※文末にある「旅後録」を読むと全体の理解が深まります。
第1回帝国議会
衆議院
予算委員会 第4号
明治23年12月13日(土曜)
○陸軍大臣(伯爵大山巌君):今日は予算編成の大枠について、桂次官からご説明いたします。また、細かい点については野田監督から陳述いたします。
○質問:一通りご演説いただきましたら、その後で質問を始めますが、非常に不慣れなため、ご迷惑をおかけしますが、詳しくお尋ねいたします。
○答弁:結構です。どうぞ十分にご調査ください。それから、細かい部分になりますと専門的な話になります。ご承知の通り、砲兵とか工兵とか、また騎兵とかいうものは、なかなか分かりかねる…会計のことになると、次官でも分かりかねることがあります。そういう細かい部分をお調べになるのは、ここに専門の人を待機させておきましたので、いつでもお呼び出しください。大抵は中佐、大佐の人で課長をしています。ご承知の通り、陸軍と海軍は他の省と違いまして、局長は3人しかいません。皆、今までの局長が大抵課長になっていますから、他の省でいう局長と同じような人です。それだけはご記憶ください。
○陸軍次官(桂太郎君):昨日質問のありました一覧表は作成して参りました。これは予め陸軍の編成を分かりやすくするために作成した概要で、現在の陸軍の編成の概要です。昨日、師団、旅団、連隊、大隊のところで詳しいものがあればというお話がありましたが、幸いありましたので、ご参考までにお持ちしました。
○質問:それから、昨日の現員は?
○答弁:あれは予め作成したものですが、現員が少し古く、8月1日現在のものです。陸軍は12月に新兵が入隊しますので、8月のものは今日の実情に少し適しません。そこで、昨日から12月1日現在の在員を調べ直しておりますので、今、書き直しておりますから後ほど、あるいは明日提出いたします。それから、昨日お話の繼續費の費用ですが、これは累年の… 今日持参しました。それから、千住の製絨所の件についても、陸軍が管理していることをご承知いただきたい。これも今日持参しましたので併せて差し上げます。
○答弁:それから、ここに、もう一つ表をご参考までにお持ちしましたが、陸軍全体の経理の仕組みの順序を簡単に表にしたものがあります。これも多分ご参考になるかと思いますので持ってきました。…これで、ご覧いただければ、陸軍全体の編成を概略ご承知になることができると考えています。これに沿って各部の実際に基づいて、命令の系統、あるいは行政の系統を区分して、陸軍は運営しています。平時の軍隊の定員はこちらの左の方に付けておきましたから、この師団の中にも予備師団、要塞砲兵、警備隊、憲兵、屯田兵、この定員だけを作成しておきました。これは陸軍の現在の兵数です。それで、先に一つ予算の、24年度の予算のご質問を…
それでは、後で戻りまして命令の順序、経理の順序を表面に基づいて申し上げます。ご承知のように、陸軍には軍令と政令の2つの系統がありまして、軍令の方は天皇陛下から直接軍隊に下る順序です。しかし平時においては、軍令の方向は陸軍大臣が行うことになっています。この軍令を立案するのは、ここにある参謀本部です。政令の部は、この陸軍省、つまり行政のことは陸軍省がつかさどっています。それからもう一つ陸軍においては監軍部と言いまして、教育、諸々の教育をつかさどる部署、それが監軍部です。これは教育上のことについては陛下に直隷しまして、すべての軍隊に向けて、検閲、あるいは軍隊の条令、訓令などは、この監軍部から下すことになっています。それでこの陸軍省、参謀本部、監軍部は、陸軍において最上位の官衙です。この上に軍事参議官というのがいます。この軍事参議官というものは、軍令事については参謀本部長…参謀総長が立案し、また、軍隊の教育上のことについて監軍が…しまして上裁を得、また、陸軍大臣がこの編成、この学校、その他の兵制のことについて、あるいは学校の組織、その他の事について上裁を経る時に、天皇陛下に上裁を得て、そして天皇陛下の…高等、つまり軍事参議官の会議において審査をして…この審査をするのではありません。陛下の命令によって審査をさせるのです。そうして陛下の裁決を受けて、その命令を公布することになっています。特に陸軍省が主管をしている人事のこと…人事は今日陸軍大臣の主管になっていますが、人事のことを、例えば陛下に上奏する場合には軍事参議官に陛下が下されて適不適を審査させ、そして裁可になるわけです。