「シア、種火ならボクが用意するよ」
「ありがとうございます」
夜の闇が降りる前に、私たちは野営の準備をはじめていた。
街道から少し外れた森の中で、一夜を明かすことにする。
焚き火のために集めた枯れ枝に、リーナは自分の杖を向けて、
「ほいっと」
なにもない空間に小さな火が灯り、枯れ枝にゆっくりと浸透していく。
ゆるやかに大きくなっていく炎の明かりに照らされて、リーナがふにゃりと微笑んだ。
「えへへ、野宿って久しぶりだ」
「そうですね。私も久しぶりです」
辺境の森に落ち着いてからは、自分で家を建てて暮らしていた。
自作のベッド以外の場所で寝るのは、ほぼ二十年ぶりだ。
「道中で町に寄れるなら、小さなもので良いのでテントが欲しいですね。雨のときとか大変ですし……荷物は増えてしまいますが」
四人で旅をしているころなら、荷物も分担して持てた。
特に重量のあるものや嵩張るものは、前衛で力のあるふたりが担当してくれたのだけど、今はリーナとふたりきりなので前よりも荷物の量は慎重に考えなくてはいけない。
「大丈夫、おっきな荷物はボクが担当するよ」
「……いえ、リーナに持たせるわけにはいきません。私が持ちます」
「なにもそのまま持つわけじゃないって。……見ててよ」
言いながら、リーナが背中に背負っていた荷物袋を枯れ葉の上に置く。
見てて、と言われたので素直に視線を向けていると、リーナは杖の先を荷物へと向けた。
「えいっ」
気軽な言葉とともに、魔法が発動する。
枯れ葉の上に置かれた荷物が、みるみるうちに小さくなっていく。
驚いている間にもザックはさらに縮んでゆき、最後には林檎のようなサイズになってしまった。
「ふふん、どう? もちろん袋の中に入れた荷物もぜんぶ、そのまま軽く、小さくなってるよ」
「……驚きました。物質を縮小するとは、凄い魔法ですね」
物体の質量そのものを、縮めてしまう魔法。
言葉にするのは簡単だけど、とんでもなく難しいものだろう。
なにせ、ふつうに『潰した』のでは壊れてしまう。モノを壊さずに、その機能を保ったまま小さくしたり元に戻したりできるなんて、魔法であっても気軽なことじゃない。
「あの旅のあと、火とか水以外にもこういう魔法があったら便利だったよなって思ったものを研究してたんだよね。……まあこれはちょっと難しすぎて、ボク以外が使うのは無理だったけど」
「それはそうでしょう……いろいろとぶっ飛びすぎというか、こんなの誰でも使えたら便利すぎてあっちこっちの業界で革命が起こりますよ」
こんなものが一般に普及したら、生活の有り様から変わってしまう。
より多くの物品が個人で簡単に運べるようになるのだから、冒険は格段に楽になるし、物流にだって影響があるだろう。
ふつうに生活をしている人だって、片付けきれない荷物をまとめるのに便利なはずだ。
「いつかはもっと簡単にして、少なくともある程度の実力がある魔法使いなら使えるようにしたいけどね。とにかく、重たいものはボクが担当するよ。これならボクでもいくらでも荷物持てるもん」
「……そういうことなら、お願いしますね」
体力と腕力的に私が荷物持ちをするべきだと思ったけれど、こんなにも便利な魔法があるのなら話は変わってくる。
荷物をもっと増やせるのなら、どこか大きな都市に寄ったときにでも改めて旅の道具を揃えるのも良いだろう。
「では、火も大きくなってきたことですし……調理をしていきましょうか」
新しい魔法に驚いているうちに、炎は充分な大きさになった。
夕食の準備のために、私は自分のザックから調理器具を取り出す。
「偶然とはいえ、奪ってしまった命です。感謝して、きちんといただきましょう」
魔物という言葉はそもそも、『魔法が使えるヒト以外の動物』という意味を持つ。
毒などで食べられないものもいるが、その多くは調理で食べることができる。
そしてコカトリスは、魔物の中では非常に美味なことで有名だ。
「……こうして見ると、でっかいニワトリだよね」
調理前のコカトリスを見て、リーナがつぶやいた。
野営の準備の一環としてすでに血抜きと羽根抜きは終わっており、彼女の言うようにこの状態のコカトリスはもう、鶏肉と大差ない見た目をしている。
「実際、ニワトリと先祖は同じらしいですね。進化の過程で魔法を習得して『魔物』という扱いになったのがコカトリス、人の手で『家畜』へと調整されていったのがニワトリ……らしいです」
「シア、相変わらずそういうのに詳しいね」
「長生きをしていると、知識を蓄える暇だけはあるものですよ」
魔王討伐の旅をする前は、数百年ほど各地を放浪していた。
