15号 明治23年12月19日
午後1時開議
地租徴收期限改正案 岡田良一郎君提出緊急事件第一読会
議長(中島信行):議員諸君に御報道いたします。鈴木重遠君より地租条例改正案が提出されました。そして本日議事日程の前にあたりまして、鈴木重遠君より特別輸出港規則審査報告があります。この報告に関して、同委員長鈴木重遠君より諸君に御報道いたします。
(小西甚之助:只今報告すべきものではないと思います。問題を議するに当たって報告すべきものだと思います。)
(鈴木重遠が演壇に登る)
鈴木重遠(170番):先日政府から提出になりました特別輸出港規則追加案を委員で審査いたしました。その報告を申し述べます。
さて、この本案を委員会において審査いたしましたところ、特別輸出港内に釧路の一港を追加することは、将来大いに販路を海外に拡張する便益を与え、我が国の殖産上においては最良の結果を得られるものと認定いたしました。その理由は、既に先日政府委員からも説明がありました通り、北海道の特産である硫黄においては専ら釧路と根室から産出しているということで、その販路はほとんどアメリカ地方に向けて輸出しているものと見えています。そうであるのに今日のように釧路から海路200里も離れている函館へ一度搬出して、そこからアメリカ地方へ輸出するとなると、今日産出している硫黄の総量が2400万斤で、その原価が22万円余りに当たるそうですが、その原価に対して無駄に函館へ回送する運賃と保管料のために諸費用を5万2千円余りを支払わなければならないとのことです。そのため、次第に根室釧路辺りでの硫黄の採掘にとりかかるという風潮になりかねません。ですから釧路の一港を特別輸出港に加えました時には、僅か原価22万円余りに対して5万2千円の無駄な費用を省くのみならず、次第に釧路港から直接輸出する便益を得るため、たちまち3千余万斤位の輸出額に上る見込みが、担当者にも十分見込みがあるそうです。そうすると、これに対して、また5万円余りの利益があることになります。その上、釧路及び根室、北見の方では大層硫黄の鉱脈もあるそうですから、年を経て次第に産出額を増やせば、北海道において一種の富源を開くという好都合もあるそうです。是非ともこの案の通りに釧路を特別輸出港の中へ加えるということは、現時点において最も必要な法案であろうと考えます。それで釧路をいよいよ開港することになり、税関出張所を置きますと、国庫から支払う経費はどの位であろうかということを調べてみましたところ、釧路に税関出張所を置くにつきましては、判任官が一名あるいは二名、それから監吏を二、三名と雇員を置く位で、十分釧路の税関出張所の諸費用は賄えるようです。その監吏の給料や旅費というものは函館税関の収入の中から支弁ができます。別段国庫の支出は要さないそうです。ただ国庫から支出を要するのは、出張所の庁舎費用というものが471円2銭と、備品代が126円、合わせて597円2銭だけの支出です。わずかに国庫の支出が500円余りで、そしてそれに数百倍の利益というものが釧路港を特別輸出港とすることによって見込める利益ですから、委員会において審査いたしましたところでは、釧路港を特別輸出港に加えるのは我が国全体の経済の点において必要な法案と考えました。その趣旨を報道いたします。
橋本久太郎(91番):私は只今委員から報道を受けましたが、議長に一つ注意を促したいと思うのは、只今の様に出し抜けに報道をされると、その心構えがないので議案などを携帯しておりません。そういった不都合もありますし、また時には質疑を起こすこともあります。その辺は大変不都合を感じますから、後においてこのような報道をする時は、議長から前日にお知らせになって、議事日程に掲載され、議員にそれだけの心構えを与えてから報道を受けるようにしたいと思います。今後のために議長へ91番橋本が希望しておきます。
議長:注意の件は承知いたしました。しかし、そもそもこの議案について議事を開くということは議事日程に掲載することですが、議院法第二十四条によって各委員長は委員会の経過及び結果を議院に報告するということになっています。これは必ずしも予め日を定めて報告するということではなく、一応委員会の結果を報道するだけのことです。そのように御承知おきください。
