広間に並ぶ面々を、リュージンサマは挑発的な笑みで見渡した。
彼の下では、足蹴にされたソウタさんが苦しげに喘ぐ。
「ぐ、ぞ……足を退けろ……!」
「おとなしくしているのなら退けてやるが?」
「……ズズッ」
「そうだ。おまえはそうやって鼻を垂らしているくらいが相応だろう」
ソウタさんの額に青筋が浮かぶけど、どれくらいの力で踏みつけられてるのか、わずかに身じろぎをするだけで脱出できずにいる。
「しかし話には聞いていたがこうして実際に相対すると……やはりこの村は兵の練度がまるで足りていないな。戦力の筆頭がこの体たらくならば、商業どころか自衛すらも成り立たないだろう。俺たちを殺した後、おまえらはどうするつもりだったんだ?」
問われた内容に、応えられる人はいない。
「ふん。弱いからこそ知恵を絞り、数を増やし、次代に生きつないできたのがおまえら人間だろう。いささか思慮に欠けるのではないか?」
「……確かに君が本当に龍神様であれば、そう言われてしまうのも仕方のないことかもな。まったく、身に摘まされる思いだよ」
静まり返った有力者たちのなか、反応したのはブルクハルト様だった。
「だがなんの証拠も持たない侵入者をそうと信じるのはよほどの愚か者でもなければ無理な話だよ。君を殺すことと龍神様が戻ってくることは矛盾しないのではないかな?」
冷たい笑顔とともに一瞬視線を私へと投げかけた。
それを吹き飛ばすようにリュージンサマが鼻で笑う。
「はっ、そうか。では聞くが……俺たち二人を殺した後に都合よく龍神様とやらが戻ってきたとして、その後の世話役は誰がやる? 巫女はおまえら自身が殺してしまっているが」
「大げさだなぁ。世話といっても不出来な小娘が一人でもできること、たかが知れてるさ」
「逆鱗の扱いすらまともに知らない者が気楽に言う。軽く見られたものだな、キリノ」
「……っ」
リュージンサマに目で笑いかけられると、無性に目の奥が熱くなるのを感じて私は顔を俯けた。
昔から私は、龍神様の逆鱗の扱いが下手だった。
鱗磨きでも特に繊細な逆鱗は力加減が難しい。
未熟な私は何度も驚かせたり怒らせてばかりで、それが上手くできるようになったのはつい最近のこと。
だからこそ、初めてうまくできたその思い出の日はとっても嬉しくて、はしゃいで……。
……彼はその時のことを言ってるんだろうか。
まだ言葉ほど彼をリュージンサマと信じたわけじゃない。けど。
そうだとしたら……なんだか、すごく恥ずかしくて。
だけど、すごく――……
「なるほど、巫女様も苦労されていると! なるほどなるほど。今後の参考にしようじゃないか!」
ブルクハルト様がわざとらしく手を叩く。
「だが。そっちはこれから私たちで話すことであって、侵入者の君には関係のないこと。とりあえず直近の問題である君たちを処理して、その後にゆっくり考えるとしよう。幸い君がソウタ君に頭突き、さらに村長を危険にさらすという暴力行為を行ったことで大義名分もできた」
「ふん、人間ごときが俺をどうすると?」
「縛られた情けない状態でも失わないその傲岸不遜っぷりだけは魔物らしいが――」
男の一人が壁に突き刺さった直剣を引き抜いた。
他の人たちも次々と立てかけられてた農具や隠し持っていたナイフを構える。
煽るようにブルクハルト様が両手を上げた。
「この数相手に何かできることでも? 本当は力を失ったなんて嘘で、それを解放されてみんな殺されてしまうのかな?」
「嘘など弱者の使うもの。おまえら下等な人間と一緒にするな。今の俺に人間以上の力はない」
「そうかそうか、安心したよ。しかし、ならどうするつもりだい? 自慢の頭突きで全員なぎ倒してみるか?」
「おまえらが望むならそうしてやるが」
「強気だな。ぜひやってみせてくれ」
……どうしよう。
リュージンサマは強がってるけど、この状況を打開できるとは思えない。
十数人に囲まれて体の自由も奪われてるこの状況は、彼がソウタさんに怪我を負わされた昨日よりもさらに悪いはずで。
ブルクハルト様が強気な態度を崩さないのも、彼が本物の龍神様だと信じてない以上にそのことを理解してるから。
一色触発の空気で、肌がビリビリする。
私に、何かできることは――
