草木の匂いと鳥の声を、風が運んでくる。
慣れ親しんだ木漏れ日のあたたかさを感じながら、私は目を開けた。
「……朝、ですね」
お手製のベッドから起き上がり、いつも通りの一日がはじまる。
まずは寝間着のままで自宅の外に出て、目の前を流れている小川で顔を洗う。
湧き水のつめたい感触が肌に刺さり、うっすらと残っていた眠気が水に流れていく。
深く、緑の空気を吸い込むころには、意識は完全に覚醒していた。
「さて、朝ご飯ですね」
数百年間ですっかり手慣れた動きで火種をつくり、家の中のかまどへと放り込む。
純血のエルフという身の上でありながら魔法が使えない私は、毎朝丁寧に火起こしをして、そこから朝食を作り始めるのだ。
「さて、今日は……もうほとんど備蓄がないですね。せっかくですから野菜もお肉も贅沢に使って、夜まで食べられるようなものにしましょうか」
薪を放り込みながら、朝食のメニューを組み立てる。
かまどの中で少しずつ大きくなっていく火を見ながら考えるこの時間は、結構好きだ。
「……調理用の水を汲んできましょうか」
種火が炎になるころに献立を決めて、私はのんびりと外へ出る。
やることもなく、目的もなく、エルフという種族の長命を無駄に消費する日々。
「うーん、いけませんね。これじゃまるでお年寄り……いえ、年齢的にはお年寄りでもいいんですけど……かといって、『また』世界を回るというのも……」
危機感を覚えつつも、目的を探そうという気持ちにはならない。
なぜなら私はすでに一度、そういうことをしたことがあるからだ。
かえがたい仲間たちとの、一生に一度の大冒険を。
きっと私ひとりで目的もなく世界を巡っても、あの時間を超えるような体験はできないだろう。
だからこうして、私は今日も意味もなく時間を浪費し続けている。
ときおり浮かんでくる想い出だけが、今の私にとっての楽しいものになっていた。
「自分のことながら、難儀な感じですね……」
めちゃくちゃ面倒くさいやつだな、と自分のことを評価しつつ、私は水を汲んだ。
流れる川の流れと鳥の歌を聞きながら、家に戻ろうとして、
「……?」
ちく、と瞳の奥に刺さる感覚に、私は動きを止めた。
それは平和な森の奥で暮らしていれば、感じるはずのないものだった。
「魔力の気配……それも、もの凄く大きい……」
強すぎる魔力によって空気が乱れ、風が渦巻きはじめる。
空気の変化に驚いたのだろう。鳥たちが羽ばたいて逃げる音があちこちから聞こえた。
なにが起きても良いように、私は自然と水桶を置き、身構えていた。
そうするべきだと思うくらい、感じた気配が強大だったからだ。
「へっ……!?」
結果として、警戒はまったくの無意味だった。
私の目の前で発生した魔法は、大規模な転移の魔法。
本来であれば『送り先』にも多大な準備が必要な、高度な魔法だ。
あり得ない、という声が喉奥から出そうになるけれど、出現した相手を見て納得した。
「よいしょっと」
気軽な声とともに、見知った顔が着地する。
空中に描かれた大仰な魔法陣から現れたのは、ローブを羽織った銀髪の少女。
月日を重ねても変わらない姿をした友人は、大きな紫色の瞳をいっぱいに見開いて、
「シア、ひさしぶりー!」
「わわわっ……!?」
思い切り飛びついてきた相手を、私は抱きとめた。
懐かしい重さと声は、どうして彼女がここにやってきたのか、という当たり前の疑問をひとまず置いておくには十分すぎるものだった。
「……ええ。久しぶりですね、リーナ。ええと……五年ぶりくらいですっけ」
「二十年だよ!? 二十年!! すっごい探したよ、もう! 世界中に探知魔法飛ばしまくったんだからね!?」
え、もうそんなになります?
怒った顔の旧友にがくがくと肩を揺すられつつ、私は自分のエルフ特有の緩い時間感覚に愕然とするのだった。