貿易家系の豪邸からヤトと二人で帰る道は、面倒事を終えた開放感に包まれて足取りも軽い。
……とは言えなかった。
自分をどう言い包めても一か月後に迫る豊穣祭を乗り切れなかったときのことを考えると胃に石でも詰められた気持ちになる。
「……」
「……」
枝振るいの刑。
実際に執行されるのを見たことがあるわけじゃない。
どういうものかを知ってるってだけだけど、それでも十分すぎるくらい。
もし執行の現場を見たことがあったら、こうして動けてないかもしれない。
……死にゆく者を辱め貶めるための刑なんて、ろくなもんじゃない。
その場に渦巻く悪意を想像するだけで吐き気すら催しそうだ。
「キリノ」
「……」
相変わらず村の人たちから向けられる視線が相変わらず冷たいままっていうのも、落ち込む気分に拍車をかける。
結局当初の目的も全然果たせずじまいだ。
こればっかりは仕方ないけど、まさか朝一番からライヒ様に出くわすなんて思ってなかったもんなぁ。
「キリノ」
「……え、ああ、すみません。なんでしょう?」
ヤトに肩を揺すられて我に返る。
あーそういえばさっきから呼ばれてたかも?
「この後何か予定はあるのか?」
「いえ、特には考えてませんけど……」
「そうか」
考えてないっていうか、上手く頭が回らないっていうか。
なんだかごちゃごちゃしてて、何か取り出そうとしても他の物も一緒に絡まってきてわかんなくなる感じが続いてる。
「まだ日は沈んでいない」
「……?」
「村を案内……もともと村人への顔見せが本来だったか? とにかくやりたいというのなら今からでも遅くはないぞ」
「……」
「俺としてもライヒとやらに連れ回されたアレごときでは、まったく好奇心を満たせていない」
「……そう、ですね。そうしましょうか」
もしかして気を遣われてるのかな。
確かにあの家で何か具体的な成果があったわけじゃない。
半日かけて心の負担だけ持って帰ったんじゃ、とてもじゃないけど割に合わない。
私が頷くと、ヤトもどこか満足げに頷く。
「よし。ではさっそくだが……あの井戸は結局どうやって水を汲んでいる? あの女が説明を放棄したせいでわからずじまいだ」
「あはは、ずっと気になってたんですね。あれは枝の中を走る世界樹の道管から水を――」
紆余曲折あったけど。
こうして私たちは遅ればせながら、二人で決めた予定をなぞり始めた。
◇ ◇ ◇
あらためて案内っていっても。
止まり木村は、田舎と聞いて十人が十人思い浮かべる光景をほとんどそのままあてはめたような、枝の上の小さな一集落でしかない。
小説にありがちな見渡す限りの広い地面! 広大な緑生い茂る大地! みたいなロマンも当然ない。
「行きでは聞くタイミングがなかったが、枝の上にここまでの規模の畑があるのだな」
強いて言うなら、今目の前に広がってる大きな畑が近いといえば近いのかな。
……うん、多分違うよね。
ヤトの希望で、私たちは村に来た道を少し戻ってきていた。
二度手間みたいになっちゃったけど、別に目的の場所があるわけでもないし別に構わない。
「あはは、さっきはずっとライヒ様に話しかけられてましたもんね。……さすがに何もない村といっても畑くらいはありますよ。食料は自給自足していかないと、輸入だけじゃ賄えませんから」
私たちがいる道と平行に築かれた畝は、ずら~っと遠くの枝平線近くまで並んでる。
その間に挟まって農耕家系の人たちが汗を流しながら農作業に勤しむ光景を、隣のヤトは興味津々といった感じで観察してた。
見慣れてしまってたけど、あらためて見ると確かに壮観かもしれないなぁ。
二人してぼけっと眺めてたら、近くで作業してた親子が言い争いを始めた。
「おい、土が飛び散ってんぞ! 種に被せるならもっと丁寧にやれ! 貴重な土を雑に扱うなっつってんだろバカ息子がッ!」
「ごちゃごちゃ細けえなぁ! 父ちゃんだってそのクワ振り上げるたびに土ぶっ飛ばしてるじゃんか! つかなんで俺だけ素手なんだよ俺にも道具使わせろよ!」
「未熟者はまず直接土に触れて慣れるところから始めんだよ! 大叔母様もよく言ってんだろうが!」
時期的に秋野菜の種蒔きとかかな?