小西甚之助(203番):私は先ほど少し一言述べたことですが、一体この委員が報告するというのは意見として報告するわけです。そうすると、その読会の場合において報告をすべきものです。衆議院規則第九十条には「前条の手続きを終えた時は…これを委員に付託すべし」とあります。第二項には「議院は委員の報告を待ち大体について討論…」とあります。この明文から考えても、委員はこれを読会の場合においてまず意見を報告して、それから議院は討論を始めるものです。ですから規則の中にも、委員の報告は賛成者を待たずに議題とするという明文があるくらいのことです。確かに便宜上からは予め報告するというのは良いことですが、既に議事規則というものを定めてこの順序を規定してある場合には、これによらなければその方式を誤ったものと言わなければなりません。只今の報告のようなものは、あるいは活版にするとか、あるいは筆記に付するとか、予め参考のために余裕のある報告をされることは便利は便利ですが、報道、報告ということになりますと、やはり意見として報告すべきものです。ですから読会でない前にこのように報道することは規定に反するものと考えます。少し一言述べて参考に供します。
議長:不要であるということならば、今後は報告はしないでしょう。会議がそれで良いならばしないでしょう。
北川矩一(62番):私もやはり小西君と同じ気持ちです。報道の報告であれば会議を開く前に委員が報道されても良い。また印刷に回すなら、注意のために二日でも三日でも前にお回しになった方が却って参考になって良いのですが、報道であれば小西君の述べられるように会議の前におっしゃられないことには甚だ不都合と考えます。今後はどうかその手順にお進み願いたいと思います。決して報道は不要ということではありません。報道は必ず委員において報道されることを望みます。また印刷であれば、それを印刷に付して注意のために前にお回しいただきたい。
(田中正造:小西君のことが本当です。)
議長:報道した上で印刷に付して諸君に配付いたします。そして議事日程に掲載するつもりです。それが議長の考えでは正当な手続きと考えます…今日はこれから議事日程、つまり地租徴収期限改正案の一読会を開きます。よって朗読を命じます。
(斎藤書記官が朗読する)
地租徴収期限 左の通り改正し、明治23年第四期分より施行する。
期|期間|田畑宅地|山林原野牧場
一期|該年7月1日より同8月31日限|5分|5分
二期|10月1日より翌年3月31日限
三期|同年11月1日より同12月15日限|田方2分5厘
四期|翌年2月1日より同3月31日限|同2分5厘
五期|同年3月1日より同3月31日限|同2分5厘
六期| 同年6月1日より同6月30日限|同2分5厘
議長:岡田良一郎君。
(岡田良一郎が演壇に登る)
岡田良一郎(213番):諸君、私は地租納期改正の件を提出いたしまして、概要は理由書に述べておりまして、あまり繰り返して申し上げるほどのことではありませんが、この案を提出いたしましたのは、単に地租の納期が農民にとって納めるのが困難であるとか、この地方においてはこのような支障があるとかいうことのみを主眼としたわけではありません。この案を提出した理由は国家全体の経済機構において大いに考えるところがあることです。その全体の経済機構とは何か。その機構の運営によって地方が衰弱したり、また地方が豊かになったり、あるいは中央に富が集まったり、色々な機構の運営の作用によってその効果が現れるものと考えられます。その機構の中には色々なものがありますが、まず地租の納期の如きは実に重大な関係があります。その事実を挙げて申しますと、明治8、9年頃、地租改正、このあたりの状況については略皆さんご存知のことでしょうから繰り返すまでもないことと思います。明治10年から11年にかけて非常に米価が騰貴してきたのは、これは西南戦争の事変によるものですが、その以前においては非常に米価が安くて、なかなか農民が地租を納めることができないことがありました。その時の納期はどうであったかというと、第一期は7月1日から始まって9月30日限、第二期は10月1日から翌年3月31日限というのでした。この翌年3月31日限というのは、つまり12月に5分取り、あるいは2月、3月と分けたものだったようですが、この時の納期は甚だ切迫したもので、非常に困難でありました。10年以降においては非常な激変を生じ、米価が騰貴して、そして財政に困難をもたらしました。明治14年に及びまして、この納期を改正したことがあります。明治14年の2月17日に納期が改正されて四期となり、第一期はその年の7月1日から8月31日限で畑宅地5分、第二期は9月1日から10月31日限で同5分、第三期は11月1日から12月15日限で同5分、第四期は翌年1月1日から2月28日限で同5分。それでつまり田方は12月に5分取り、2月までに5分取る。このような納期の布告がありました時はどうでしょうか。前日まで非常に騰貴していた米価が急に下落して、それより後は非常に農民が困窮したことになります。しかしながらこの時は国家経済に已むを得ざる事情があったと思います。そこで16年の11月10日においてこの納期を改正して翌年の2月1日から3月31日限とされました。