その軍事参議官は誰からなるかということを申し上げますと、陸軍大臣、参謀総長、監軍、これは陸軍においてこの3人の官吏で構成されます。もし陸海軍の事に及ぶ場合は、海軍大臣がこの軍事参議官に加わることになっています。これが最上位官衙である陸軍省、参謀本部、監軍です。その他に近衛師団と申しますが、これはご承知の通り軍隊の長でありまして、その軍隊の長は陛下に直隷しています。しかし平時におりましては先ほど申し上げた通り、軍令の方向は陸軍大臣を通して下ることで、方向は陸軍大臣が方向をされます。この軍令の一…については、ご承知の通り陸軍省が最上位の官衙でありますので、ここに赤い線と青い線と2つになっていますが、赤い方の線は軍令の線です。いや、命令の線です。他の線は、これは軍令の方の線ですが…そういう具合に命令、あるいは軍令の命令というものと行政の命令というものが伝わっていきます。それから屯田司令部。これも以前に申し上げましたが、今年屯田司令部というものは条例が改正になりまして、以前は屯田は陸軍省に隷属していましたが、今日の軍制では屯田司令官は直接陛下に隷することになりました。しかし、行政の系統、つまり経理の…については、やはり陸軍大臣に隷属しています。それからして、各部に伝わる順序はこの表面でどうぞご承知願います。
○桂君:ご遠慮なくご質問ください。
○質問:海軍大臣だけに関係した時は…
○答弁:海軍に関することは…これについて立ち入って話をすれば、海軍大臣は軍令の責務を二つの立場から負っていますので、海軍大臣から軍令の事柄で…
○質問:平時軍隊定員というのは?
○答弁:これは定員令で定められています。
○質問:少し気になったのですが、現在の軍隊は定員より少し不足しているところがありますか?
○答弁:現員については、50号の俸給表をご覧になれば分かります。定員が載っていますので、大まかにはお分かりになると思います。
○答弁:この予算の上についてお話しておかなければならないのですが、陸軍は明治21年から着手しまして今年までに編成を終えたものもあります。あるいは今年着手になりつつあるものもあります。ご質問の通り、定員は現状不足しています。これから24年度の予算要求書について、大枠をご説明いたします。これについて先にお話しておかなければならないのは、陸軍の経費はご承知の通り、以前は陸軍定額と言いまして、いわゆる臨時・經常の区別なく、ただ陸軍定額として定められていたものです。それがちょうど明治19年に官制改革がありまして、それと同時に陸軍では明治15年の勅諭によって軍隊拡張の聖詔が下りました。それから18年になりまして、この拡張の命令によって、陸軍の今日の編成、つまり師団の編成というのが初めてできたのです。これは要求書の…簡単に…今日の師団編成は明治18年に始まりまして、18年においては、まだ兵備が充実していないところがありました。工兵もまだその当時は完成していませんでした。当時、拡張のために増額になったお金で師団を編成したといっても、まだ完備することはできませんでした。それからこの19年のお話の通り、官制改革になると同時に、陸軍の方ではいくらか経費の節減をしましたが、しかし陸軍では、なんとか15年に出た勅諭に基づいて明治18年に編成したものを、そのままこの経費で完全にしたいという希望でした。以前の定額でなんとか18年に定められた師団の完備をしたいというのが陸軍の計画でした。それで、色々な部分について以前の定額で経験上整理して、経験上減らせるべきものは減じて、そうしてここに挙げたように師団の銃砲を完備させることに努めました。まず第一に着手したのは輜重兵というのは不完全でしたから、これに着手しました。それから第二には騎兵、工兵もまだ不完全でしたので、この騎兵、工兵に充てるお金も定額の中から捻出して、かなり無理に経費を減らして作ってきたわけです。それで現在、つまりこの23年度になりまして、工兵、輜重兵だけはまず編成が完了しました。しかしながら、騎兵に至ってはまだ教育がなかなか難しいもので、特に騎兵は以前、ようやく東京に近衛と第一師団に一大隊ずついる程度でした。これを各師団に配置した時は、教育上非常に支障をきたしたことが一つと、二つには経費の都合によって騎兵は徐々に充足させていく計画でやりました。これは28年になって完備する予定です。それでこの経費、予算の説明にも書きました通り、陸軍省はかなり苦しい節減の上に節減を加えて、今日までやってきた次第です。