「龍に仕える巫女として、私は刑の執行を認めません」
私の声が響き渡り、広間はしんと静まる。
でもそれは一瞬のことで、より戻しみたいに激しい罵倒が返ってきた。
声が絡み合って何がなんだか聞き取れないけど、目の前で一際激昂するソウタさんの言葉くらいはさすがに理解できた。
「世間を知らない巫女様に教えてやるよ! 世の中に絶対の保証なんざあるわけねえんだよ! そんなこと言ってたら何も決められなくなるだろうが!」
「ええ、存じております」
私は素直に頷く。
彼が言ってることはわかるし、正しいと思う。
「ですが、今はまだ彼に対して最低限の身辺調査すら進めておりません。侵入者の存在が現れて不安なお気持ちはよく理解しておりますし、私もまた同様です。しかし感情論で事を進めるのは危険だと申し上げているのです」
「大体、刑の執行を認めないだぁ⁉ どの立場でモノ言ってんだ! 今さら中身スカスカでお飾りの巫女ごときが言った言葉を誰が聞くって⁉」
「そうだ!」
「このタダ飯食らいの迷惑家系が!」
う~ん、誰も聞く耳は持ってくれてないみたい。
……まあでも。
みんながどう思ってようと、もう結論は出てる。
この人たちには『私の言葉に従ってもらう義務』がある。
他の誰でもない〝この人たち自身〟がそうと言い出したんだから。
極力彼らを刺激しないよう、私は戸惑ったような顔を作って誰ともなく尋ねる。
「ええと、……やっぱり私ってお飾りなんですかね?」
「当たり前だろうが! 巫女なんて仕事、もう誰も認めちゃいねえ!」
「確かについ最近までは私自身そう思っていました。……でも昨日、皆様から巫女を認めてくださるような出来事があったので、ああ! 私の思い違いだったんだ! なんて安心していたのですが……」
「……あ?」
「おい、そんなことあったか?」
「いや、俺は聞いてないぞ……?」
にわかに広間がざわつく。ソウタさんも疑問符を浮かべてる。
やっぱり自分の言ったことの意味に、まだ気づいてないみたい。
もっとも私の方だって、あの時はこんなことになるなんて思ってなかったから仕方ないのかもしれないけど。
「覚えていないのですか? 昨日龍神様の寝床で、皆様が私に仰っていたこと」
「ああクソ、まどろっこしい! だからなんのことだって――」
「――『当たり前のことだろうが』」
「……あ?」
「龍神様に関わるすべては巫女の責任と言った私に、ソウタさんが返した言葉です」
「あー、言ったかもな」
「……そのような発言があったと、認めていただけるのですね?」
思い出すのは昨日の夕方頃、侵入者の知らせが入る直前にした会話のこと。
『お話はわかりました。確かに龍神様に関わるすべては巫女の責任。まずは龍神様にお慈悲をいただけるよう、最善を尽くします』
『んなこと当たり前だろうが! だからそうやって曖昧に濁してねえで今すぐどうにかしろって――』
今と同じように村の有力者たちが龍神様の寝床に集まり、巫女として今後の対応を問われた時にしたやり取り。
確かにその時、ソウタさんはそう言った。
目の仇にしている巫女を責める。
ただ、それだけのために。
彼は私に、致命的な隙をさらした。
「ああ、そうだよ! 言ったよ! だからなんだってんだよ⁉」
「……そうですか。誠実なご回答、ありがとうございます」
そして今、この事実が揉み消されるという最悪の線も消えた。
なら後はひたすら事実関係を詰めるだけ。
パンと手を叩き、明るくにこやかな表情を作って私は告げる。
「ではやはり今回の侵入者騒動におかれましては、巫女である私に判断を委ねていただけるということで間違いないのですね?」
「はあぁ⁉ 誰がそんなこと言ったよ⁉」
「誰って、ソウタさんがたった今お認めになりましたよ?」
「あ……?」
戸惑ったようなソウタさんと、後ろに見える有力者たちの顔に確かな手ごたえを感じる。
ここまで来て、私はようやくまともに息が吸えた気がした。
なんせ他の枝へ侵入するのが極刑に至る重罪なら、侵入者へ不当に手を貸すのもまた一生を牢で過ごすはめになるくらいの重罪だ。
そんな、何も希望が見えなかった今回の騒動で。
暗闇の中、偶然手に触れた細い細い糸を手繰り寄せた先に見えてきた活路。
体の内側から溢れ出す何かで叫び出したくなるのを必死に抑えながら私は続ける。
「『龍神様に関わるすべてのことは巫女の責任』なのでしたら、当然『龍神様を自称する侵入者に関しても巫女が対応する義務』がある。でしょう?」
「は、はぁ? なんでそうなるんだよ!」
「先ほども申し上げたとおり、昨日巫女としての責任の所在を確認した私の言葉にソウタさんから『当たり前だ』という同意をいただけたからです」