これによって農民もどうにかこうか納めることができるかどうかという状況でした。しかしながらまだ3月31日限でも、耐えかねる場合でありました。そこで18年の6月15日において、その三期以下を改正して第三期を11月1日から12月15日限とし、第四期は12月16日から1月25日限とし、第五期は1月26日から3月31日限とし、第六期は翌年4月1日から4月20日限としました。このように18年に改正された法律が現行の法です。これは僅か一月延ばされた方法ですが、それより後はまず農民において、地租を納めるにおいてどうにかこうか納めることができるという状況です。しかしながら決してこれで充分というわけではありません。漸く地租を納めるに足るというだけのものです。それ故に農事を勧めさせようと博覧会や共進会を開いて奨励を与えようとしても、なかなか殖産の方は進歩しません。地方は日に日に荒廃した状況と考えます。要するに地租というものは何よりして生まれるのか。土地よりして生まれた物産から生まれる。物産から生まれるものに畑より生まれるものと田より生まれるものとあるが、重に田より生まれるものが多いはずです。この田より生まれるものを以前は米をもって政府に納めたものです。その米をもって政府に納めた時に、政府はどのようにそれを売却しましたか。政府の国庫の都合にもよりますが、これを4月までに全て売却したでしょうか。政府へ米をもって納めたものを4月までに全て売却したならば、政府の損耗は実に大変なものです。なぜならば需要がないのに売却するので、必ずこれは安いのが当然です。よって米をもって納めた時には、つまり12月から翌年の新米が出る頃くらいまでに段々と売却したものです。旧藩の時代でもそうでしたが、維新以来金納になってもこのようにならなければ国家の経済が成り立ちません。しかしながら一旦金納となって人民より米で納めずに金を納めることになりましたが、人民は損をしていても全く利益がありません。つまり4月に人民の米を売却するのと同じです。政府に利益があっても人民には利益がない。つまり政府がやれば損害が少ないので、無理やり損をさせると同じことになります。加えて日本の通用貨幣はどのくらいありますか。一億三千万ほどありますが、この金はなかなか米の買入れにのみ供給されるわけにはいきません。つまり供給はしていますが、納期のために中央に集めて国庫に備えて遊ばせておくことです。遊んでいるということはどういうことでしょうか。地方は必ず金融に困ることになります。金融に困ると農民はどうしますか。必ず銀行に借りれば利子が高いのみならず銀行にも金がない。商人に売ろうにも商人にも金がないから、米は安いうえに安くなります。米は安く金はない。進退に困りますが、納期が来れば必ず納めなければなりません。そのような法律を作って農民を豊かにしようとしても、到底農民は豊かになることができないと考えます。よって国家経済の機構において終始円滑に流通紙幣を通用させるようにして、時々激変を起こさないように、利子のあまり高低させないように、米価のあまり高低させないようにしておかなければ国の富を増すことはできないと私は常に考えています。
それで米価のことにおいても為すべきことがあると考えますが、まず納期を改正したとしてどこにどれだけの損害があるかというと、別に損害はありません。どこにもありません。損害がなく一方には多少得をする者がいるに違いありません。一般の人民が得をします。決して地主のみならず、小作人その他にも得をするものがあります。その利潤を一般の者が受けて、一二において別に損害がない。地方の者が利潤を受ければ、従って中央の者も利潤を受けます。それによって必ず盛んになってきます。近頃の米価の激変のようなものは、全く安い米を売り尽くして、それでも足りなければ買い占めて、そういうところに僅かな不作があると地方に飢饉が起こるというのは、経済機構の致すところと考えます。納期を一ヶ月や二ヶ月延ばしたところが、政府の経済にどれくらい関係しますかと言うと、僅かな関係です。しかしながら国家においては金に困るという話になります。最も国庫においてそれでは金に困るという話ならば仕方がないけれども、この金額というのは僅かなものに過ぎないのです。まず一ヶ月分を二月に延ばした時には700万円の田租を一ヶ月延ばしましたが、大蔵省の証券を発行すれば…年五分の利子で発行することになりますが、それをこの時にすれば一ヶ月に3万円位の利子です。そして一月を二月にし、また四月の分を六月にすることになりますと、三ヶ月の間大蔵省の証券を発行することになります。その利子はどの位かというと、通じて9万円にはなりません。年五分の利子です。