それから、それについて近衛の事を申し上げます。なぜ師団の方を先に完備させて近衛が二番目になったかというご不審も起きるでしょうが、陸軍の計画としては、この6個師団というものをまず完備させなければならない。この6個師団の中で、もし1個師団が不完全であれば、全師団が不完全になるため、まず各師団を完備させなければいけない、というところから、重点的に師団の方へ力を入れたわけです。しかしながら、近衛というものについては、たびたび陛下からご命令がありまして「なんとか近衛も師団同様にせよ」という勅諭を拝しました。しかしながら、経費の点で増額にならないため、23年度までは近衛の方は以前のままにしておくことになりました。この23年度より近衛に28万円を増額されましたが、28万円ではまだ完備させることはできません。したがって、他にやりくりできる経費を捻出して近衛の経費の不足を補って編成を今年から着手しました。それからこの要求書の内に、皆さんがもしかしたらご不審に思うのは、連発銃製造費というのがたくさん出ていますが、この連発銃製造費の経緯をお話ししたいと思います。ご承知の通り、昨年来ヨーロッパでも兵器のことについては、かなり大きな問題が起きまして、以前の単発銃ではいけないということで、連発銃、無煙火薬を使った連発銃を採用したいということが昨年来ヨーロッパでも議論があり、ヨーロッパ各国では、大抵連発銃に決めたようです。だいたい今日では各国とも皆持っています。それで我が国の陸軍においても、陸軍大臣はなんとかこの連発銃を持たせたい、兵器の精錬はヨーロッパ各国にも劣らないようにしたいというところから、連発銃費用というものを昨年から臨時費で内閣に提出したところ、国庫の都合があったようで臨時費は許可になりませんでした。しかし、一方の経費のために、連発銃、良い兵器を買うということはできないため、どうにかして製造に着手したいという計画で陸軍省が着手したのが、ちょうどその時は騎兵は…これはご承知の通り、3個中隊で1個大隊を構成しますが、先ほど申し上げた通り、教育上の観点から騎兵の教育は非常に難しいものです。そのため、それから一時的な経費のやりくりが十分についていないために、第三中隊という事柄に着手することができません。第三中隊に充てるべきお金というものを陸軍省の定額の中に組み込んで、そのお金を重点的に用いて連発銃製造に充てました。この連発銃は、ご承知の通り、以前から陸軍省で以前の村田銃発明者、つまり現在の村田少将が色々と丹念に研究して、村田銃という連発銃を再度製造することになったのです。そこで村田銃を改めて採用しまして、昨年来、今の騎兵の第三中隊に充てられるはずだったものを一時的に回して、今日その連発銃の製造にあたっています。これは、一時的にやりくりできる範囲のものをかき集めて、今日その連発銃の製造にあたっています。これはもちろん經常費で行うものではなく、臨時費で賄わなければならないものですが、先ほど申し上げたような次第であるので、今日は以前の經常費で、24年度までは製造している次第です。それから、要塞砲兵のことです。この要塞砲兵は海岸防御、海岸砲台ができあがると同時に設置しなければいけないもので、この海岸砲台は海防費として、昨年来、実に100万円というお金を陸軍に割り当てられました。加えて、色々な献金者から献納された海防費、この両費用などを合わせて海防のことに着手しました。もっとも、この海防のことは明治12年頃から徐々に着手していましたが、本当に今日やっていることは、海防費が新たに100万円できて、本格的に海防に着手することになりました。この海岸砲台ができると、この要塞砲兵を置かなければならないことになり、今年から東京湾と下関の二箇所に要塞砲兵を設置します。これは先に…海岸砲台が完成すると共に徐々に設置していかなければならない見込みのものです。憲兵隊については、少しも分かりにくいことはありません。屯田兵…この屯田兵は先ほど編成のところで少し申し上げましたが、以前はこの経費については北海道庁より受け取っていたので、編成あるいは教育等のことについては陸軍の方から…陸軍省に隷属していました。今年23年においては、屯田兵の大体の組織を変えました。以来、屯田兵の費用というものは初めて陸軍の方に、つまり24年の経費に入るようになりました。この測量のことについて、また一言申し上げておきますが、この測量は陸軍の参謀本部で管轄しています。