朝食を終えた私とヤトは自宅前、透き通るような青空と広大な樹皮が広がる景色のなかに立っていた。
穏やかなそよ風は心地よいけど、私の気持ちでいえば晴天とは言い難い。
原因は私たち二人の他にいる、もう一人の女性にあった。
「さあ、まずはどこへ行くつもりなのかしら?」
「うぅ、なんでこんなことに……」
なぜか隣にライヒ様がいるのを見て、私は頭を抱えたくなる気持ちを必死にこらえてた。
現実逃避しようにもうちの村は黒髪ばかりで、巻き巻きロールの金髪なんて貿易家系の人以外に知らない。
珍しく空気を読んだヤトがいたずら小僧みたいな笑みで耳打ちしてくる。
「おい喜べキリノ。恩人から会いに来てくれたのだぞ」
「わかって言ってますよね絶対……」
「まあな。おまえの因縁の相手だったか?」
「因縁といいますか、一方的に絡まれるといいますか……」
ライヒ様がいるから、ていうか外だからちゃんとヤトにも巫女として丁寧に受け答えしてる。
ちなみに玄関を出てライヒ様を見つけた瞬間に巫女用微笑みを貼りつけた私を見て、ヤトは気味の悪いものを見たような顔をしてた。ムカついたからお腹の傷を突いたらしばらくうずくまってた。ざまあみろ、ふへへ。
それはともかく。
ライヒ様本人曰く、侵入者であるヤトと彼に通じてる可能性もある私を監視するためにわざわざここまでやって来たらしい。
「あの、監視役だったら昨日の会合が終わった直後から誰かしらがずっとついてたはずですけど」
「ああ、それなら変わってもらいましたわ。悪事の画策をいち早く見抜くなら、目利きのある貿易家系の者が適任ですもの」
「……なるほど」
「お父様とお母さまはお忙しい身。ですので仕方なく代わりにわたくしが来てあげましたの。感謝なさって?」
「ええ、ありがとうございます」
「……おい、キリノ。つまり今ならやりたい放題ということでいいのか?」
「……変なことしないでくださいね」
予想はしてたけどカマをかけてみたら案の定で、どうやら昨日から監視の目はついてたらしい。
で、本来の監視役――ソウタさん辺りだろうか――は現在任を解かれてて、今はライヒ様一人だけ、と。
そんでもって、ここまでもっともらしい説明をされたわけだけど。
多分彼女の本音は大方、適当な理屈をつけてヤトと会いたかったってとこだろう。
その証拠にほら、コソコソ話す私たちを見て眉を吊り上げてる。
「ちょっと? 二人で何をコソコソしていますの? 怪しいですわよ」
「ああいえ、なんでもありません」
曖昧に濁した私の態度が気に食わなかったのか、つかつかと詰め寄ってくるライヒ様。
あ、これ結構怒ってるな。
「というかキリノ、ちょっと馴れ馴れしいのではなくて? ちょっとヤト様と先に知り合ったくらいで」
「あはは、あの、すみません……」
「離れなさい」
「あっ」
冷たく言い捨てられると同時、体に衝撃。
足元の樹皮が目の前に迫る。
「い、た……」
「あら、少し押しただけなのに。大げさですわよキリノ」
「……あはは。すみません、まだちょっと寝ぼけているようで」
咄嗟についた手のひらを見ると少し血が滲んでた。
まあ荒い樹皮に擦れてこのくらいで済んだことに感謝かな。
日々の労働で厚くなった手の皮にも感謝。苦労はやがて報われるってね。
「キリノ、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。お構いなく」
「心配なんて無用ですわよ。キリノのドジはいつものことですもの」
腕組みしながらこちらを見下ろすヤトに視線で感謝を伝える。
変に事を起こされると面倒だから、こういう時の彼の不干渉主義はありがたい。
過去の経験から突き飛ばされることは予想できた。
抵抗しなかったのは、彼女の溜飲を少しでも下げておいた方が何かとやりやすくなるだろうから。……腹立つもんは腹立つけどね、ライヒ様のバカチンめ。
転んだ私の見てる先で。
ライヒ様がヤトの腕を取り、その豊満な胸を押しつけてた。
さらに上目遣いのコンボ、これは完全に落としにかかってるなぁ。
「さあさ、ヤト様。参りましょう……?」
「参る? どこへだ。おまえは監視役だろう」
対するヤトは顔色一つ変えず。
ひたすら冷静なツッコミが入る。
「あ、わ、わかってます!」
自分の女としての武器を最大限使ったにも関わらず、あっけなく袖にされたライヒ様は顔を真っ赤に染めて言い返した。
にしても、彼女の中で犯罪者に現を抜かすなんて~って言ってた昨日の記憶はすっかり消えてるみたい。
この人のこういうとこは正直ちょっと羨ましい。
「ほらキリノ! 何をぼうっとしているのかしら⁉ 村の案内をするというのなら早くしなさい!」
「あはは、すみません」
服の汚れを払いながら立ち上がる。
幸い着てる巫女服にほつれとかはないみたいで安心した。
繕うのも大変だし、これまだおろしたてだから傷つけちゃうのは気持ち的に、ね。
「そもそもこのお方が龍神様なのでしたら、案内なんて必要ないのではなくて? ヤト様を信じてませんの?」
「確かにそうかもしれませんが、しばらく滞在するにあたってずっと針のむしろではヤト様も居心地が悪いでしょうから。今のうちに村のみなさんへ顔見せしておこうか、というのもありまして」
「ふぅん……」
納得したようなしてないような微妙な目を向けられるけど、ここに関しては嘘なんか吐いてない。
「ではライヒ様、ヤト様。そろそろ出発しましょうか」
「ああ」
「えーと、祠はどうせ誰もいないでしょうから後回しでいいですよね? 帰りはこっちに戻ってきますし」
「構わん。任せる」
後ろを振り返ると、貴重な石がふんだんに使われてる大きな祠、そしてそれが比べ物にならないくらい巨大で樹皮の壁としか形容できない世界樹の幹がある。
それを私が手のひらで示して尋ねると、ヤトはどうでもいいとばかりに答えた。
「では先に村の方へ行きましょうか」
「なんでキリノが仕切って……ぶつぶつ」
「あはは、すみません。今日のライヒ様は監視役のようでしたので……」
理由はどうあれ、私に主導権を取られるのが気に食わないらしい。
彼女のご機嫌を窺う自分に、この後の苦労が透けて見える。
ただでさえヤトに貼られた犯罪者のレッテルをどうにか和らげよう、なんてことをしようとしてるのに無駄な気苦労は負いたくないんだけどなぁ。
まあ、ライヒ様がいなかったらそもそもこうしてなかっただろうし、贅沢な悩みかもね。
うん、切り替えよ。
「ではあらためて出発しましょうか!」
「ああ」
「……」
どうにか無理やりテンションを上げて、私は明らかにしんどいことになるだろう今日の一歩を踏み出した。