「……キリノ」
リュージンサマの囁く声が聞こえた。
「な、なに?」
「俺がやりあっている間に隙を見て逃げろ」
「……。なんで」
「生きたいんだろう」
「……」
「おまえ、はっきり言ってわかりづらいぞ。どうでもいいような態度を取っておきながら土壇場で助けを求めたりな」
「……あなたこそ、なんで私にそこまで構うのかわからないんだけど。人間を見下してるんでしょ?」
「ああ? それは――」
リュージンサマを注視する。
期待なんてしてない。
ただ純粋に気になるから聞くだけ、だから。
「おまえがいないとベッドで眠れなくなるからに決まっているだろうが」
「……あっそ」
やっぱりこの人はこんなもんだよね。
もういっそ清々しいくらい。
「おい、何を笑っている」
「別になんでもないですけど。……バーカ」
「聞こえているぞ。それが命の恩人に向かって言う言葉か?」
「じゃあ睡眠バカ」
「……まあ、それならいいか」
「いいんだ……」
うん。
でもこれでよかったのかも。
きっと、望みどおりの答えが返ってきたら……私はいよいよこの人を信用できなくなってただろうから。
「で。ようやくやる気を出してくれたのはありがたいけど、あなたは大丈夫なの?」
「さあ。だが俺ならどうとでもできるだろう」
「……そう」
「だからおまえは自分の身の安全だけを考えろ」
私に武芸の心得なんてない。
囮になれるほど時間を稼ぐなんてできないし、後ろめたさに負けて残ったところで邪魔になるだけだ。
だから、彼が龍神様かもなんて言った巫女としてどうなんだ、とか。
見捨てるみたいで後ろめたい、とか。
そういう余計な感傷を今は奥底にしまって、今は合理的な判断を。
今までだってそうして私は生きてきた。
できないなりに必死で考えて、生きてきたんだから。
「……わかった」
「ああ。話が早くて助かる」
まずは外への脱出を。
自宅に戻れば昨日洗い忘れた包丁があるはずだ。あれなら縛られた状態でも辛うじて手が届くだろう。縄さえ解ければ取れる選択肢もたくさん増える。
それが今できる最善だ。
「……私、医療家系じゃないんだから大怪我とか止めてね。ベッドが血で汚れちゃうし」
「はっ、それはまずいな。人間の血の臭いは鉄さび臭くて嫌いだ」
「こんな時でも龍神様アピールは欠かさないんだね。私はあなたのこと信じてないけど」
「おい? 龍巫女?」
なんだか気持ちが軽い。こんなの久しぶり。
軽口を叩いてると、楽しげな声色にほんの少しの苛立ちを乗せてブルクハルト様が割り込んできた。
「さて、そろそろお別れの挨拶は済んだかな? 私たちも忙しい身、あいにくこの後も予定があるのだが」
「ああ、悪いな。いつまでも襲ってこないから、つい無駄話をしてしまった」
「……そうか。あと数分と持たない君たちの人生を慮って、配慮してあげたつもりだったんだが、やはり蛮人にこういった気遣いは理解できない――」
「その御託は長くなるか? おまえらの話は飽きたと言ったはずだが」
「――っ」
「貿易家系の何某よ、早くしないと予定に遅れるではなかったか?」
「……いいだろう。では皆さん、荒事は任せましたよ」
一段低くなったブルクハルト様の呼びかけに、そこら中から返事が追従する。
次の瞬間、各々の獲物の切っ先が私たち二人に向けられる。
「……っ」
生存本能で心臓が早鐘を打つ。
控えめに言っていい扱いをされてこなかった私だけど、ここまで具体的な害意にさらされたのは初めてだった。
緊張するのは免れないけど、幸いさっきの軽口で体の強張りは多少解けてる。
上半身は縛られたままだけど、足だってちゃんと動かせそう。
「……」
「……」
リュージンサマが不意を突かせまいと目で牽制する。
私たちを囲う円はじりじりと狭くなっていく。
膨れ上がった緊張は、後ほんのちょっとのきっかけで破裂する。
口火を切ったのは、ふん、と鼻を鳴らしたリュージンサマ。
「腑抜けどもめ。大人数で囲んでおきながら、なお及び腰か。仲良しごっこはこの辺にしてさっさと来たらどうだ?」
「ッ! こ、のぉッ!」
挑発に乗って、我先にと村の者たちが飛びかか「お父様! 侵入者が見つかったって本当ですの⁉」――って……え?
