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第27話 隠し事


 違和感はあった。

 本当にここが作業区画でしかないのなら、一階の鉄扉はおかしいんじゃないかって。

 絶対出入りが多くなるはずなのに、あんな重い扉を設置しちゃったら作業効率はガタ落ちだろうから。煌びやかなエントランスの景観を崩してまで置く意味がまるでないどころか、なんならマイナスだもん。


「明らかに何かあると言っているようなものだな」

「うん」


 じゃあなんでそうしてるのか。

 答えはきっと、再び立ち塞がったこの鉄扉の先にある。


 胸元を握りしめる。

 衣嚢にしまい込んだ髪飾りが、金属と鉱石の硬い感触を返してきた。

 いつの間にかきつく噛んでた唇を許してやって、扉に手をかける。

 一呼吸おいて引いてみるけど、びくともしない。


「……ん、開かない。鍵穴はないけど……」

「単純に錆びついているだけだろう」


 薄暗いからわかりづらいけど、ヤトが指す蝶番は大量の錆でガチガチに固定されてる。

 この階はやたら湿気が多いから、きっとそのせいだ。


「下がれ。俺がやる」


 私と入れ替わったヤトが力を込める。

 蝶番の継ぎ目に張りつく錆が剥がれ始めた次の瞬間――


 ――ギギギギィィィィィィィ!

