はあぁぁ言っちゃったぁ……っ!
口にした言葉の意味を反芻して唇が震える。
我ながら「自分を極刑にしろ」なんて正気の沙汰じゃないよぉ。
でも、きっとこのくらい言わないとみんな納得してくれないもんなぁ……。
「ほお? 巫女様がそいつの正体を暴くってのか?」
「ええ、長年龍神様のお世話を担ってきた私が適任かと」
「歴代でも群を抜いて出来損ないの巫女様に、何ができるってんだ?」
「ええ、頼りないと思われるのは百も承知です。ですので皆様にも協力していただけると助かります。龍神様である可能性が残っている以上、手荒な真似は避けていただきますが」
「チッ、それで何がわかるって――」
「お話はわかりました」
再び頭に血が上ったソウタさんを遮ったのは、途中から何かを考えるように黙り込んでいたブルクハルト様だった。
「確かに一葉ほどでもこの者に龍神様である可能性が残っているのなら、迂闊なことはできませんなぁ」
「ご理解いただけたようで何よりです」
「ブルクさん、あんた何言ってやがる!」
「おい、ソウタやめとけ……」
言葉と裏腹に私は警戒度を高める。
ここまで散々言い包めてきたソウタさんがそろそろ爆発しそうなのも気になるけど。
ブルクハルト様が意味もなく口出しをするとは思えない。
案の定「ですが」とブルクハルト様は続ける。
「何も猶予なんて言わず、今この場で龍神様である証拠を見せてもらえばいいのでは?」
「……」
あーもう余計なこと言わないでよ。
私が「自分も極刑にして構わない」なんて大口叩いたのは覚悟を示すためともう一つ。
インパクトのあることを言って、都合の悪いところから目を逸らさせたかったからなんだけど。
さすがに交渉事を生業にしてる貿易家系のブルクハルト様には通用しないらしい。
「たとえば龍の姿に戻ってもらえばすぐにでも解決する話ですが、どうでしょう?」
そうだそうだ、とヤジが飛ぶ。
この流れはよくない。だって――
「今はできないな」
「ほう?」
ここまでずっと黙り込んでいたリュージンサマが、ポツリと言った。
そうなんだよねぇ……。
「はて、それはなぜです?」
「人間の体では器が小さくて俺の力がうまく収まらなかった。だからしばらくは戻れない」
「ええっと……本人曰くそういう事情があるらしく、地道に調べていくしかないのです」
「ほう? なるほど……」
胡散臭いものを見るような目が強くなる。
慣れないことをしてるからさすがに疲れてきた。
でも諦めたら私が大変な目に遭うしなぁ……。
はぁ、どうしようか。
お互いに次の手を考えて、場が一瞬の停滞を見せたそのとき。
「……あーもう面倒くせぇ」
ぐつぐつと煮えたぎるような低い声とともに、金属が滑るような音がした。
「さっきから聞いてりゃのらりくらりと言い逃れしやがってよ……」
「――」
ソウタさんが剣を抜き、私たちに向けていた。
空気が張り詰めて、誰かが息を呑んだ。
「なんの、つもりですか?」
「もう御託はたくさんだ。シンプルに掟に従おうや」
柄を握る彼の目は正常とは言い難い。
我慢の限界ってわけ?
