荷物をまとめるのは、早かった。
元々が根無し草な私は旅慣れしているので、必要なものだけをまとめるという行為に時間はかからない。
簡単にまとめられた私のザックを見て、リーナが首を傾げる。
「荷物、それだけなの?」
「最低限あれば問題ないですから。あなたと旅をするなら、尚更でしょう」
数多くの魔法を使えるリーナは、生活に役立つ魔法も数多く使える。
そこまで考慮しての、最小限の荷造りだ。
スパイス類やひとまずの食料、生活用品と予備の着替え。
それくらいあれば、困ることはないだろうと判断しての荷物量。
「そっか。じゃあ、さっそく出発! ……なんだけど」
「……なんだけど?」
「実はボクの方の用意が全然できてなくて……ノリで出てきちゃったから、服と杖と、あとお小遣いくらいしか持ってないんだよね」
「なんでノリで大魔法を……一方通行になることくらい、分かってたでしょうに。ここには大規模魔法発動用の補助施設なんてありませんよ」
転移の魔法なんてものは、そう気軽に使えるものでは無い。
本来なら様々な制約や、数十人規模の魔法使いの魔力を集めてようやく使えるような力なのだ。
出口側の準備もなくここまでこれただけでも、充分にとんでもない成果だろう。
「しょ、しょうがないでしょ。遠見の魔法でシアを見つけて、嬉しくなっちゃったの! ……あと早くにげ……んんっ」
「早く……なんですか?」
「なんでもない! とにかく、準備しに行きたいから、どこか買い物行くよ!」
「……そういうことなら、私が普段買い物に出てる村まで行きましょうか」
ちょっとした買い物ができる場所というなら、あてはある。
さすがに王都のような品揃えは期待できないけれど、日用品を揃えるくらいならできるだろう。
「……なにもずっと引きこもってたってわけじゃないんだね」
「年に数回くらいですが、買い物くらいは出てますよ。森では手に入らないものもありますからね」
荷物をまとめたザックを片手に、私は彼女に手招きする。
こうして、ひとまずの目的地を決めた私たちは森を出たのだった。
◇◆◇
「……平和な村だねえ」
柵の中にいる羊の顔を見ながら、リーナがつぶやく。
話しかけられたと思ったのか、羊がメエエと鳴いた。
「魔王が倒れてから、田舎もそれなりに安全になりましたからね」
私たちが魔王を討伐したことで、世界中で魔物の被害は格段に減った。
もちろん完全に魔物が消えたわけではないけれど、人々の生活はかつてよりもずっと穏やかで平和なものになっている。
辺境で、すぐに軍隊がこれないような場所でも、それなりに安全なくらいには。
「いつも買い物してる雑貨屋があっちの方にあるので、行きましょうか」
「はーい。……ところで、なんでフード被ってるの?」
「エルフは目立ちますから、一応です」
「それ、怪しくない……?」
「定期的に通ってますから、ツッコミは入りませんよ。ほら、牧場の子も手を振ってくれてます」
定期的に食べきれない野草や獲物を村で換金したり、日用品を買いに来ているので、村人たちからは覚えられている。
背中に背負った弓が、私の身分証というわけだ。
もちろんそれは、かつて世界を救った勇者などではなく、森に住んでいる狩人の女、という身分だけど。
「なるほど。それでボクのことも、特に警戒されてないわけだ。知り合いが知り合いを連れてきた、って感じで」
「ずいぶん目立つ女の子が来た、くらいには思われてるでしょうけどね」
リーナの銀色の髪はどうしたって目を引くし、なにより格好がいかにも魔法使いという感じだ。
とくに大きな帽子をかぶっているのは、遠目からでも目立つだろう。実際、話しかけてはこないまでも物珍しげな視線は飛んできている。
「しょうがないでしょ。こういう格好してないと、ちっちゃすぎて人混みとかで困るんだから」
「その格好で、身バレとかしないと良いんですが……」
「田舎の方だし、ボクの顔までは分からないと思うよ? ……でも、もったいないな」
「……なにがです?」
「シア、すっごく綺麗な金髪してるし、美人だから。フードで隠すのもったいないなって」
「……お世辞をいってもなにも出ませんよ」
唐突な言葉にびっくりしつつ、私は言葉を返す。
リーナはなぜか私の返事に、むっ、とした顔をして、
「お世辞じゃないよ。シアは昔から……ずっと綺麗だもん」
「……エルフとしては、私は綺麗とはいえませんから」
「ボクは……好きだよ。シアの真っ赤な目のことだって……」
「……ありがとうございます。さ、そろそろお店につきますよ」
ご機嫌取りではないことくらい、私にだって分かっている。
それでも素直に受け入れる気持ちにならないのは、どうしても自分という存在に引け目を感じているからだ。
気を遣われているなと思いつつ、私は適当に話に区切りをつけ、お店のドアをノックする。
「お邪魔します」
「あ、狩人のお姉さんだ、いらっしゃい!」
出迎えてくれたのは、まだ年若い少女だった。
当然何度もやりとりしているので、相手はすぐに笑顔を見せてくれる。
「今日はご両親は畑の方ですか?」
「うん。私はお裁縫しながらお留守番! ……えーと」
顔見知りの相手は手に持っていた針を置くと、私とリーナを交互に見て、
