「……祭具の修繕は必要ないと聞いたが?」
枝縁から村へと戻ってから、私たちは鍛冶屋の店主さんのもとへと足を向けた。
熱気と涼しげなベルの音に迎えられてお店の扉を開く。
ちょうど棚を整理してたらしい店主さんは、私を見るなり開口一番そう言った。
「あー……あはは。実は今日の朝、豊穣祭がもうすぐだからと本番用の祭具でお稽古していたら、落としてしまいまして……」
「……見せろ」
相変わらず店主さんの言葉は無駄がない。
カウンターの前へ移動した店主さんに、私はわずかな緊張とともに懐から祭具を取り出す。
カウンターに置くと、ぐるりとたくさん鈴のついた祭具が小さく痛みに鳴いた。
片側にくっついた鈴は潰れ、歯抜けになり、見た目が不格好になってしまってる。その隣で仲間外れにされた鈴が不満を示すみたいにひしゃげてた。
店主さんは眉間にしわを寄せて、それを手に取り観察し始めた。
「練習用では駄目だったのか?」
「やっぱりちょっと感覚が違うっていうか……」
「……確かにあっちの材料は安価で軽い。想像はできる」
「ええ。今年は本番用の方が手元にあるので、せっかくだからこっちでちょっとお稽古してみようかなーなんて……」
「迂闊だな」
「あはは、仰るとおりです……」
事前に用意してきた説明をすらすらと吐き出す。
言うまでもなく、ここへ来た本分は祭具の修繕じゃない。
これは貿易家系の豪邸へ侵入するための協力を取りつけるためのとっかかりっていうか、平たく言えばこの後の話をするための方便だ。
ヤトは入店早々、壁際へと下がって事の推移を見守ってる。
彼曰く「嘘は弱い人間が使う道具」。
今回の流れを説明した時にあまり乗り気ではないみたいだったから、私からそうするように提案した。
「あの……間に合います、かね?」
「鈴の交換と歪みの調整だけだ。今すぐできる」
「ああ、よかった!」
ここまでは想定どおり。
店主さんの作業を待つっていう名目で、話をする口実と時間は確保した。
さて、本題はここからだ。
まず修繕っていうキーワードから派生した世間話を装って、貿易家系から依頼されてる家具の修理の話に持ってく。
そのなかで店主さんの反応を窺いつつ協力をお願いできそうならよし。
たとえ無理そうでも、最低限何かしらの情報は引き出さないと――
「だが、引き受けたいとは思わねえ」
「……ぇ?」
なんとはなしに祭具へ流してた視線を上げる。
老成した瞳は依頼の品ではなく、私へと向けられてた。
「事故じゃねえ。わざとだな?」
「――」
目尻に刻まれたしわが深くなってる。
静かな怒りが店にこもる熱気を瞬く間に麻痺させる。
「この凹み方と千切れた鈴の断面は、強い力で叩きつけられないとできねえ」
「ああ、いえっ、それは舞の最中に手からすっぽ抜けたので――」
「この鈴を使う舞に、激しい振り付けはねえ」
「……っ」
淀みなく断言されて口を噤む。
最大限の尊敬を持ってるつもりだったけど。
私はまだこの人を甘く見てたらしい。
「これを作ったのは俺だ。強度と重量のバランスを探すため、実際にどう使うのかくらい把握してる」
「……」
「何が目的かは知らねえ。……だが、信用しねえ奴は信用できねえ」
「っ」
老成された眼光に貫かれて気づかされる。
違う。
甘く見てたとか、問題はそういうことじゃない。
「話は終わりだ。他を当たれ」
「ま、待ってください!」
「……」
「話を聞いてください! これは本当に事故で――っ」
追い縋る声は向けられた頑強な背中にことごとく弾かれる。
――違う。
わかってる。
今店主さんに言うべきなのは、誤魔化しでも取り繕う嘘でもない。
『あの店主、キリノのことを褒めていたぞ。途中で飽きて装飾品を眺めていたおまえは聞いていなかっただろうがな』
『――え、嘘』
『使われない道具は壊れることすらできない。とな』
『……。それ、褒めてるのかな』
不信に凝り固まる私にヤトが教えてくれたのは。
振り返る。
紅い目が私を見つめている。
『たまには疑うのを止めたらどうだ』
「……ほんと、何やってんだろ」
呟く。
店主さんなら話を聞いてくれるかもって、ここまで来た。
もうとっくに一歩は踏み出してるんだから。
いい加減切り替えろ、私。
「あの、店主さん」
「……」
「すみません、店主さんの仰るとおりです」
「……」