これだけの利子を払えば、それで国庫の経済が成り立つということは筋道において了解したことです。大蔵省の経済においても差し支えないことと断定します。そしてこの月割のことにおいても種々考えましたが、一期より六期に至り一ヶ月置きにすれば丁度適当でしょうかと考えます。しかしながら第五期に至りましては、会計年度のためにどうしても4月に延ばすことができませんから、3月としてこのようにしましたが、実際は4月にしなければ正当ではありません。これは会計法の規定によって、その年の歳入をもってその年の歳出をすることになっていますから、4月に収入することになれば証券を発行して借金をして、その年の歳出を払うということになっては甚だ会計法に混乱を起こしますから、会計法を何か改めなければなりません。どうしても5期は3月に改めなければなりません。そうすると五期から六期の期間が少し長すぎるという意見ですが、通じて見ればこれで適当であろうという考えです。それで地方によってはあるいは田の多いところも、畑の多いところもあります。様々でしょうが、地方によって地方ごとの便利に従って必ずその区域によって納期を改めようと、色々考えましたが、なかなか難しく、あるいは畑方を段々延ばしていくように私においても考えましたが、まず田方以外は従来の通りで良いと考え、この案を起草したわけです。
要するに国家の経済を円滑にして、地方の人民を利し、地方の物産を増やして我が国を豊かにするということがこの案を提出した意見です。あまり長く申し述べますと御退屈と考えますから、御質問があればおいおいお答えしようと思いますが、略以上のような内容です。
林小一郎(2番):説明を求めます。簡単ですからここで述べます。市街宅地の納期はやはりこの通りですか。
岡田良一郎(213番):これは甚だ私の手落ちでしたが、市街宅地は旧来のままで全く脱落していますから、どなたか御提出になって追加をお願いしたいと思います。
林小一郎(2番):私は反対を述べます。
議長:少々お待ちください。
松村文次郎(219番):只今弁明を承りましたが、よく分かりますが、一期から三期まではこのままであるというが、四期からは一ヶ月置きになると言われましたが、これは一期から三期までは二ヶ月置きにしなければならないというところからやったわけですか。
岡田良一郎(213番):別に理由はありません。一期二期は旧納期がこのようになっていますから、これはどういうところから来たのか、地方によって多少斟酌するところもあってのことかと思って、このようにいたしました。
松村文次郎(219番):今のは分かりましたが、四期が一ヶ月になっていますか。六期もそうなっていますか。
岡田良一郎(213番):これは新しく起草したので旧法にとらわれず行っていますが、一ヶ月以内に徴収すれば差し支えない見込みです。
松村文次郎(219番):さらに伺いますが、三期は…
岡田良一郎(213番):三期はやはり一ヶ月です。11月1日から12月15日までです。
松村文次郎(219番):四期は?
岡田良一郎(213番):2月1日から2月28日までです。
松村文次郎(219番):そうすると三期は11月1日から12月15日までの猶予しかありません。
岡田良一郎(213番):つまり一ヶ月です。
立入奇一(174番):伺いたいのは、第六期は6月1日から6月30日限ですが、6月は農繁の時節ですから会計上、経済上の関係はありませんか。それともやむを得ず6月に定めたのですか。
岡田良一郎(213番):農業の忙しい時節でも地租を納めるのはそれほど手間がかかるものでもないので、農業の繁閑等については関係がないと考えます。むしろ延期された方が利潤と考えます。
藤野政高(296番):少し伺いますが、明治22年大蔵省令第二号をもって北海道地租納期というものが出ているようですが、これはやはり特別にしますか。
岡田良一郎(213番):これは全く別です。これには関係しません。
末広重恭(262番):質問します。只今の話では三期は該年11月10日からという話だったようですが、本日受け取った改正案には三期は該年11月1日とあります。どちらが正しいのですか。
岡田良一郎(213番):少しお答えしますが、全く私の出した書類の誤りか、甚だ手落ちですが原案は11月15日から12月15日となっていますが…
末広重恭(262番):それでは結構です。
風間信吉(242番):少し質問しますが、理由書によれば米穀消費は11月から始まり翌年10月に終わるものとすれば、その間一年経たなければなりません。米穀の需給が間に合わないので、その間に急に納租するとなると米価が一方的に害されるとのことです。そうすると原案者も11月から6月までは、今までの法律を二ヶ月延ばすというだけですが、そうすると後の7、8、9、10、つまりこの四ヶ月間というのは米価は一定しているというお考えですか。その間において売買上において変動がないというお考えですか。御説明をお願いします。