つまり参謀本部の中の一部門です。これは主に陸地測量、つまり軍用の地図を作成するための仕事を行っていますが、この地図の仕事というのは本当に重大な事業でありまして、この予算の説明にも書いてあるように数十年を費やして、これからもう70年もかからなければできないというようなわけですが、今日20万円の経費で行う場合には、この計画でなければどうにもいかないわけですが、なるべくそこには一つご留意いただきたいのですが、なんとかこの測量事業は、我が陸軍に必要なだけでなく、一般の上にも非常に欠くことのできないものですから、これはなんとか今後この測量事業というものは予算を増やしていきたいと陸軍では考えています。とりあえず、これを申し上げておきます。次に海岸御砲台建築のことです。現在のところ、下関と東京湾と紀淡海峡に、ただいま着手しています。対馬のほうは既に完成しました。この3箇所にただいま着手しているところです。詳しいことは繼續費のところをご覧になれば分かります。まず経費を提出した大まかな内容、つまり今年、24年度の要求書については、今申し上げたような次第です。前にも申し上げました通り、陸軍は第一に近衛、騎兵に至ってはただいま着手中です。まだ完成していないものもたくさんありますので、その辺りはどうか、この費用のご編成にあたりましても十分ご留意いただき、ご編成をお願いしたい覚悟です。その細目は何卒一つ一つご質問ください。
○質問:近衛の方は、当時、兵員を募集して完備させるだけの計画で、目的を達するのですか?
○答弁:近衛…28万円が増額されたので、その28万円で着手しました。足りないところは、後の陸軍の経費の中からいくらかを足して現在の経費で着手する見込みです。陸軍では常備も近衛も他にこれより余分な費用を請求するということはありません。今日まで陸軍で使ってきたもの、つまり臨時費・經常費と科目が分かれていますが、今まで予算に計上されていたもので、この編成をする見込みです。これから新しく24年において、経費の要求はしません。
○陸軍一等監督(野田豁通君):ただいま桂次官閣下からお話がありました、臨時費と經常費の区分についてですが、実のところそれについて、少し今桂閣下よりお話がありましたところに重複しますが、陸軍の計画の当初からの成り立ちを、一通り私からお話します。当時差し出しておきました沿革表をご覧になってご承知でもいらっしゃるでしょうが、明治の初年には100万何千円というのが最初の予算でありました。それから年々増加しまして6年度になりまして800万円に定額を定めました。さらにこの15年になりまして先ほど桂閣下よりお話がありました通り、軍備拡張の勅旨がありまして、当年から18年度にかけて400万円だけを増額されまして、これで師団の砲兵の編成に着手され、陸軍の定額は1200万円に一時据え置いていました。その1200万円が6個師団の軍隊を充実させる目的となっています。それでこの24年度の経費を要求している臨時費と合わせた総額の1399万円という金額は、師団軍隊の拡張に係る費用は少しもこれには含めていません。この要求額は今申し上げた19年度に決定している1200万円との差額は199万円ほどあります。この差額は19年度以来の大部分としては、海岸砲台建築のために100万…ちょうど104万数千円ほど増加しました。それから対馬の警備隊のために2万8千円余の増額があります。それに屯田兵費を大蔵省から受け取ったのは55万円余です。徴兵令の改正のために内務省から徴兵に応じる人の旅費として受け取ったものが2500円…以前は参謀本部の測量部で作っている地図は営業費で扱っていましたが、会計法の実施に伴って営業事業をやめて経費に組み入れられ、それがために7500円ほどまた別に計上しました。文官乗馬飼養令によりますと馬匹払い下げの費用が特別会計でありましたが、これも經常費の支出の方に移しました。これがために2万1300円ほど別にもらうことになりました。それで、参謀本部の地図の払い下げと馬匹の払い下げは、経費の方で支弁することになったので、これに関する収入は国庫の収入に入れることになりました。これと靖国神社の費用が従来寄付金として7500円出ている…