「ちょ――ッ⁉」


ヒヤッとするくらい甲高い音が鳴り出すのを聞いて、慌てて開いた隙間に二人して飛び込む。

 ヤトが急ぎ扉を閉めると、光一つない真っ暗闇に包まれた。


「さすがに何も見えんな」

「ん、ちょっと待って。いい物持ってきたから」


 袖から小さな円盤を取り出した。

 二つの取っ手を引っ張ると蛇腹が伸びて体を膨らませる。

 さらに底面側の取っ手を捻ると中の鉱石が反応して、蛇腹状の紙で柔らかくなった光が周囲をぼんやりと照らし出す。


「それは……提灯、だったか?」

「こんなこともあろうかと持ってきたの。ちょっと古臭いけど便利でしょ」

「どんなことだ」

「……」


 お世辞にもいい想像じゃないから口にはしなかったけど、あんまり意味はなかったかもしれない。

 周囲を見渡す。

 今いるのはさっきまでと同じような通路だ。

 ただし樹木と石レンガが半々だったさっきまでと違って、こっちは石レンガだけでガチガチに壁や床、天井が構成されてる。

 そして――


「――っ」

「……ふん、なるほどな」


 私の動きに合わせて縦に割かれた光が躍る。

 通路と部屋を仕切る、とある異物のせいだ。


「自宅に牢獄とは、奴らいい趣味をしている」


 ほんとにね。

 返事をしたつもりだったけど、出たのはカチカチと鳴る歯の音だけだった。

 自分でもどういう感情によるものかはわからない。

 ただひたすらに、黒い鉄格子の強烈な存在感は私の視線を釘づけにして離してくれず。

 何かの間違いだろうなんて微塵も疑わせてくれないほど、それは牢獄だった。


「キリノ、いつまでもこうしているわけにはいくまい。進むぞ」

「……」


 通路は短く、ぱっと見で牢屋は両脇と正面に一つに見えるけど、どれも狭苦しくて薄汚れてる。

 もしお母さんがいてまだここに囚われてるなら、急いで助けてあげないといけない。

 ……って思ってるのに。

足は重く、動かない。


「どうした?」

「……っ」


 わかってることがある。

 ここには長い間、誰一人立ち寄ってないってこと。

 だって、今潜った扉の蝶番に張りついてた錆の量は絶対に一朝一夕でできるようなものじゃなかった。

 ヤトが開けた時にそれが一斉に剥がれ落ちたってことを考えれば、この場所がずっと放置されてたなんてこと誰にだってわかる。

 お母さんがこの豪邸に向かった後に行方不明になったのはもう何年も前のこと。

 ここにお母さんが閉じ込められたんだとして、今も出してもらえてないんだとしたら……っ。


「……あの、ごめんね」

「なんだ?」

「もし……。もし、さ。実物……その、お母さんの。……見ちゃったら……私、おかしくなっちゃうかも」

「……なに?」

「ねえ、は、白骨化、とか、さ。……し、してるのかな……?」

「……」

「で、でもさもしかして湿気がすごいからまだ残っててっ、腐っててさ……っ! まだ中途半端に、そのっ、残っててとかだったら――……っ」


 最悪の想像が私の意思を無視して次々更新される。

 塗り潰される。

 まだ確認してもないのに、どんどん鼓動が早くなる。


「そしたらっ、私さぁっ! 絶対――」

「少し落ち着け。声が大きいぞ」

「だ、だって! そんなの見ちゃったら私――ッ!」

「……チィ」


 ヤトが手をこちらへ伸ばしてきたと思った次の瞬間、香木の香りと温かさが私の体を包んだ。

 ジメジメと冷たい空気が遠ざかる。


「黙れ。気づかれる」

「……っ」


 触れ合う肌越しに声が伝わる。

 自分のものじゃない体温が騒々しい頭の中を宥めすかす。

 ヤトの鼓動が私の不安で焦る心臓に普段のリズムを思い出させてくれる。


「昔、おまえの母親が言っていた。キリノは泣いている時、抱きしめてやると黙るとな」

「……それ、子どもの頃の話でしょ」

「俺からすれば、今のおまえも大して変わらん」

「またいつもの龍神様アピール?」


 精一杯の皮肉はスルーされた。

 代わりに肩に手を置かれて抱き寄せられてた体を引き離され、目を見つめられる。

 わずかにかかるヤトの息と両肩に置かれた手から伝わる温もりに、さっきの余韻がある。


「キリノ、聞け」


 間近にあるヤトの顔。

 暗がりでも強い光を放つ紅い瞳には、なんとも情けない私の顔が映り込んでた。


「俺はよく知っている。放置された人間の死体は耐えがたい死臭を放つものだ。腐っているのならなおさらな。……今はどうだ? 粘つき、鼻の中に居座るようなあの独特の臭気は感じるか?」

「……しない」

「ああ、そうだな。人の身になったとはいえ、嗅覚には自信があるが、俺もまったく感じない。死んで放置されたのが何年も前だとしても、この閉鎖された空間で残り香すら感じないというのは考えづらい」