「ん?」
「あ?」
まさに攻め込まんと一歩踏み出した体勢でみんな固まってる。
ギギギ、とブルクハルト様が声のした入口の方に首を回す。
「……ら、ライヒ? なんでここに」
貿易家系のブルクハルト様――の実の娘であるライヒ様がやって来たらしい。
人波に紛れて見えづらいけど隙間から見えるひらひらドレスと、何より聞こえた瞬間にストレスで胃が重くなる声は間違いなくあの人だ。
「キリノが家に侵入者を匿ってたって聞いて急いで来ましたの」
「そ、そうなのか。だが今は……」
ブルクハルト様の引きつった顔なんて初めて見た。
さすがの彼も、自分の血生臭いところを溺愛する娘に見られるのは抵抗があるらしい。
それにしてもライヒ様、私の負い目と見るや飛んで来るなんて……私ってば彼女によっぽど好かれてるみたい。勘弁してほしい、切実に。
「それで? 愚かな罪人二人はどこにいますの?」
「あ、おい、ライヒ!」
ライヒ様が戸惑う有力者たちをかき分けて無理やり押し入ってくる。
そしてぐるぐる巻きにされてる私を見つけるなり、にやぁと愉悦を隠しもしない笑みを浮かべた。
「あら、あらあら巫女様。埃だらけで縛られてみすぼらしいお姿ですこと」
「あ、ははは。お恥ずかしい」
「あなた、侵入者を匿っていたそうですわねぇ?」
「ええと、はい。怪我をされていたので手当を……」
「へえ、その時にまんまとかどわかされたということですのね」
「いえ、そういうわけではなく……」
「ええ、でも仕方ないですわよねぇ。巫女様、村に居場所なんてありませんもの。まともにお話を聞いてくださる方が現れたら傾倒してしまうのも無理はありませんわ」
「ですからかどわかされたわけでは……」
「でもわたくし、犯罪者に現を抜かすのはさすがにどうかと思いますの」
うーん一方的すぎて会話にならない。
場が停滞したせいで周囲の人たちが誰か止めろよとアイコンタクトを交わしているけど、行動に移す人はいない。
彼女はプライドが高く生意気な態度を取られるのをすごく嫌う。
ここに集まった有力者の人たちも例外ではなくて、みんな実質的に村一番の権力を持つ貿易家系の不興を買うのを恐れてるんだろう。
「さてはその侵入者というのがよほど器量の良いお方なのかしら。ぜひ一度わたくしも拝見したいものですわね」
「おい、いきなり出てきてギャアギャアうるさいぞ。ようやく長話が終わったのに繰り返そうとするな」
「――……今のは、誰ですの?」
最終的にご機嫌なライヒ様を止めたのは、侵入者であるリュージンサマご本人だった。
直前の笑顔はどこへやら、一転して彼女は鋭くした目つきを声のした方に向ける。
その目がリュージンサマを捉えるよりも早くブルクハルト様が二人の間に割って入った。
「こらライヒ、危ないから近づいては駄目だ!」
「お父様、無礼を働かれて黙っているわけにはいきませんわ⁉ 退いてくださいッ!」
「……あ、おい――っ」
「ちょっとあなた⁉ 私を誰だと思っていますの⁉」
「知らないな」
「こ、の――ッ」
足音荒く近づいてくるライヒ様が自分を宥めようとする父親すらも押しのけ、ついに生意気な侵入者の姿を捉え、睨みつけた。
「薄汚い犯罪者の――……」
「……?」
「ぶん、ざい……で…………」
彼女の口が言いかけた言葉の形で動かなくなる。
体も詰めてきた体勢のまま時間が止まったみたいに固まってる。
「……」
「ん? おい、どうした?」
「……ぁ、ぇ……?」
「……キリノ、こいつ動かないぞ。何が起きた?」
「いや私に聞かれても……」
どうやらリュージンサマが何か魔法を使ったとかってわけでもなさそう。
え、ほんとに何?
「……ぁ、ぅ」
掠れるようなか細い声が辛うじて耳に届く。
あれ……ライヒ様、なんか顔赤くない?
「……あ、あの、お父様。この男性は……?」
「あ、ああ。それは村を騒がせていた侵入者だよ。今はその処遇を話し合ってたところさ」
「――」
直前まで怒りを燃やしてたライヒ様の目が、今はとろんと蕩けてる。
ぼうっと見つめる先は、侵入者で重罪人の自称リュージンサマ。
「……そう、そうですの」
呟く声はかすかに甘く、普段のよく通る声とは程遠い。
自分の体を抱くように両手を腰に回して伏し目がちなライヒ様を見てると、一つの心当たりに行き当たる。
ええっと、まさかライヒ様――
――リュージンサマに一目惚れしたの?