「私、今嘘吐きました。ずるいこと考えてました。ごめんなさい」
槌に手を伸ばしてた店主さんが止まる。
慎重に、でも嘘はないように。
大きな背中へと、まっすぐに伝わる言葉を探しながら続ける。
「あの、これ。今日の朝、お稽古が終わった後にわざと壊しました」
「……なぜだ?」
「くだらない打算と、自己保身のためです。そのためにあなたが心血注いで作り、修理してくれたこの祭具を壊しました。これに関しては申し開きのしようもございません」
「……」
「そのうえで……恥知らずと承知のうえで、店主さんにお願いがございます」
失敗はそのままに。
いまだ向けられたままの背中へ、今できる精一杯をぶつける。
「亡くなった母親の情報を求め、貿易家系の豪邸へ侵入を企てています。ご協力をおねがいできませんか?」
「……侵入?」
「はい。あそこには何か手がかりがあるのではと踏んでいます。そこで、家具の修繕などを依頼されてしょっちゅう出入りすることが多いあなたならば、何か有益な情報を知っているのではと考え、声をかけた次第です」
「おまえの母親のことを、他人と関わらねえ俺が知ってると思うか?」
「いえ、何もそこまでとは期待しておりません」
相手には見えてないだろうけど、首を横に振る。
「侵入するにあたり、使用人の勤怠傾向や使われていなさそうな部屋など。どんなに些細なことでもいいので教えていただけませんか? 店主さんが知っている範囲のことで構いません」
「……俺になんの得がある?」
「何もありません」
「……」
「むしろあなたからしたら、不法侵入という犯罪に巻き込まれるリスクしかないです。当然、そうならないよう細心の注意は払うつもりですが」
「……仕事ならあり得ねえ話だ」
「ええ。なのでこれは取引ではなく、あなたの人柄を見込んで訴える、ただの身勝手で卑怯なお願いです」
向こうの表情は見えない。
一方的に私の願いを伝えることしかできない。
「……どうか、私に協力してはもらえませんか」
頭を下げる。
言うべきことは言った。
「……お願い、します」
沈黙が怖い。
すぐに答えが出るようなことじゃないってわかってても。
だって今話したことをそのまま告げ口されれば、その時点で私の処刑は確定する。
不安は大きい。
体も震えてる。
「……」
でもこれでいい。
多分、誰かを信じるってこういうことだ。
「……頭を上げろ」
どのくらい経ったか。
店主さんがそう言った。
再び見えたのは背中じゃなくて、髭に覆われた顔だった。
どうやら最低限のラインには立てたみたい。
「……道具をどう使うかは持ち主の勝手だ」
「え?」
「俺が気に食わねえのは、わざとそれを壊したことじゃねえ。嘘を吐いたことだ」
「……すみません」
でも私の願いを聞いてくれるかは別の話。
依然として私を見る目は厳しかった。
「嘘は仕事の質に影響する。腹割って話さねえ奴の依頼はなんだろうと受けねえ」
「……そう、ですか」
文句なんて言えるはずなかった。
こればっかりはしょうがない。
「……。そうですよね。すみません、こんな話……」
私の言葉には応えず、店主さんは槌を取ろうとしてた手を引っ込めて、代わりに横の扉の取っ手を掴む。もう話は終わり、ということらしい。
中途半端な保身に走ってしまった私が悪いし、そうじゃなくてもこんな話受けてくれる方が稀だもん。
もともと線の細いあてだったから、ほんとは落ち込むのも変なんだけどね。
耐熱仕様の重厚な扉が開く音を聞きながら、私はこの後の算段を考える。
……こうなったらかなり難しいけど、ぶっつけ本番で侵入してみるしか――
「ヤタロウ」
「……はい?」
ぽつりと、店主さんが呟く声が聞こえた。
「……俺の名だ。鍛冶家系のヤタロウ。覚えておけ」
「えっと……そう、なんですね……? 初めて知りました」
なんで今?
顔を上げると店主さん――ヤタロウさんが開けた扉を潜ることなく私を見てた。
「……ここは客が来る。話は向こうの部屋で聞く」
「へ?」
疑問符をそのまま音にしたような声が出た。
理解の追いついてない私に、ヤタロウさんは何かに耐えかねるようにがりがりと頭をかく。そしてそっぽを向いて、もごもごと続けた。
「だから、話くらいは聞いてやる。人生相談なんてタマじゃねえがな……」
言われた意味を慎重に咀嚼する。
聞き間違い、じゃないよね?