今日も激しくやってるみたいで何より。
「止めなくていいのか」
「いいんです。農耕家系の人たちはこれがコミュニケーションなので」
「あれは父親か? たかが土の扱い程度でずいぶん厳しいな」
「本来なら枝の上に土なんてないですから貴重なんですよ。基本的に輸入するしかなくて、買うとなるとなかなか高価ですし」
「ほう」
「というわけで農耕家系の方々は特に土の扱いを気にされます」
畑に入った後、出る時に履物についた土を払わないだけでも猛烈に怒る人がいたりする。
でもそれは決して理不尽とかじゃなくて、そのくらい彼らにとって土は貴重で重要なものってこと。
「土が手に入らない貴重品だというわりには大きな畑だが」
「代々農耕家系の方々がコツコツ土を買い足して、少しずつ大きくしていったそうです。そう考えると感慨深いかもしれませんね」
「ほう」
規模に併せて農耕家系は大家族になっていったそう。
彼らはみんな揃って逞しい体を持ち、職人気質で荒い性格の人が多い。
「村の命を背負ってんだぞ!」とは彼らが子を叱る定型句で、その荒さは責任と自負から来るものなんだろう。
私は彼らを尊敬してるし、感謝してるし、すごくかっこいいと思う。
と。
そんな気持ちをしっかり胸に抱え直して、私はいよいよ拳が出かねない空気になってる親子に近づいた。
「こんにちは。今日も精が出ますね」
「――あ? ……ちっ。あぁ、おはようございます巫女様」
「……はよっす」
まあ尊敬の念なんて、私の一方通行なんだけどね~。
親子の間で破裂しそうになってた空気が一瞬で霧散して、代わりとばかりに胡乱な目が私へと向けられる。
「そっちの後ろのが龍神様を名乗ってるっちゅう例のよそもんか?」
「ええ。名をヤト様と言いまして。……ヤト様、一言ご挨拶をお願いします」
「ヤトだ。覚えておけ」
「「……ぁ?」」
親子二人、額に青筋走る。
わー、息ピッタリ仲良しだぁ……。
「ら、ライヒ様の! 温情でっ! ……いったんこの村に滞在させて事の真意を見極めることになりましたので、村の案内を兼ねて皆様にお目通しを、と」
「……チッ。あのライヒ様がな。どうしてそんなことになった?」
ああ、それなら多分一目惚れですね。
なんて言えないよね~……。
村の中を案内してる時に他の人にも聞かれたけど、本当のこと言ったってろくなことにならない未来しか見えないもん。
「……仕事には本格的に関わっていないとはいえ、あの方も審美眼に一家言ある貿易家系のご令嬢ですから。きっとこのヤト様に何かを見出したのでしょう」
「……は、確かにそいつぁ普通の人間じゃあねえみてえだがな。……だからこそだろうが」
「はい?」
ジロジロと遠目から値踏みする視線に今度はヤトが眉を上げる。
でもその怒りが爆発する前に彼は視線を切って再び農具を構えた。
「……俺らは俺らの仕事をするだけだ。上がそう決めたなら好きにすりゃいい」
「はい。ご理解いただけたようで嬉しいです」
「……そうやって温いことやってるうちに後ろからブスリ、なんてことにならないといいがな。いずれにせよこっちを巻き込んでくれるなよ」
「ええ。そうならないように頑張ります」
「で、話が終わったならさっさと行ってくれ。よそもんと出来損ない巫女のコンビなんて、何をやらかすかわかったもんじゃねえ」
「……あんた。ほんと、頑張れよな」
「ええ、では失礼します」
最後にぼそりと言った息子に、ニコリと微笑みを残して私は踵を返す。
穏便にヤトの顔合わせを済ませるだけでなく喧嘩まで収めるなんて、さすが私。
また一つ親子の絆の危機を救ってしまった。
とか考えながら道の上に戻ると、ヤトが呆れたように言った。
「わざわざ絡みに行くから野菜の一つでももらってくるのかと思えば……。罵倒をもらいに行ったのか?」
「私はそんなに卑しくありません。何度も言ってますけど、あくまでヤト様のことを知ってもらうのが今回の目的ですから、これでいいんです」
「ふん、今ので何かが好転したとは思えんがな」
「……あはは、そろそろ戻りましょうか」
「……」
腕を組んで鼻を鳴らすヤトの言葉を流して、私は再び村の方へと足を向ける。
背中に感じるヤトの視線には、気づかない振りをした。