「へ……?」
首を傾げつつも、リーナは私が向いている方へと視線を向ける。
「……うわ、羊が石になってる!?」
見たとおりのことを、リーナが叫んだ。
そう、村の大事な家畜である羊たちが、石化しているのだ。
リーナが事態を理解すると同時、周囲から悲鳴が聞こえてきた。
村人たちが異変に気づき、騒ぎになりはじめている。
「石化の魔法……おそらくコカトリスですね。普段は森から出てこないはずですが……」
「……もしかして、転移のせい?」
「ええ、転移の魔法で起きた空気の変化に驚いて、何匹かが森から逃げたんでしょう。コカトリスは臆病で、魔力の乱れにも敏感ですから」
大型の鶏のような姿をした魔物、コカトリス。
臆病な性格で、自分より大きな生き物に襲いかかることはほとんどない。
しかしコカトリスは自分が襲われると、魔法を使って相手を石化させるという厄介な性質も持つ。
手を出さなければ無害だが、狩ろうとするとかなり面倒な魔物だ。
リーナの転移によって空気が乱れたことで、驚いて森から逃げ出したのだろう。
そして逃げた先に人里があったことでさらにパニックとなり、防衛として石化魔法を使ったというところか。
「……仕方有りませんね」
こんな片田舎の村で暴れられたら、村人たちでは対処が難しい。
やるべきことをするべく弓を手に取ったところで、リーナが隣に立った。
「ボクが原因だし、責任取らないとね」
「私にも非があります。森の生態系は把握していたのに、こうなることを想像できていませんでしたから」
転移魔法で空気が乱れ、野鳥たちが騒いだ時点でここまで予測するべきだった。
二十年という月日で危機感の低くなった自分を反省しつつ、私は視界を確保するためにフードを頭から外す。
そのまま矢筒へと手をかけようとしたとき、くい、と外套が引っ張られた。
「シア、ボクがいるんだから『矢』は必要ないよ」
「……そうでしたね」
ひとりでの狩りではなく、今は隣に彼女がいる。
勢揃いとはいかないけれど、魔王をいっしょに倒した頼れる魔法使いだ。
私は矢を手に取ることなく、ただ弓弦を引き絞った。
「数、分かります? 私から見えている分だと五匹なんですが」
「村の中で魔物っぽい魔力は七だね、たぶんシアに見えてない二匹は家の裏とかだと思うから、こっちでやっておくよ」
「……家や土地ごと吹き飛ばしちゃダメですよ?」
「ボクだってそれくらいの分別はあるよ。……二十年前なら分かんないけど、ね」
軽いやりとりをしつつ、リーナが持っている杖を掲げる。
一呼吸を置いて、私の指先に光が宿った。
輝きはそのまま矢の形を取り、確かな質感を感じる。
「ふ……!」
既に、狙いはつけている。あとは指を、離すだけだ。
ひ、と風切り音を鳴らして、魔力の矢が突っ走る。
狙った通りの起動で、光が魔物の急所を貫いた。
「……さすが、腕は落ちてないね」
「狩人としてはずっと現役でしたからね。次、お願いします」
返事は言葉ではなく、指先の感触として現れた。
リーナが生み出してくれる魔法の矢を、私はふたたび弓へとつがえ、
「っ……!」
そこからはもう、流れ作業だ。
二射、三射と重ね、近場のものから順番に射貫いていく。
私が目に見える場所にいるコカトリスを狩っている間に、リーナが魔法で隠れている分を処理し、家畜たちの石化を解いていく。
お互いの役割を果たすことで責任として、私たちは被害を最小限に抑えた。
「……ふぅ」
二十年ぶりの、リーナとの共同作業。
とはいえ戦闘をしたという感覚はなく、気分的には狩りの延長に等しい。
それくらいにはコカトリスは、私たちにとって危険とは言いがたいものだった。
かつて、『魔王』に率いられていたときならともかく――ただの『魔物』に、今更遅れを取ることはない。
「とりあえずこれで、迷惑はあんまりかけずには済んだかな?」
「ええ。多少騒ぎにはなってしまいましたが……人や家畜の命がなくなるようなことは、さけられたでしょう」
危険ではない、というのはあくまで私たちにとっての感想で、ふつうの人にとってコカトリスは充分すぎるほどに脅威だ。
石化魔法は解除が難しく、そのまま放置していれば家畜の被害は大きかったし、最悪村の人たちも石化させられていただろう。
「ん……」
ほっとした気持ちで弓を降ろし、射撃のために張った気持ちを落ち着ける。
背後には、知っている人の気配があった。騒ぎになったことで、出てきてしまったのだろう。
「あ、赤い目で、弓使いのエルフ……お姉さんたち、もしかしてほんとに……」
「……さすがに、憧れて格好を真似ているだけのファン、では通りませんよね」
息を切らせてこちらを見るのは、店番の少女。
さすがにこの状況で、言い訳はきかないだろう。
彼女の愛読書である勇者と仲間たちの旅を記した書物には、当然私のことだって載っているのだ。緋色の瞳で弓を使う、とあるエルフのことが。
どうしたものかと思っていると、隣にいたリーナが帽子を外して、
「ほいっ」
「わぷっ……ま、魔女、さま?」
「それ、あげる。だから……今だけ、内緒にしてね? 友達ふたりで、静かに出て行きたいんだ」
「っ……!」
少女の頭に帽子をかぶらせて、リーナは微笑む。
嬉しさと驚きの混じった表情で何度も頷く少女に、ありがと、と声をかけ、彼女は私の手をとった。
「行こっか、シア!」
「……良いんですか、帽子あげちゃって」
「どうも誰かさんの本のせいで、かぶってる方が目立つみたいだし。それに……シアならどんな人混みでも、ボクのこと見失わないでしょ?」
「それは……ええ、もちろんです」
目には自信がある。まして大事な仲間のことを、見失うはずがない。
手を握り返すと、リーナは満面の笑みで私の前に出る。
私は荷袋を拾い、編み上げた銀の髪が揺れるのを追いかけるように歩き出した。
「……あ。せっかくですからそこの一匹だけ、コカトリス持って行きましょうか」
「ん、りょーかい。ちょうど良くお肉が手に入ったね!」
「ええ。経緯は反省しなくてはいけませんが……食料は大事ですからね」
不慮の事故とはいえ、狩った側の責任もある。
一匹だけもらい、残りは村人たちに残していこう。
コカトリスは気軽に狩猟できるようなものではなく、その肉が美味しいことは一般的にも知れ渡っているので、騒動のお詫びとしては充分のはずだ。
自分たちに必要な分だけを回収して、私たちはひっそりと村から出て行った。