生まれつきお父さんは体が弱かった。
何か大きなきっかけがあるわけでもなく、ある日体調を崩したのが長引いて、そのうち心臓に抱えた持病も重なってそのまま亡くなってしまった。
何か精神的なものが原因で免疫が落ちている。
生前、本格的に悪化する前に医師に診てもらった際にそう言われたらしい。
でもお母さんにも、当然私にも心当たりなんてなくて、お父さん本人も笑って「僕自身の問題だよ」と否定した。
お父さんが死んだ時、それを最初に見つけたのはお母さんだった。
両親の寝室で聞こえた悲鳴に私が駆けつけて、部屋に入ろうとするのをまた悲鳴みたいな声で止められたのをよく覚えてる。
なんだかふわふわしてて、考えがまとまらなくて、どうすることもできなくて。
ただ今はお母さんを一人にしておいた方がいいような気がして。
私は自分の部屋でお母さんの泣き声が聞こえないように、今起きてることが何も見えないように、寝具に包まって堪えてた。
少しだけ見えた部屋の光景。
ベッドから力なく垂れ下がる腕と、床に転がるペンが頭から離れなかった。
どのくらいの時間が経っただろう。
「おはよう、キリノ」
いつの間にか眠ってたらしい私を、いつもと同じお母さんの柔らかな声が起こしてくれた。
昨日のことは夢だった。
なんて甘い想像は真っ赤に目を腫らした顔を見た瞬間に打ち砕かれた。
「昨日はごめんね。キリノも辛かったのにね」
「……私は、大丈夫」
「そっか、じゃあ……、……っ」
「――」
「…………。……じゃあ、お父さんのこと……見送って、あげる、準備……しないとね~」
変わらずぽわぽわしてて優しい。
昨日までの日常を必死につなぎとめようとするお母さんを見てると、急に実感が湧いてきて。
「~~っ」
その時になってようやく私は、泣き、縋り、叫んだ。
お母さんは寂しげに微笑んで私を抱きとめるばかりで、もう泣いたりはしてくれなかった。
その様にすごく大人らしさを感じて、同時にすごく寂しくて怖いことのような気がして、また泣きじゃくり。
そうして私は、命が終わるということを知った。
◇ ◇ ◇
煌びやかな部屋に見合う整えられた金髪と碧眼を持つ男、ブルクハルト様はテーブルを挟んで私たちの体面に座ると朗らかに笑った。
「ははは、そう警戒せずとも構いませんよ。何も巫女様を取って食おうというのではないですから」
「あ、いえ。そのようなつもりは……すみません」
どうやら顔に出てしまってたみたい。
いけないいけない、切り替えないと。
ちなみにライヒ様は父親を部屋に通すとそのまま出ていってしまった。だからこの部屋には私とヤトとブルクハルト様の三人だけ。
「ちょっとお伝えしておきたかったのです」
「確認、ですか?」
「ええ。あらためて一か月後の豊穣祭までにその男……ヤトと言いましたか。彼の正体がわからなかった場合、もしくは龍神様ではないと発覚した場合の処遇について」
「……」
そこまで言うと、ブルクハルト様は貼りつけた笑みを引っ込めた。
何か、すごく嫌な予感がした。
「私も忙しい身でね、迂遠なことは言いません。率直に申し上げますと、巫女様の目的が叶わなかった時はお二人に『枝振るいの刑』を執行せざるを得ないかという結論にあの後達しまして」
「――ッ!」
心臓がバクンと跳ねて、チカチカする。
「枝振るい……? 極刑、ではなく……?」
「ええ、私としてもお伝えするのは心苦しいのですが。龍神様を騙る者を極刑で済ますのは生温いという声が多く。また、巫女様も彼と同じ刑を所望していた旨の発言をされておりましたので」
鼓動がうるさいのに、血の気は引いてく。
平衡感覚がなくなって、座ってるのに倒れてしまいそう。
チカチカする視界のなか、目の前の宣告者は恐ろしいくらいの無表情で私を見てる。
「そんな……っ」
「おいキリノ。大丈夫か?」
「――ッ」
思わずヤトに八つ当たりしそうになって、必死に押さえつける。
駄目だ、大丈夫、落ち着け。
ヤトと同じ刑にしろと言い出したのは私自身なんだから。
予想してたことじゃないか。
今さらこんなことで感情の手綱を手放すな。
冷静に。切り替えて。
切り替えろ。
「……」
「キリノ?」
自分を取り戻す方法なら知ってる。
執着するから取り乱す。
冷静じゃいられなくなる。
だから、さっさと諦めればいい。
そうすれば楽になる。
最近はいろいろあり過ぎて調子が狂ってしまってたけど、ずっとやってきたことなんだから簡単でしょ?