岡田良一郎(213番):後の四ヶ月に及ばないのは、農民が地租を納めて非常に困難をすることがないからです。これのために損耗をするということがないので良いのです。決して米というのは地租を納めるためだけのものではないので、売却する米は6月までの地租に当たる分を売却しますが、それで全て売却してしまうというわけではありません。もしこれを4月までに売却するとなると、農民は自分の財産でも売却して…売り尽くさなければなりません。ですから、これを6月までとすれば、その困難は少しは救われるという考えです。
議長:少し岡田君に申しますが、提出された案について…
(この時議長と岡田君と問答あり)
議長:少し申します。11月1日というのは印刷の間違いではなく、最初に提出者の…つまり提出案には1日となっています。しかしながら提出者は12月16日ということなので、そのように…
岡田良一郎(213番):大変申し訳ありません…
東尾平太郎(83番):御説明をお願いします。今の動議者の発言の中で、第五期の3月31日を4月に延ばすというのは会計法第11条に影響があると申しましたが、会計年度の…地租の方は会計年度と違っていると思います。これを延ばして差し支えなければ、五期も差し支えないと思いますが。
岡田良一郎(213番):今の4月に徴収している金は前の方法にしていますので、4月に徴収しているものは既に24年度の計算に入っているのです。23年の分は24年度に入っているということです。ですから翌年の計算に入っています。それで月が少し延びても、大蔵証券を発行すれば差し支えないという趣旨です。
浅野順平(164番):少し説明をお願いしますが、このような地租の納期が長くなって、納める者にとっては都合が良いと思いますが、大蔵省の手許に入って、あるいは金の支出する場合には差し支えがありませんか。先ほどの説明では金が足りなければ金を借りて利子でも払って支払うということでしたが…私の聞いたのが間違いでしょうか。地租の納租のみならず酒税も昨年でしたでしょうか…今年か改正になったので以前よりは長く取ってあります。大蔵省はこのようになっていると思います。それらについては差し支えありませんか。大蔵省の支出について説明をお願いします。
岡田良一郎(213番):大蔵省の支出のことは私は明言するわけにはまいりませんが、私がその筋で承知するところでは大蔵省は証券を発行して支払いに差し支えないと言います。しかしながら私は担当者ではありませんから確答するわけにはまいりません。それから酒税には関係ないようです。酒税は酒税で納期を改正していれば、これに対してつまり予算の歳入歳出が成立していますので、大蔵証券の発行高は何千何百万円というものが出ています。大蔵証券の発行は予算によって見ますとかなりの金額のようです。いわゆる予算は歳入歳出というものを、次に何千万円、その次に何千万円と月に分けてこれから差し引くとつまり不足が出るので、その不足の分だけは大蔵省の証券を発行して賄うことによって国庫の計算が成立しています。国庫の計算に計上されている利子を計算しますと明治24年度にあるものはまず50万円程の利子です。明治23年度はこれより少ないようです。しかしながら明治23年度の証券発行高の予算はこのようになっていますが、今日に至るまで大蔵省の証券はまだ発行せずに、何とか融通が付いているようです。今後はどうでしょうか。必ずしも融通が付かないとは思われませんが現に入るものと出るものとを差し引きますと、大蔵証券の発行高は50万円余りで国債の利子に含まれているようです。それに今750万円、いや15万円ほどのものの三ヶ月の利子にすると9万円ほど増えます。取るに足らず60万円余り増える勘定です。それで問題なく行えると承知しています。
山口左七郎(97番):私は動議があります。
議長:今反対者がありますから一応…
山口左七郎(97番):それでは一応見合わせましょう。
(林小一郎が演壇に登る)
林小一郎(2番):本員は岡田君が本案を提出された説明書の趣旨は大いに賛成しますが、本案を全廃したいと考えています。その要旨を極めて簡単に一言で申し上げ、諸君の同意を得たいと思います。