「……いいん、ですか? 嘘吐きの依頼は受けないって……」
「仕事なら断るって話だ。おまえのは個人的な相談だろうが」
「ええ……そんな、紛らわしい……」
あまりにも予想外過ぎて思わず本音が零れる。
「必要ねえならいい。俺は仕事に戻る」
「あ、ご、ごめんなさい! 必要ですっ、お願いします!」
「ならさっさと来い」
「いえ、お願いはしたい、んですけど……どうして……?」
喜びよりも戸惑いの方が強い。
私のしたことはお世辞にも褒められたものじゃない。ああも嘘を嫌いだって言ってたのに、なんで協力してくれるんだろう。
同情ならいいけど、別の思惑がって可能性も……。
様々な憶測が私の頭を飛び交うなか、店主さんは何かをこらえるように俯いた。
「……」
「あの……?」
炉から聞こえる炭の爆ぜる音が静けさを数える。
「昔、似たような手口で情報提供を迫ってきた奴がいる」
やがて、深いため息交じりに店主さんは口を開いた。
「同じ手口……?」
「あっちはおまえよりも要領よく仕掛けてきたが。……そん時も俺はおまえに言ったのと同じ理由で断った」
淡々と、でもほんのちょっとだけ不安定な調子で語られる内容。
「……間違ったことをしたとは思ってねえが、今でもたまに思い出す。……そうすっと、手元が狂っちまうんだよ」
憂いを秘めた目が、自身の無骨な手のひらに落とされる。
「……こいつぁ、せめてもの罪滅ぼしだ」
「――ッ」
ここまで来てようやく、言わんとしてることの確信に至る。
「俺の思惑は理解できたか? 別に取って食いやしねえ」
言うだけ言って、店主さん――ヤタロウさんは今度こそ扉の向こうへと進んでいく。
私はまだ動けずにいる。
「信用できねえならそれでいい。俺の都合に付き合え」
「……」
突然のことで、まだ気持ちの整理も全然ついてない。
正も負も乱れてぐちゃぐちゃで、モヤモヤしてる。
自分がどう思ってるかすらも把握できやしない。
……けど。
薄暗がりへと消えていく逞しい背中が、今はやけに小さく見える。
そう思った瞬間、私は声を張り上げてた。
「じ、自己紹介が遅れました!」
「……」
「鍛冶家系のヤタロウさん! わたしは巫女家系のキリノと申しますっ! あらためてよろしくお願いします!」
私の大声に振り向いたヤタロウさんは、珍しく驚きの表情を浮かべてた。
そんな彼に笑いかける。
「私の人生相談に乗ってくれるということで、すごく嬉しいです! ありがとうございます!」
「……っ」
何も憂いなんてない。
そう見えるような私の笑顔を見て、半身を暗がりに浸すヤタロウさんの顔が、一瞬くしゃりと歪む。
どうやら面倒で疎ましいばかりだと思ってた巫女の仮面も、たまには役に立つらしい。
「……茶くらいは、出してやる」
「はい。お願いします」
実際のところ、言葉や表情ほど内心の方は屈託なくとはいかないけど……うん。
満足、かな。
ちょっとだけモヤモヤが晴れたのを感じながら、私は振り向く。
「ヤト、お待たせ……あれ、ヤト? どこ?」
「おい巫女? 誰が壁と同化しているか」
「おお、いいツッコミ」
壁に背を預けてたヤトがジト目を向けてくる。
「ふん、強かな女だ。嘘を吐く奴は信用ならんと言われたばかりだろうが」
「バレなきゃ嘘じゃないもん。それに悪いことしたわけじゃないし、これはセーフでしょ」
ヤト曰く、嘘は弱い人間が使う道具らしい。
幸い、この嘘の扱いにだけは自信があった。
なんてったって、村の人を騙し通してきたっていう実績があるからね!
「それにヤタロウさんこうも言ってたでしょ? 道具をどう使うかは持ち主の勝手だって」
「……まったく。油断のならん女だ」
「おい、おまえら早く来い」
「へっへへ。ほら、呼ばれてるよ」
ぶっきらぼうな足取りで短い廊下を進むヤタロウさんを、私とヤトは追いかける。
「……親子だな」
広い背中に追いついて聞こえた言葉は今さらで、少し温かかった。