私の知識はそのときに身につけたもので、実際には結構古いものも多い。
とくにここ最近は気がつかないうちに二十年も隠遁していたのだ。平和なうちに進歩や発見があっただろうし、自分の知識をぜんぶ鵜呑みにはできないだろう。
もちろんそう簡単に変わらないものだってある。
たとえば、コカトリスの肉はもの凄く美味しい、とか。
コカトリスは臆病で、基本的には隠れて暮らしている。
長く森に住んでいた私でも、普段は探すのが面倒で積極的には狙わない『ごちそう』だ。
「では、調理していきましょうか」
「手伝うことある?」
「お鍋に水をお願いします。骨からお出汁を取ってスープにしたいので」
「まっかせて。ほい、ほいっと」
私の言葉に頷いて、リーナが杖を振る。
用意していた鍋から湧き出るようにして、水が現れた。
「……魔法があると本当に楽ですね。水源を探す必要も、火起こしの面倒さもないですから」
「えへへ、頼って良いよ、褒めて良いよ?」
「いつも頼っていましたし、これからまた頼りますよ。えらいですね、リーナ」
「えへへへへぇ……」
昔のように頭に触れると、もの凄く嬉しそうな笑みが返ってきた。
二十年経っても変わらない素直さと銀髪の感触に微笑ましくなりつつ、私は食材へと向かう。
コカトリスの構造は基本的にニワトリと同じなので、解体の仕方もそれと同じだ。
必要な部分に切れ目を入れて関節を外し、外側から剥いていくようにして切り分けていく。
骨の多い部位は、『とりがら』として出汁を取るために、ほどよく肉がついたまま鍋へ。
たっぷりと可食部が取れるモモやムネは後日、別の料理に。
内臓は新鮮な今日のうちに食べてしまいたいので、食べやすい大きさ切り分けてしまう。
ニワトリと同じようにほとんど捨てるところのない、優秀な食材だ。
「ふう、だいたい捌けました……スープから準備しますね」
事前に木の枝を削って準備した吊るし台に鍋を吊るし、焚き火にあてる。
家から持ち出して余っていた野菜と調味料を入れて、あとはじっくりと煮込むだけだ。
その間に今日食べる分と明日に残しておく分に分けて、食べない分は保存のためになるべく清潔な袋に。
「リーナ、余りを頼めますか?」
「うん。腐らないように、魔法で冷やしておけばいいんだよね」
「ええ、助かります。……私も『ふつうのエルフ』みたいに、魔法が使えれば良かったんですけどね」
エルフは、本来なら魔法に長けた種族だ。
だけど私は、エルフでありながら魔法を扱うことができない。
……赤い目のエルフ、ですからね。
日中に、少女に言われた言葉を思い出す。
エルフの瞳は、基本的には翠や蒼色をしている。私の目が緋色なのは、魔力に異常があるためだ。
本来ならば全身に流れているはずの魔力が瞳に集中して留まり、そのせいで私の目はふつうのエルフには無い色彩を宿し、同族のように魔法を扱えない身体になっている。
「生まれつきなんだから、しょうがないよ。それに魔法が必要なときは、ボクに頼れば良いでしょ? ……ボクも、シアのこと頼りにするから」
「……そうですね、ありがとうございます」
暗くなりかけた気持ちを引っ張り上げるように、外套の端をつままれた。
慰められたことに情けなさよりも嬉しさを感じながら、私は湧き始めたお鍋の中身から灰汁を取り、吹きこぼれないように鍋の位置を調整。
リーナは私の隣で、鍋からのぼってくる湯気に顔をつっこんで、
「あ、良い匂い。うーん、やっぱりニワトリだ……」
「ほとんど鶏出汁ですね。多めに作っておくので、明日の朝ご飯分までのスープにしますよ。……一晩おいた後の方が美味しいでしょうから」
「やたっ。じゃあ今日はスープと……内臓?」
「そうですね、内臓は臭みが出やすいので今日食べましょう。モモ肉とかは明日以降のお楽しみです」
言いながら、私は拾ってきた枝をナイフで削ってとがらせたお手製の串にコカトリスの内臓を刺していく。
塩とスパイスを振り、焚き火から引火しない程度の距離で串を並べれば、あとは火が通るのを待つだけだ。
「すみません、手を洗わせてもらっていいですか?」
「はーい」
リーナの魔法で水を出してもらい、血と脂で汚れた手を清める。
石けんは自分で作ったものを自宅から持ち出してきた。
「あとは出来上がりを待つだけですから……そうですね、お茶でも用意しましょうか」
「うん。早くできないかなぁ……」
「気が早いですね……楽しみにして貰えるのは、嬉しいですけど」
ひとりの食事とは違い、出来上がりを笑顔で待っている人が居る。
そのことに嬉しくなって、自然と自分の口からも笑みがこぼれてしまう。
なんとも単純な自分を自覚しつつ、私はお茶の準備を始めるのだった。