23年度までは大蔵省で受け取っていました退官賜金というのが、本年から陸軍に組み入れられましたので1200円ほどになりました。それと近衛の拡張のために28万円、演習費のために1万9千円ほどの増額を得ています。この費用が先に申します通り、199万円に相当する費用でありまして、全くそれ相応の事柄があり、19年以後の事柄に対して増したわけです。この各師団だけの軍隊の費用というものは、全く1200万円で目的が立っています. それに近衛の方は今申し上げた28万円を目的として、幾分かの不足を1200万円の中から補っています。それで、陸軍の定員令に対して軍隊の不足分だけを支出する目的は今申し上げた通り、師団は1200万円が目的で、その1200万円の支出には、經常費・臨時費の科目が分かれていない支出で目的が立っていた。22年度以後には今の様に臨時費の科目分けをして、臨時費の中の営繕費に入れるという事になったのは20年度からです。それで、23年度、24年度は営繕事業にかかる費用は…それで、23、24年度というのは営繕事業にかかる費用は、臨時に出した20年度ごろの計画を立てたお金が今日では営繕費に入った。臨時費は一時限りのものとなり性質が少し変わっています。しかし陸軍が兵を増やす目的は、臨時に分けたお金を合わせて1200万円で目的を立てているところが、桂次官が述べられた拡張費に充てた臨時費と經常費とを合わせた総額でもともとの目的を立てたので、つまり23年度にもらっている經常費と臨時費と合わせた総額よりも、24年度の金額は少しも増えていない。陸軍を拡張するにおいてはどうしても最初に兵舎を建築しなければ、兵を募集することはできないので、1200万円を兵を増やす前年度、前年度に臨時費の方に建築費を入れてある。そこで兵舎ができると翌年兵を募る。兵を募れば糧食とか被服費とかいうものが増えてくる。そして前の営繕費は入らなくなって、兵の糧食、被服費、その他の費用が増えてくる。…はだいぶ込み入っているので、追々この予算の先にあるものと少し変動が現れてきますが、さらにそれについては詳しくお話もしましょうし、ご疑念の点もお答えいたしましょう。
○質問:そうしますと、定額の1200万円より実際は増したのではなく、将来増すということですね?
○答弁:左様です。1200万円は師団を作るためで、それ以外に増額を得るのではありません。今日の1399万円を請求するのはどういうわけかというと、199万円というのは、他に増額する必要があるものがあり、それ相応に19年度以来、増えてきた費用です。
○質問:そうしますと今度…先に公布になりました兵士定員条例が完備した時には、今度定額はどうなりますか?
○答弁:それは24年度に要求している1399万円のうち、100万円だけは砲台の費用ですから、これを除くと残りが1299万円…それで充実している。そこには屯田の55万円も入るのです。となると、1200万円と近衛28万を合わせて1228万円で、常備師団と近衛だけは金が足りずに定員令に対する金額は充実させることができます。
○質問:分かりました。1232万961円のうち、本年は32万9千円余を減少するため、予算上は増えたように見えますが、実際は合計で33万1900円余減っています。それで、1300万円のうちで經常と臨時で歳出が1399万円であると見よということですね。
○答弁:その通りです。…それで今尋ねられた33万円余は、前々年度に対して減っていますが、これはこの書面にもある通り、大砲鋳造のために出された献金、この財源が減っているので前年度に対して減っています。言い換えれば22年度の要求額は、前年度と少しも変わることがないと言って良いのです。…さらに申しますが、この1200万円という額は、騎兵、工兵、輜重兵などを充実するために充てられたお金は実際にはなく、もともと砲兵と歩兵の不足分と、旅団を6個師団に編成を改めまして、その時に拡張しました。その時は、歩兵の不足と砲兵の不足と、輜重兵の以前は各旅団にはありませんでしたものをいくらか増やしただけです。その内を節減できる限り行い、随分無理なやりくりをして工兵を完備し、砲兵を完備し、輜重兵を完備し、騎兵を一大隊ずつ配備するようにしたので、これは1200万円ずつ、もともとないものから生み出したと言って良いわけです。
○質問:もう一度伺いますが、1200万円の中に入らないものの重要なものです。先ほど伺いましたが、さらに伺います。
○答弁:1200万円に199万円は海岸砲台建築費、および砲台支配下にある大砲鋳造のために要する兵器弾薬費、これが104万4千円余になります。
○質問:その他には?