危惧が現実になったというわけだ。
それもあり得ないと思ってた一番最悪なやつが。
切っ先を見つめながら眉を潜める私に、ソウタさんが嘲るような笑みを浮かべた。
「巫女様よぉ。龍神様が人間になった時のことなんざ、村の掟には書いてねえんだろ?」
「……ええ、そうでしょうね。前例がありませんので」
「てことは掟の中で今重要なのは『侵入者とその協力者には厳しい罰を与える』ってとこだけだよな? それ以外は邪魔なだけだろうが?」
「……」
「おいソウタ。そいつはさすがに……」
「ズズ……なに、村の奴らにゃこう説明すればいい。『巫女と侵入者が暴れ出したからやむなく対処した』ってな」
「しかし……」
「じゃあこうでもいいぜ? 『武器を持ったソウタを止めることなんてできなかった』」
「………………」
誰も、何も言わなかった。
目だけが忙しなくお互いを見合って、やがて何かを決めたように再び私たちへと視線が注がれる。
「……へっ、決まりだな」
「……そう、ですか」
みんながみんな、暴走した誰かの責任で面倒事が収束するなら、なんて考えてる。
ゴク潰しの巫女とよそ者の身を案じる人なんて、ここにはいない。
「……この方が本当に龍神様だったらどうするのですか?」
「そいつぁ後で考えるさ。人になっちまったなら、どうせ特産品の鱗も採れねえんだ」
もうちょっと、惜しいところまで来てたはずなんだけど。
感情論を持ち出されたらどうしようもないや。
「……私、話し合いが意味を成さないほど、皆さんに疎まれてたんですね」
「勘違いすんな巫女様ぁ。侵入者を匿ったのが悪いんだろ?」
「あはは……確かにそうですね」
こんなの笑うしかない。
結構頑張ったんだけどな。ほんと、バカみたい。
「それじゃあ、仕方ないですね」
「ああ、理解が早くて助かるぜ」
なんて。
そんなの今さらか。
「んじゃ、巫女様から殺してやるよ。愛しの龍神様が死ぬのは見たくねえだろ? ……ま、本物かどうか怪しいもんだがな」
「……」
村の有力者たちが見届けるなか、剣を無造作に握った男が迫ってくる。
座った状態で見上げる剣と男の目はぎらついて見えて。
生存本能が体を震わせる。
咄嗟に手をつき後ずさろうするけど、縛られた縄が邪魔で失敗。
無様に転がって埃に塗れる私を見て、執行者が口元を歪めた。
「怖がらなくてもいいぜ。俺にいたぶる趣味はねえ。一瞬で終わらせてやるよ」
「……」
ゆっくりと振り上げられた剣がほんの先の未来を連想させる。
見ていられなくて隣のリュージンサマを見る。
見返してきた澄んだ紅い瞳に、焦りや恐怖はない。
さすが、リュージンサマは余裕だね。
私もそれだけ堂々としていられたら、最期くらい格好もつくのかな。
「悪いな。巫女様」
「……ぅ」
でも、私には無理だ……っ。
悲鳴が漏れかけて、唇を噛みしめてぎゅっと目を閉じる。
まだ耳が情景を生々しく伝えてくる。
剣を構え、足と床のわずかな砂埃が擦れる。
近づいてくる。
「……」
これで、私は終わり。
代々受け継いできた巫女家系も。
未熟な私のせいで、なくなる。
「……は、ぁ」
肌が粟立つ。
頭が勝手に走馬灯を描き出す。
元々病弱だったお父さんが亡くなって。
後を追うようにお母さんもいなくなって。
家の中が冷たくなって、私の傍にいてくれるのは龍神様だけになった。
龍神様の傍にいるのは落ち着いた。
向こうがどう思ってるかはわからないけど。
村の人と違って私がどれだけ失敗しても拒絶しなかったから。
龍神様の鱗を磨くのが好きだった。
下手で怒らせてばかりだったけど。
磨いてる間だけは余計なことを考えないでいられたから。
でも、その竜神様ももういない。
今いるのは、龍神様を名乗る何もしない誰か。
結局、私は独りだったらしい。
「………………うん」
いつかこんな日が来るってことくらい、わかってた。
覚悟なんてとっくにしてた。
だから、大丈夫。
「うん」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私なりに頑張ってみたけど、結局何もできなかった。
でもやることは精一杯やったつもりだから、許してくれると嬉しいな。
「……はあぁぁっ」
息を整える。
でも。
笑い者になんか、なってやらない。
せめて最期くらい、バカにされない死に様で散ってやる。
そのくらいの仕返しはしてやろう。
だからいつもみたいに切り替えて、平気な自分になってしまおう。
ほら、早く目を開けて。
「……っ」
恐怖に固まる瞼をこじ開けた先に映ったのは。
