からから。
一生懸命回る脚車を見つめる。
それが右を向けば右、左を向けば左。
ヤトと二人で背中を丸め、ユリさんの押す台車に合わせて移動する。
「キリノ、狭いぞ」
「贅沢言わないで……っ」
覆い隠してる布をめくられたら、間抜けな恰好の二人組が見つかるんだろうな。
そうなったら処刑はもちろん、笑い者として村の歴史に名を刻むことになる。
そんなの絶対嫌だから、はみ出ないよう必死に脚車を凝視する。
「ユリ、鍛冶屋の修繕は終わったの?」
「いえ、装飾部の最後の調整だそうです。人がいると集中できないということなので、いったん自分の仕事に戻ってます」
「……勘弁してよ。部外者を一人残してるなんて知られたら、あんただけじゃなくてみんなが怒られるんだから」
「しかし作業の邪魔をしてイマイチな仕上がりとなってしまえば、結果的にご主人様たちの不利益につながるかと」
「実際どうとかじゃなくて、要領の問題よ」
定例だったか、で使用人が少ないといっても零じゃない。
時折ユリさんは足を止めて、同業の誰かと事務的な話をする。
どうやら会話の内容を聞く感じ、私ほど露骨じゃないけど厄介者扱いっていうのは本当らしい。
他の使用人らしい誰かと離れて、再び台車はゆっくりと動き出した。
からからと脚車が回る音だけになる。
「一応勘違いのないよう言っておきますが」
一連の会話を聞かれてたことに思うところがあったのか、機先を制するようにユリさんが言った。
「似た境遇といっても、私はあなた方と仲良くなるつもりなど毛頭ございません」
「……っ」
ドキッとした。
まだそうと考えてたわけじゃない。
でも指摘されたとおりの気持ちが形になりかけてたのは間違いなくて、それを砕かれた気分だった。
「どうしてですか?」
息苦しさから逃げるみたいに私が聞くと、ユリさんは「あなたたちが気に食わないからです」と淀みなく答えた。
「……私が巫女だからですか?」
「関係ありません。私が気に食わないのは今回のこと、ヤタロウさんの良心に漬け込むようなやり方をしたことです」
「……っ」
「ヤタロウさんは純粋なお方です。どんな理由があろうとあの人を謀に巻き込んだあなた方を、私は許しません」
「……そうですか」
これはぐうの音も出ないなぁ……。
ここまで文句なしの正論をぶつけられると、いっそ清々しさすらある。
「なぜ嬉しそうなのです?」
「あ、いえ、そんなことは……すみません」
おまえのことが気に食わないと言われてこう思うのはおかしいかもしれないけど。
私は嫌われた悲しさと同時に、ある種の安心を感じてた。
それは、少なくともこの人が巫女じゃなくて、私自身を見てくれてるんだってわかったからだった。
◇ ◇ ◇
私が気になってる本のある書斎は三階にある。
つまり道中に二度、台車から出て上の階に用意された別の台車へ移動する必要があったわけだけど……幸い誰かに見つかることはなく、拍子抜けするくらい順調に書斎へと辿り着いた。
「書斎は貿易家系の者以外立ち入り禁止です。私が誰もいない書斎の前にいるのは不自然なので長居はできません。お早めにお願いします」
「わかりました。ヤト様、行きましょう」
「おお」
掃除を始める振りを始めたユリさんに見送られながら、扉を開けてヤトと一緒に中へと入る。
書物の歴史深い知的な香りが鼻をくすぐった。
「暗いな。明かりでもつけるか?」
「さすがにその度胸はないよ。場所は大体覚えてるから大丈夫」
わずかな月明かりだけを頼りに記憶を辿る。
暗闇のなかに背表紙に記載されたタイトルがずらーっと並んでる。
その中に一つだけぽっかりと文字列が抜けてる場所があった。
配置がずらされてるとかそういうことはなかったみたいでよかった。
ぎゅうぎゅうに詰まった本棚から一冊の本を救出、窓際の方へ行き月明かりに照らして確認する。
タイトルのない皮張りの本。
薄っすらとした既視感が、モヤモヤした気持ちと一緒に湧き上がってくる。
……やっぱり私、この本を知ってる。
でもどこで?
「目的の物を見つけたならさっさと戻るぞ」
「……」
「おいキリノ。聞いているのか?」
ゆっくりしてる時間はない。
けど、抗いがたい衝動に駆られて表紙をめくる。
中に書かれた文字は、刷られたものじゃなくて誰かの手書きだった。
細く、繊細な書き味のそれは書き手の性格を表してるみたいに思える。
暗闇に慣れてきた目を凝らして、書かれた文章を追いかける。
――――――――
卯の月12日
正式に婚姻を交わし、僕は婿として迎えられた。
勧められたこともあり、今日から日記という形で記録を残していこうと思う。
といっても、婚姻の儀のことはよく覚えていない。興味がなかったからだ。
生まれつき体の弱い僕は家族のお荷物だから、大叔母様の言うことにはとてもじゃないけど逆らえない。ましてやその上の……となればなおさらだ。
言われるがまま結婚し、言われるがまま他の家の人間になった。
伴侶となる相手の方は嬉しそうに笑っていたけど、僕は彼女とまともに話したことがないし、本当のところはわからない。
まあ僕も似たようなものだからお互い様だろう。
――――――――
「……っ」
本の中身は日記だった。
ひどく冷めた心情とともに綴られた内容を鑑みるにブルクハルト様の物ではない。
では持ち主は誰か。
「……なんで」
「どうしたキリノ。様子が変だぞ」
心当たりが、一人いる。
既視感の正体が、私の頭を強烈に突き刺してくる。
ここ止まり木村において、結婚は嫁入りが基本。
婿として他家に行くことなんてほとんどない。
原因は仕事で家系を区切るこの村独特の風習と、筋力が求められる仕事の多さ。
その辺りの事情が重なって、家のことは男が仕切るっていうのが慣習だった。
でも。
その例に沿わない、唯一の家系がある。
「……巫女家系だけは、婿を取る」
なぜなら。
巫女という仕事だけは、女が主体となって担ってきたから。
そして日記には、婿養子になったと書かれてる。
このことが示す意味なんて一つ。
「どうしよう、ヤト」
「なんだ? 何かわかったのか?」
見覚えがあるなんて当たり前だ。
一瞬だったとはいえ、私は最期の瞬間にこれを見てるんだから。
「……これ、お父さんの日記だ」