岡田君が提出された案の趣旨を説明によって見ますと、今日の納期を改正しなければ、納期の度に米価は非常に下落し農家の困難を招き、国の富を育てることができないと今日の実状を述べられていますが、本案の改正される要点を察してみると極めて些細な改正であって、このような改正では決して説明書の趣旨を貫くことができないと考えます。現行法と改正される箇条を比較してみますと、岡田君が述べられたように田方の第四期の納税2分5厘を一月に納めるのを二月にすると、第六期の納期を四月に納めるのを六月に変更するだけです。このような些細な改正では決して説明書に述べたような目的を達することはできないと断言します。私はこの地租納期については、将来精密な調査をして大きな改正を望んでいます。ですからこのような大きなことを望んでいるのに対して、小さなことをしようとする、いわば海老で鯛を釣ろうとするような改正案を主張する者に対しては反対です。よって本員はこれを廃止します。その他にも本案を全廃する理由はたくさんありますが、このくらいで本案を全廃することは十分と考えますので、これで止めます。願わくば諸君、私たちの廃止案の説に御同意いただきたく思います。
(高木正年が演壇に登る)
高木正年(110番):岡田良一郎君の提出にかかる地租納期の改正案は、私たちが予てより熱心に主張したものです。とは言え今までこのような改正案を提出する機会がなく…幸い今日岡田君の提出されたのは私たちの気持ちを達したことで満足しています。
只今岡田君より改正の理由を十分に説明されたようですが、尚一言私が補足しておきますのは、この改正案を要するに利益があると考えます。現在改正案の重要な趣旨というのは、第一に農家が経済上において大きな便利さを得ること、第二に米価の平準を得て日本人民各自の生活上において利益があること、第三に米価の下落を急に起こさせない。これについては避けられない輸出を避け、避けるべき輸入を止める法案と同じように考えています。なぜ農家に便利があるかというと、現在の日本の暦は太陽暦というもので旧暦の12月というのは1月ということになっていますが、農家の経済上においては依然として旧暦が今日まで残っています。ですから農家の経済上において、どの時期が一番困難な時期かというと、1月というのが一番困難な時期です。農家が歳入上において未だ収穫すべきものも収穫しない時期に、早く納期が来ることによって、余裕をもって払うべきものも、甚だしい場合は所有している米穀を売らなければなりません。最も切迫するのはこの一月の納期です。第二に一番困難なのは四月の納期です。近頃米価の下落について少し目を向けて考えてみると、近年米価が一番安い時期はいつ頃でしょうか。3月、4月、5月、6月という時期がいずれも一番安い時期です。私はこの事については少し証拠を立ててお話した方が必要かと思いますが、22年において精米相場が一番安いのは、東京においては3月、大阪は5月、桑名においては6月となっています。この最低値に向かうのはどの月からかと言うと、いずれも3月を頂点として、それより安い方に進んでおります…(未完)
明治23年(1890年)12月19日に行われた第1回帝国議会の衆議院本会議の記録です。主な議題は「保安条例廃止案」と「地租徴収期限改正案」です。
保安条例廃止案について
保安条例とは?:明治20年(1887年)12月に公布された勅令で、治安維持を目的とした法律。集会や結社の自由などを制限する内容を含んでいました。自由民権運動の弾圧のために制定された側面があります。
廃止の理由:
憲法に抵触する可能性がある。
必要以上に厳しく、国民の自由を不当に制限している。
国の体面を損なう。
当時の緊急事態に対応するために作られたもので、現状では不要。
緊急時には天皇大権に基づく勅令で対応できる。
反対の理由:
社会秩序維持のために必要。
条例自体が悪いのではなく、運用方法に問題がある。
軽微な修正で対応できる。
廃止すれば暴徒鎮圧の手段を失う。
結果:賛成多数で可決され、二読会に進むことが決定。
地租徴収期限改正案について
改正の目的:
農民の経済的負担を軽減する。
米価の安定を図る。
国全体の経済を活性化させる。
具体的な改正内容:田方の地租の納付期限を、従来より1~2ヶ月遅らせる。
改正の根拠:
従来の納付期限は農繁期と重なり、農民の経済状況を圧迫していた。
納付期限前に米を売却する必要が生じ、米価の下落を招いていた。
納付期限を調整することで、米価の平準化と農家の経済的安定が期待される。
大蔵省は国債発行で資金繰りが可能。
反対意見:わずかな改正では効果が薄い。抜本的な改革が必要。
結果:討論終局となり、採決へ。
その他
明治初期の議会:まだ議事運営のルールが確立しておらず、手続き上の混乱も見られます。議員の意識も高く、活発な議論が交わされています。
社会背景:地租は当時の国家財政の重要な収入源であり、その徴収方法は農民生活に大きな影響を与えていました。米価の変動も深刻な問題でした。保安条例は、国民の自由と社会秩序のバランスという難しい問題を提起していました。