今か今かと降り下ろされるのを待っている鋼の剣と。
私が目を開けるのを待っていたのか、愉悦を浮かべる執行者の顔だった。
「……ああ」
悟る。
そっか。
私が死ぬのって、ただの憂さ晴らしなんだ。
必死になったらなっただけ面白がられるだけなんだ。
「あはは……」
「何笑ってんだよ。自分の愚かさに今さら気づいたってのか?」
「ええ。……ほんとにバカみたいですね、私」
向こうは娯楽の延長線でしかないのに一人で本気になって張り合おうとして。
それもまた嘲笑の種にされるなんてこと、わかってたのに。
張り詰めていた糸が切れた気がした。
俯く。
埃に塗れた小柄な自分の体が目に映る。
死の気配に本能が危険信号を出してるけど、私の体は動かない。
仕方ないのかもしれない。
だって、もう何も考えたくない。
どうせ何をしても、横やりが入って、ひっくり返されて、潰される。
「じゃあな、ごく潰しの巫女さんよ」
「…………ええ、今までお世話になりました」
全部遠くなる。
ずっと忙しなく回っていた思考が平坦になる。
今まで私は期待なんかしてないと自分で思ってたけど、どうやらまだ甘かったらしい。
考えてみれば、よりよい未来を期待してないと行動なんかできないもんね。
そりゃそうか。
「……はぁ」
ゆっくりと目を閉じる。
諦めてしまえば、案外楽だ。
ぐちゃぐちゃになってた感情が凪ぐ。
痛くないといいな。
ソウタさん、飲んだくれてばかりで剣の腕はイマイチっぽいから心配。
迫る終わりに抵抗はせず、私は走馬灯に身を委ねる。
浮かんだのは、初めて鱗磨きをちゃんと終えられた日の思い出だった。
龍神様の顎下にある逆鱗を磨き終えて額の汗を拭う。
「ね、ね! 龍神様、どうだった⁉」
今までにない手ごたえを感じて、私は喜び勇んで大きな頭の横まで駆け寄った。
「よかったでしょ⁉ よかったよね!
はしゃぐ私を見て、龍神様は紅い目をわずかに細くした。
たったそれだけの、何気ない日々の記憶。
初めて通じ合った気がして、なんだかそれが嬉しくて。
――すごく、温かかった。
「――……」
剣が構えられ、鋭く息を吸う音が聞こえる。
……いや、だ。
諦めるなんて、いやだ。
「ぃ、や…………け、て……」
自覚するとたちまち怖くなって。
でも同時に悔しくて、いてもたってもいられなくなる。
まだやりたいことがたくさんある。
枝の先に立って見た景色の先を知りたい。
もっと世界を知りたい。
私は――
降り下ろされた刃の音が迫るなか。
曝け出す恐怖に食いしばる歯をこじ開けて。
私は、私を叫んだ。
――もっと、生きたい!
「助けてぇ、龍神様ああぁぁぁ――ッ!」
「おお、いいぞ」
気のない返事が聴こえて。
キィン、と。
世界にヒビが入るみたいな音がした。
「なっ⁉」
「…………?」
立て続けに驚く声が聞こえて、恐る恐る瞼を押し上げる。
頭を突き出すような姿勢で、誰かが私の前に立ち塞がっている。
「キリノ。無事か?」
「え……」
リュージンサマだ。
まだ後ろ手に縛られたままの彼の後ろ、怒りで顔を赤く染めるソウタさんの手に剣はない。わけもわからず室内に視線を巡らせれば、あらぬ方向の壁に剣は突き刺さっていて、そのすぐ下で村長が腰を抜かしてた。
「け、剣に頭突きとか狂ってんじゃねえのか⁉」
「……狂っている? 我を失っているのは話し合いの場に暴力を持ち込んだおまえの方だろう」
「んだと……?」
「ふん。昨日俺に身ぐるみ剥がされた挙句、全裸で道端に放置されたのがよほどの恥辱だったのだろうな」
「――ッ! て、めぇ!」
忌々しげに睨みつけるソウタさんを意にも返さず、リュージンサマが私に振り返る。
遅れて額から流れてきた赤い血に片目を閉じながら、彼は不遜に笑う。
「キリノ」
「……は、はい?」
「助けてほしいなら次はもっと早く言え。危ないだろうが」
「……」
見つめる紅い瞳に情は凪いでいて内心を読ませない。
温かいようにも、ただ求められたから応えたかのようにも思える態度。
「くそ! 無視してんじゃねえぞ!」
「おまえはもういい」
怒りに身を任せ襲いかかるソウタさんに対して、リュージンサマはこともなげに一歩横に避け、足払いをかけて転ばせた。
「衛兵家系のソウタだったか? 俺がまだうまく体を動かせないこと、幸運に思うといい」
「ぐ、ぉ……っ」
「さて、いい加減この茶番にも飽きた。そろそろ終わりにしてもらうとしよう」
うつ伏せに倒れ込んだ背中を踏みつけ、周囲に並ぶ険しい顔を見渡して。
リュージンサマは嗤った。