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第10話 命の差


 朝の騒動から一転、やけに穏やかな夕食のひと時が過ぎていく。

 お互いにお腹の虫を満足させた頃、ふとリュージンサマが口を開いた。


「キリノ」

「どうしたの?」

「先ほどの話の続きだが」

「さっきの話? ……ってなんだっけ?」

「助けてくれるなどと期待するな、というやつだ」

「ああ。それがどうかした?」


 別に私の方で不満なんかないし、話は終わったと思ってたけど。

 彼の方はまだ何か言いたいことがあったらしい。


「確かに村の守り神なのだから助けて当然などと思われるのは不愉快だ。しかし、だからといっておまえが頑なになる必要はない」

「……頑な? 私が? そんなつもりないけど」

「言葉どおりなのか自覚がないだけなのか。おまえは複雑で、面倒で、興味深いな」

「何それ。褒めてるのかバカにしてるのかどっちなの?」

「勘ぐるな。言葉以上の意味などない」


 じゃあ何が言いたいの?

 目で問うた私に、リュージンサマは少しの嗜虐心を口の端に宿して言った。


「もっともな言い回しをしていたが、並べていた小難しい理屈はすべて自分を納得させるための後づけ。要は、救いを期待するのが怖いというだけのことだろう?」


 ……。


「……ブルクハルト様との話し合い、あなたに任せた方がよかったかもね。嫌なとこ突いてくる感じがそっくり」

「誉め言葉として受け取ろう」

「で? 私が頑なだったとして、だから何? あなたに私を助ける義理なんてないんだから。結局同じこと――」

「義理ならばあるだろう」


 言い募る私を遮り、彼は不遜に笑う。


「昨日、おまえは俺の命を救った」

「お腹の怪我を手当したこと言ってる? それならさっきも話したでしょ。今日助けてもらったので借りは返してもらったから気にしないでって」

「……ふん。気にするな、か。龍に仕えるだけの巫女ごときがずいぶん偉くなったものだな」

「……もぉー! さっきからなんなわけ!?」


 含んだような物言いに段々イライラしてきた。


「じゃーいい加減もったいぶらないで生意気な巫女にもわかるように教えてくれない⁉ 自慢じゃないけど、私出来損ないの巫女とか呼ばれてるくらいだから全然察せないんだけど!」

「本当に自慢じゃないな」

「……うるさいよ」


 仕方ない、とリュージンサマは大きく息を吐いた。


「キリノ」

「何さ」

「たかが人間の命一つと、龍である俺の命が等価なわけがないだろう」

「……」

「たかが人間一人救った今日の俺と、龍の命を救った昨夜のおまえ。貸し借りなど釣り合うわけがないと言っている」

「……」

「まったく……。この永い生の果てを、くだらない死に様で汚すところだった」


 ふがいない、とでも言いたげに端正な顔が歪む。

 初めて見るその表情が妙に気になって、でも触れるよりも早く「それはともかく」という声に阻まれた。


「よく聞け、キリノ」

「……何?」

「これまでおまえの人生はさぞ悲惨だったことだろう。察するに余りある」

「……ちょっと? 本人に言うことじゃなくない?」


 私の人生を一言でまとめないでほしいんだけど。


「村人に嫌われ、石を投げられ、孤独。そのような状況の最中で、昨日おまえは俺を助けた。この村の常識で考えれば悪手以外の何物でもない。事実、自分の立場を致命的なまでに悪くしたおまえは今日危うく殺されかけたな。まさに愚か者の選択だ」

「……」

「――問おう。巫女家系のキリノ。他人に拒絶され続けてきたおまえが、なぜ俺を助けるに至ったのか」


 昨日から何度とされた問い。

 まっすぐ私を見つめる瞳に、嘘や誤魔化しは映らないんだろう。

 別に今まで言った答えた内容も間違いじゃないんだけどね

 ため息を一つ吐く。


「なんで助けた、ね」


 私自身、良き巫女としての皮を被ってるだけで決して善人なんかじゃない。必要だと思えば誰かを犠牲にする覚悟くらいはある。

 けどあの時、怪我に喘いでたこの人を見捨てる選択肢はなかった。

 たとえ、自分の身が危うくなると知っていても、だ。


 なんでか。


「だってあなた、一人だったでしょ」


 味方がいない辛さを、私は知ってる。

 その寂しさも。


「だから、見捨てたくなかった」


 彼に何があって、何が本当なのかはわからないけど。

 少なくともあの時、この枝に彼の居場所なんてないってことだけはわかってたから。

 ……まあ村のみんなに滅茶苦茶言われてやけっぱちになってたのもあるけどね。


私の回答に、リュージンサマはくっくっと喉を鳴らした。


「……なるほど。くだらないこだわりを優先したわけか」

「そ。バカみたいでしょ」

「ふ……。ああ、一時の感情に惑い流されるとは。実に人間らしい」


 恩がどうの、とか言ってたのにひどい言い草だ。

 私は席を立ち、空になった食器を持って流し台へ向かう。


「はいはい、そのバカのおかげで今生きていられるんだから感謝してよね」

「――ああ。感謝している」

「ですよねー。…………え?」


 想定外の反応に耳を疑った。

 思わず振り返る私を、引き込まれそうなほど真剣な眼差しでリュージンサマが見つめていて。


「誇れ、キリノ。おまえは間違っていない」

「――」

「おまえの『くだらないこだわり』によって、俺は今ここにいる」


「……なに、唐突に持ち上げるようなこと言い出して。今なら取り入れるとでも思ってる?」

「ふん、蟻に媚を売る人間がいるのか? 取り入る理由も意味もない。事実を述べたまでのこと」

「……」

「おまえは、おまえが取れる最善の選択をした」


 苦し紛れの皮肉なんか容易く払いのけ。

 後先考えないバカな小娘の選択を、彼は何度でも肯定した。

 そして。


「これからすべてが変わるぞ」


 不敵。

 文字どおり敵などないと言わんばかりに。


「――俺が変える」


 また彼は嗤った。




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