「――ッ」
ソウタさんが目を見開く。
やっと状況を理解したみたいだけど一足遅い。
もう同意しちゃったんだから、今さら何をしても手遅れだよ。
「責任がある以上、相応の権力も与えられるのは当然のこと。ですよね?」
「……あれはっ、俺が勝手に言っただけで村の総意ってわけじゃ――」
「衛兵家系のソウタさんにそのようなことを決める権限はないと?」
「あ、ああ! そうだ、そうだろ⁉ 俺にそんな権限はねえ! なあみんな⁉」
さっきまでの気迫はどこへやら。
ソウタさんはへらへらと軽薄な、でもちょっと強張った笑みを浮かべる。
そうだ! と同意の声がそこかしこから飛ぶ。
言ってることはちょっと情けないけど、まあ間違ってはいない。ソウタさんも一応村の有力者とはいえ、衛兵家系である彼一人の言葉自体に何かを決定できる効力はない。
けど、そこも問題ない。
なら、もっと上の人を引きずり出すから。
視線をソウタさんからとある人物へと移す。
「村長」
「……なんでしょう、巫女様」
私に呼ばれた村長はこの後の流れがわかっているんだろう。蓄えた髭の中に苦々しげな表情を浮かべていた。
「そもそも昨日あのお話になったのは、あなたから巫女としての責任を問われたことがきっかけだったと思います」
「……っ」
「ですよね?」
「……ええ、そう取れるようなことは申しましたな」
「村の代表者である村長さんと有力者の一人であるソウタさんがその認識で、あの場で特に異論も出なかった。なら『龍神様に関することの責任は巫女が負う』というのは、この村の総意ということを意味しますよね?」
「……」
村長は答えなかった。
他に回答者を求めて取り囲む有力者たちを見渡すと、全員が気まずそうに顔を逸らしていく。
唯一そうしなかったのは、昨日の出来事を知らないブルクハルト様のみ。その彼も何か状況が変わったのを察したのか、沈黙を貫いてる。
――迂闊だったね、皆々様。
正直その場しのぎの言葉をつないだだけの偶然だったけど、風向きは完全に私の方を向き始めてる。
「では、お話を戻しましょうか」
勢いを逃さぬうちに私は口を開く。
「繰り返しになりますが。本来であれば侵入者に関する処遇の決定に、私の出る幕は一葉もございません。ですが今回は少々事情が違います。なにせ今回現れた侵入者は『龍神様を自称している』のですから」
縄で縛られているリュージンサマに視線で注目を向けさせる。
騒動の張本人だというのに、いまだ彼はあぐらをかいて成り行きを静観するばかり。
命の危機が迫る中で、この冷静さは超然とした態度に見えなくもない。
……私的にはちょっと腹立つけどね。
「この方の主張は荒唐無稽にも聞こえますが、白い髪や紅い目といった人離れした容姿には通ずる部分も見られます。加えて昨夜手当をする間に交わした会話の中でも、私と龍神様しか知りえない内容がいくつか散見されました」
「なに……? なんで先にそれを言わなかったんだ!」
「すみません。お伝えしようとしたところで話を遮られたもので」
「チッ……」
再び激昂しようとしたソウタさんに冷や水を浴びせて鎮火する。
悪いけど、愛想を振り撒いてる場合じゃない。
「今説明した事柄だけを取っても、彼の主張がただの戯言であると断じるのは早計であると考えられます。繰り返しますが私や他の誰かならばともかく、畏れ多くも龍神様を名乗っているのですから」
穴だらけでも、拙いとしても。
待っていても状況が悪くなるだけなら、私は止まれない。
「……では巫女様はどうされるおつもりです? この侵入者を村に迎え入れるべきだとでも仰るつもりか?」
「……いいえ」
村長の問いかけに私は首を横に振る。
ああ、初めてだ。
こういう場で、私の意見をまともに聞いてもらえる日が来るなんて。
「先ほど申し上げた『刑の執行を認めない』というのは、決して何もしないという意味ではありません」
私だってよくわからない人を悪戯に引き入れて村をぐちゃぐちゃにしたいわけじゃない。
一応この村は私の生まれ育った故郷で、両親の思い出が残ってるんだから。
「長くとは言いません。刑の執行まで幾ばくかの猶予をください。……その間に、必ず私がこの方の正体を見極めます」
「……猶予ですか。もし、確たるものが見つからない場合はどうするのです?」
「その時は――」
ちらりと隣を見る。
自称リュージンサマの紅い目がまっすぐ見返してきた。
彼の目に後ろめたさはない。
信じてあげるよ、リュージンサマ。
どうせ、私は龍に仕える巫女だから。
「――その時は龍神様を騙る恥知らずな侵入者を、その不届き者を隠匿した愚かな巫女もろとも極刑に処してください」