「……」


 そう、かもしれない。

 一切の揺らぎない言葉と冷静な理屈がゆっくり沁み込んでくる。


「仮に何かを見つけたとして、少なくとも悲惨な光景が広がっているということはあるまい。相応の覚悟はいるだろうが、当然そのくらいは済ませてここにいるのだろうが」

「……ん」


 頷くと、彼もまた頷いてくれた。


「ならば過度に取り乱す必要はないだろうが。だから落ち着けと言っている」

「……ごめん。ありがとう」

「ふん、礼はいらん。見苦しかっただけだ」


 そっぽを向いたヤトを見て、ふっと自分の口から空気が漏れた。

『ああ、今私笑ったんだ』って気づくと、途端に気持ちが楽になる。

「うん、そだね。今さら動揺したってしょうがないもんね」


 目を閉じる。

 すぅっと息を吸う。

 新鮮な空気……とは言えない、冷たくてジメジメした空気だけど。

 それでも頭のモヤモヤは少しスッキリした。


「……じゃあ、順番に見てこっか。ゆっくりだけど許してね」

「仕方ない。今回だけは許してやろう」

「……あはは、こんなの一回だけで十分だって」

「そう思いたいがな」


 強引に笑い、改めて中を見回してみる。

 牢屋は短い通路の両脇に左右四つずつと、正面の突き当たりに一つで計九つ。

 私は提灯をかざして一番手近な牢屋の中を覗き込んだ。

 縦に割れた影がチラチラと動いてちょっと見づらいけど、およそ衛生的とはいえない感じっていうのはわかった。

 今にも崩れそうなベッドとかひび割れた食器とか、備えつけの物は軒並み泥やら苔やらで汚れてる。


「床に溜まっているのは泥か。枝の上では土の類は貴重品のはずだが」

「多分壁とか床に使われてる石レンガがちょっとずつ風化して砂になったのかも。で、水気を吸っちゃって……みたいな」

「風はないようだが?」

「う~んそっか……」


 なんでだろ。

 壁を軽く指でこすってみる。

 すると、少しだけ指になすりつく。


「あ、これ安物の泥岩だね。あんまり硬度もないみたいだし、水に侵食されて自然と崩れたっぽい」

「ずいぶんと詳しいな」

「まあ確かに鉱石とかそういうのは昔から好きだけど、さすがにこのくらい誰でもわかるでしょ」


 なんにせよ、とてもじゃないけど意味もなく中にまで入りたいとは思えない。

 特筆すべきことなんて精々がそのくらいで、死体とか人骨とかそういう物騒なものも見当たらないし。


「そっちも見てみよっか」

「ああ」


 逆側の牢屋に光を向けて、鉄格子越しに目を凝らす。


「変わらんな」

「みたいだね」


 ゆらゆらと揺れる細長い影に惑わされるまでもなく、同じ光景だった。

 そのまま二列目、三列目も調べてみるけど、いずれも成果なし。


「安心したような、がっかりしたような複雑な気分……」

「贅沢な悩みだな」


 ついさっき取り乱してた自分はどこにいったのか。

 四列目の牢に手をかけながら軽口まで飛び出し始めた私を、ヤトが口に指を当てて真剣な表情で諫めてきた。


「おいキリノ。誰か来るぞ」

「え、何も聞こえないけど……」


 耳を澄ませても私たちの息遣いの他には水の音が聞こえるばかりだ。

 けど


「間違いない。こっちに駆けてくる」

「いやぁ気のせいじゃ――」


 言いかけて、思い出す。


 ――そういえば。

 さっき通路でやり過ごした使用人。

 こんな深夜にどうして走ってたんだろ……?

 家主はとっくに寝静まってるだろうから仕事で急ぎの何かが、とは考えづらい。

 もし急ぐとしたら誰かが倒れたとかかな。

 もしくは何かしらの緊急事態が起き、た、とか……――


 そこまで考えて。

 私は、自分がどれだけ能天気に考えてたのかってことに気づく。


「……ッ! どこか隠れられるとこっ!」

「隠れるところ、とは言うがな」


 そんなの、ここには牢屋の中くらいしかない。

 手当たり次第、牢の扉を引いてみる。

 開かない。

 隣……も開かない。

 反対側のも開かない!


「キリノ、ここだ」


 振り向く。

 通路の突き当たり右側。

 ヤトが指さして立ってるそば、牢の歯抜けの口が開いていた。

 考える間もなく中へと飛び込む。


「でも、こっちまで来たらすぐバレちゃうよ」

「悪あがきだが、ベッドの下にでも潜り込むしかあるまい」

「うぅ……だよねぇ……」


 さっきまで絶対近づきたくないって言ってたドロドロが手をこまねいてるのを見て、自分の顔が引きつるのがわかる。

 足音はもう私でもわかるくらい近づいてきてる。

 ……うぅ、贅沢言ってる場合じゃないよね。


「はあぁ……も~っ!」


 手に提げてた提灯を懐にしまって、ヤトと小さな悪態をお供に床に手をついた。

 ぬめぬめの中にざらざらとちょっとした塊を感じる。

 不快の権化みたいな触感に眉を潜めながら、ヤトに倣ってベッドの下に忍び込む。

 ギギギギィィっていう音がしたのはその数秒後。

 何か話す声の中に聞き覚えのある声がして、ただでさえ不快な感触で鳥肌が止まらなかったのに総毛だつ。


「確かに開けられた形跡はあるわね」


 嫌なことは続くもの。

 身をもって私は知ってる。

 誰かが私の頭を覗き込んだみたいに。


「私の家に侵入なんて厚顔無恥でふてぶてしい。もっとも、だいたい犯人の見当はつくけれど」


 貿易家系当主の妻、ドロテア様の声がした。



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