○答弁:これには要塞砲兵も入っています。先ほど言った建築ができれば要塞砲兵を置かなければならない。それと対馬に警備隊というのが置いてあります。これに2万8600円余充ててあります。それに屯田兵の55万2千円余…これはもともと北海道庁の費用でしたが、こちらに移ってきたのです。それに徴兵の付き添い人旅費。これはもともと内務省で支弁していたものを陸軍省に移したので、これが2500円余。それから測量部の地図払い下げ代、これが7500円余であります。馬匹払い下げ代は2万1300円余。靖国神社の費用は7500円余。退官賜金は1200円余。近衛諸隊拡張のために28万円。演習費に充てて1万9千円。これでちょうど199万円ほどになります。これだけが全く別に、それ相応の事柄があって、その事柄に対して増した費用です。他の庁から陸軍省に移ってきた費用がたくさんこの中にあるのです。
(以下略。この後も予算の細部に関する質疑応答が続く)
旅後録
この議事録は、明治初期の軍拡に関する貴重な一次資料ですが、現代の読者にとって理解しづらい点がいくつかあります。以下に、補足説明が必要だと感じる点をまとめました。
1. 継続費と臨時費の複雑な関係
議事録では、継続費と臨時費の区分や使途について繰り返し議論されていますが、両者の関係が複雑で分かりにくい部分があります。当時、予算は「陸軍定額」として一括計上されていましたが、軍備拡張に伴い、継続的な経費(經常費)と一時的な経費(臨時費)の区別が導入されました。しかし、実際には、臨時費から經常費への振替や、財源のやりくりなどが行われており、予算の全体像を把握するのが困難になっています。この背景には、限られた財源の中で、近代化を進めようとする政府の苦しい台所事情が垣間見えます。
2. 軍隊編成の段階的な進捗
師団編成は一律に進むのではなく、歩兵、砲兵、工兵、騎兵、輜重兵など、兵科ごとに進捗状況が異なっていました。また、近衛師団の編成は他の師団に比べて遅れており、その理由として財源の制約が挙げられています。これらの情報は、当時の軍隊の近代化の過程を理解する上で重要です。
3. 連発銃導入の緊急性
ヨーロッパにおける兵器の近代化を受け、日本陸軍も連発銃(村田銃)の導入を急いでいました。しかし、国庫の状況から臨時費の要求が認められず、既存の予算から財源を捻出せざるを得ない状況でした。議事録からは、列強に遅れを取らないように焦る陸軍首脳部の焦燥感が伝わってきます。
4. 要塞砲兵と海防の長期計画
海岸砲台建設と要塞砲兵の設置は、海防強化のための重要施策でした。しかし、東京湾の第二海堡のように、完成までに数十年を要する計画もあり、長期的な視野に基づいた予算編成が必要とされていました。当時の国防に対する危機感や、長期的な戦略構想を理解する上で重要な点です。
5. 測量事業の重要性の認識
軍用地図作成のための測量事業は、国防上だけでなく、国土開発や社会基盤整備にも不可欠であることが認識されていました。しかし、予算の制約から事業の進捗は遅れており、将来への投資の必要性が訴えられています。
6. 献金と予算の関係
大砲鋳造のためには、帝室からの下賜金や国民からの献金が活用されていました。これらの献金は、国庫負担を軽減する役割を果たしていましたが、献金の額は限定的であり、安定的な財源確保が課題となっていました。
7. 会計年度と徴兵年度のずれ
会計年度は4月1日開始であるのに対し、徴兵は12月に行われていました。このずれにより、予算計上に際して、人員や食費などの計算が複雑化していました。この点も、当時の予算編成上の困難さを理解する上で重要なポイントです。