「…………はぁ」
「……。どうしました?」
ため息一つ吐くだけで焦燥が、感じるすべてが遠くなる。
徐々に思考が普段どおりの速度を取り戻してく。
「……失礼しました。少々冷静さを欠いてしまい、お見苦しいところを見せてしまいましたね」
「……」
動揺の余韻を残しつつも微笑みを貼りつけ直した私を見て、ブルクハルト様が目を細める。
「……仕方ありません。なにせこの村で行われる刑の中でも最悪のものを言い渡したのですから」
「お気遣いありがとうございます。このようなことを伝えるとなっては、ブルクハルト様もさぞ気が重かったでしょう」
「……」
「お話はわかりました。もともとは私が無理を承知で懇願し、皆様の温情によりいただいた猶予です。今回が特例であると印象づけるための見せしめ、という意味でも妥当な判断かと」
「……。ご理解いただけたようで幸いだ」
いつもの笑みを浮かべる私に対して、ブルクハルト様は常備している表情をつけていなかった。おかげで探るような視線もわかりやすいけど、あいにくこのやり取りに大した思惑なんてない。
「……では、私はこれにて失礼します。あいにくこの後うちの者はお相手できませんが、よければご自由におくつろぎください」
「……ええ、ありがとうございます」
「では失礼」
言うが早いか、ブルクハルト様は早々に席を立つ。
よほど忙しいのか、一刻も早くこの場から離れたいのか。
「……まったく、気持ちの悪いガキだ」
去り際、ブルクハルト様の呟きが廊下から流れる風に乗って届いた。
どうやら後者だったみたい。
「……私、もう成人してますよ」
閉じられた扉に向かって呟き返した。
今日他に言われたことと比べれば、よっぽど軽い。
「どうする? くつろいでいくのか?」
「まさか。お茶も何も出されてないんだから、さっさと帰れってことでしょ」
「なるほど。人間は面倒だな。そうならそうと言えばいいものを」
「ほんとにね」
こっちとしても長居なんてしたら胃に穴空きそうだし、願ったり叶ったりだ。
「はぁ、それにしてもブルクハルト様が出張ってきた時はどうなるかと思ったけど。意外と大したこと言われなくてよかったなぁ……」
「そうなのか? 途中ずいぶん取り乱しているように見えたが」
「……まあ、ね。でも予想してたことだし、結局私たちのやることは変わらないから」
ソウタさんの時みたいに結論を丸々ひっくり返されるとかじゃないなら、とりあえずはいい。いいってことにする。
「枝振るいの刑、とはなんだ? キリノはそれの何を恐れている?」
「……。枝振るいは、大罪人へ執行されるこの村における最高刑。人としての尊厳を踏みにじられる最低の処刑方法だよ」
「尊厳? いったい何をされる?」
「ごめん、これ以上聞かないで。想像しちゃうから」
「……ふん、まあいい。趣味の悪い何かだというのはわかった」
「ありがと」
できるだけ考えないようにしてるのに、聞かないでほしかったなぁ。
ほらもう、私の足震えちゃってんじゃん。
パンと太ももに気合を入れて立ち上がる。
「さ、帰ろっか」
「いいのか? ようやく監視の目が外れたというのに」
「何? 探検でもしたいの?」
気分を変えたいのもあって冗談めかして尋ねると、至極真面目な顔で見つめ返された。
「俺ではなくおまえの話だ。気になるものがいくつかあったようだが?」
「……ほんと、よく見てるね」
「俺をあなどるな。このくらい当然だ」
「さっきドロテア様に言い負かされてたけどね」
「あれは不毛な争いを避けるべく俺から引いてやっただけのこと。負けたわけではない」
「はいはい。まあ普通に探索なんて無理でしょ。夜に忍び込むならともかく、今は使用人さんの目もあるし」
「……そうか」
「そゆこと。だからおとなしく帰ろ」
部屋を出ると案の定、使用人が見送りを名目に待機していた。
やたら表情の薄い使用人に頭を下げられながら、私とヤトは貿易家系の豪邸を後にした。