「……お友達?」
「ええ。お友達です」
「珍しいね、お姉さんがふたりで来るの。というか……その子の格好、もしかして魔女様のファンなの?」
「へ?」
「だってそのローブに大きな帽子、魔王を倒した四人の一人、魔女のリーナ様の格好でしょ、本で見たよ!」
ふんす、と鼻息荒く、少女はカウンターの影から分厚い本を取り出す。
少女が持っている本の表紙を見て、リーナは目を丸くした。
「……『勇者たちの旅』だ」
かつての私たちの旅を、ある程度簡単にまとめた本。
魔王討伐後に書かれ、多くの人たちが知る本であるそれを、少女は目を輝かせながら抱いて、
「そう! 勇者様たちの旅をまとめた本! あなたも好きなんでしょ!?」
「あー……」
少女のきらきらした視線を浴びて、リーナはやりづらそうな顔でこちらに視線を投げてくる。
……まあ、さすがに本人がここにいるとは思いませんよね。
どうやら、『格好を真似ているだけのファン』だと思われているようだ。
実際村で子供たちが『勇者ごっこ』をしていることも珍しくないので、そういうふうに受け取られたのだろう。
「……そんなところです」
「ちょっ……」
ちょっと面白いし、本人だとバレるよりは良い気がしたので、そのままにしておこう。
フードをかぶっているので、私の顔は相手には見えない。半笑いで肯定すると、リーナはもの凄く微妙な顔でこちらを見る。
外套を引っ張ってきたリーナに対し、私は声を潜めて、
「良いじゃないですか。へんに大きな騒ぎになると、人が集まって出て行きづらくなりますよ」
「そ、そうだけどさぁ……」
「……? どうしたの、お姉さんたち」
「いえ、なんでもありませんよ。今日はこの子の日用品をそろえたくてきたので、少しお店を見せてもらいますね」
「あ、はーい。好きなだけ見ていってね!」
元気な接客に微笑ましくなりつつ、私はリーナとともに旅に必要なものを見繕う。
旅をするのに必要な最低限の日用品と、それを収納するための小さめのザック。
ここは小さな村で、冒険用の丈夫で機能性のあるものは望めないけれど、ひとまずの装備としては充分だろう。
使い心地がもっと良いものが欲しいなら、また別のところで買い物をすればいい。
「支払いはぴったりで」
「はい、ぴったりだね。ありがとう、狩人さんと『魔女ちゃん』!」
「ちゃ……んん、こちらこそ、ありがと」
リーナは子供扱いされたことに微妙な顔をしつつも、買ったものを受け取る。相手が子供なこともあり、文句を言いづらいのだろう。
購入したばかりのザックに荷物を入れ始めたリーナをちらりと見て、少女はこちらにも視線を向けた。
「……お姉さん、もしかしてお出かけするの?」
「ええ。しばらくはこの村には来ないかなと思いますので……ご両親にもよろしくお伝えください」
「分かった、また来てくれるのを待ってるね!」
はつらつとした、元気の良い笑顔。
赤ん坊の頃から見ている相手だけに別れるのは少し寂しいけれど、またいつか会いに来ればいいだろう。
今回の旅に最終的な目標がないのなら、戻ることだって選択肢にはあるのだから。
手を振る少女に見送られて、私たちはお店を出る。
「ところで、旅は良いんですが……ひとまずの目標くらいは決めておいたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「それなんだけど……まずは西の方にいこうと思って。聖都に寄りたいんだよね」
「ええと……それは、もしかして……」
「あのふたりとも、二十年会ってないでしょ? 顔見せに行くくらいはしないとね」
魔王を討伐した、ふたりの仲間。
勇者と騎士に会いに行くというのが、リーナの立てた予定らしい。
「……聖都でラッセルに会ってからの、王都ではスタンに会うということですね」
「そういうこと。……出てきた手前、王都の方面にはちょっと戻りづらいんだけど、シアをあのふたりに会わせるほうが大事だからね」
「気を遣ってもらわなくても……いえ、そういうわけにもいきませんか」
「そうだよ、あのふたりは二十年でだいぶ老けたんだから。ちゃんと元気なうちに会っておかないと」
純血のエルフである私や、魔女であるリーナと違い、あのふたりは人間と獣人だ。
リーナの言うとおり、機会があるうちに会っておくべきだろう。
自分で立てているプランもないので、特に反対する理由は無かった。
「それにしても……そのあたり、随分と考えられるようになりましたねえ」
「当たり前でしょ、ボクだって見た目はともかく中身は成長してるんだから。というか、昔はシアの方がそういうところ細かかったでしょ」
「二十年でボケたのかもしれませんね……なにせお婆ちゃんなもので……」
「都合の良いときだけお年寄り振る舞いするの、良くないと思うよ……?」
リーナの成長にうんうんと頷きながら、村の出口へと足を向ける。
当然並んでリーナもついてくるので、私は身長差を考えて歩調をあわせる。
「では、西の方に……あれ?」
「どうしたの、シア?」
「……リーナ、ちょっとまずいことになったかもしれません」
視界に映ったものを見て、私はザックを降ろした。
村にいくつかある家畜を放牧するためのスペース。その柵の向こうで、異変が起きていた。