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第4話 翌朝の話


 翌朝目を覚ますと。

 刃物を持った男が立っていた。


 なんてこともなく。

 いつもどおりの心地よい目覚めを迎える。

 なんなら自称リュージンサマが窓から脱出してたとかそういうのもなくて、彼はのんきに「すぅすぅ」と寝息を立ててた。

 私も人のこと言えないけど、こやつ危機感ゼロか。

 ていうか体丸めて寝てるけど、腰とか痛くないのかな。


「おはよ~。朝だよ~」

「ん……」

「ほら早く起きろ犯罪者~っ」

「……んん、断る」

「断られた……」


 眉根を寄せてそっぽを向かれる。って、いやいや愕然としてる場合じゃない。


「ちょっと、仕事に遅れるんだってば~!」

「そうか……俺は無職だ……」


 ただでさえ朝は忙しない。

 早々に我慢の限界を迎えた私は住所不定確定無職の自称リュージンサマが惰眠をむさぼっているベッドの敷布を引っ掴んだ。


「うるせえ起きろ~!」

「う、ぉっ⁉」


 どたどたっという音とともに大の男が床に無様に転がる。

 じとっと紅い目が不満を伝えてきた。


「……」

「おはようございます、リュージンサマ?」

「……おい、俺は怪我人なのだが?」

「怠け者に天罰が下ったんでしょ」

「おまえ、昔自分は非力だ~とかで悩んでいなかったか?」

「よくご存じで。でもそれは巫女の中でって話で、そこらの女の人よりは力持ちだもん。ほら、それよりお腹の包帯取り替えたげるからここ座って」

「……チッ、せっかく気持ちよく寝ていたというのに」


 自称リュージンサマはぶつくさ言いながら渋々ベッドの端に腰かける。よっぽど寝るのが好きなのか、邪魔されたのがだいぶ不満らしい。

 そこはなんか本物っぽい。あのおじいちゃん龍いっつも寝てたし、無理やり起こされると露骨に機嫌悪そうだったし。

 さっさと作業を終えて、気だるそうな彼を食卓へと押しやって連れていく。


「大体だ。あのベッドという寝床の素晴らしさをおまえはわかっていない」

「も~わかったってば」

「いやわかっていない。知っているのと理解するのでは意味が違う。おまえが言っているのは前者だ。まだベッドの素晴らしさを理解したとは言えない」

「うわめんどくさ~……」


 話は部屋を出て、朝食を食べ始める頃になっても続いた。

 今は睡眠を邪魔された文句から、人間の作り出したベッドというものがいかに素晴らしいか、という話に変わってる。

 昨日はいくら話しかけても全然口聞いてくれなかったのに、睡眠の話になった途端熱量がすごいな。うちにあるベッドなんてごく普通のやつなんだけど。


「あなたの話はどうでもいいけどさぁ。私この後仕事に行くけど、ちゃんとおとなしく留守番しててよね。怪我してるし、そもそも村のお尋ね者なんだから」

「……ふん」

「隙あらば偉そーなの腹立つわぁ……。あなたのために言ってるんだけど」

「そうか。ご苦労だな」

「うざ……てかさっきからスープとかいろいろ零し過ぎじゃない?」

「まだ人間の体に慣れ切っていないから細かい部位がうまく動かせない。諦めろ」

「口元べたべたにしながら威張られてもなぁ……」


 私の苦情はパンをモギッと齧りながら一蹴された。

 本当に龍から人になったばかりなら、体の使い方に慣れてないってのもわかるんだけどさぁ。

 せっかく整った上品な顔立ちなのに、食べ物で顔のそこかしこを汚してるのはなんだか見てて残念な気持ちになる。


「しかしわからんな。キリノが俺の話を信じてないのはわかった。ならば、おまえにとって俺はよそ者で不審者のはず。家に匿う必要がどこにある」

「いや、お腹の怪我まだ新しかったし、村の人にやられたんでしょ? せっかく手当してあげたのにまた怪我されたらバカみたいじゃん」

「そういうものか?」

「そういうものだよ。そもそもあなたが見つかったら手当したのは誰だって話になって私も巻き添えになるし……だから今下手にここを出られたら困るの」

「なるべく善処しよう」

「徹底してよ……」


 なんでこんな厄介事を抱え込んじゃったかなぁ。でも怪我してんのにほっとくわけにもいかなかったし。

 う~ん、まあこればっかりは仕方ないか。さっさと切り替えよ。


「キリノ」

「ん、今度はなに?」

「さっき仕事に行くと言ったな。だが龍がいない今、巫女に仕事なんてあるのか?」

「……よそ者のくせに痛いとこ突いてくるなぁ。それ昨日村の人にも言われたよ。一応呼び戻すために引き続き祈りを捧げるくらいはするつもり」

「効果があると思うか?」

「いや~多分ないんだよね~。代わりに変なのは来たけど」

「大変だな。頑張れ」

「あなたのことなんだけどな~」


 うちの村では守り神として崇められてるけど龍なんて言ってしまえば、とんでもなく珍しいってだけの魔物だ。

 本来人間にとって魔物は脅威となる存在で、だから龍神様には人間の望みなんてお構いなしなんだろうってことくらい、容易に想像がつく。

 だから祈りが通じるなんてことも、私は期待してない。


「意味がないと理解しているのなら、無駄な仕事をする必要はないだろう」

「いえいえ、たとえ本懐は遂げられずとも無駄だなんて。龍神様に関することはすべて巫女の責任。その巫女が何もしないと村の皆様を不安にさせてしまいますから」

「その白々しい巫女の体面を保つため、か」

「そゆこと。ただでさえ巫女家系の人間は嫌われてるからね。これ以上反感買ったらいよいよ殺されちゃうかも?」

「反撃すればいいだけだろう」

「はいはい。お強くて羨ましいことです」


 残念ながら私はただの人間だし、なんならさっきも言ったとおり巫女家系の中だと特に非力な方だ。

 そうでなくても個が集団に敵わないなんて、子どもでもわかることだ。


「……ふぅ、ご馳走様。そろそろ私は出よっかな」


 一足先に食べ終えて、空になった木製の食器を台所に運ぶ。

 そういえば昨日バタバタしてたせいで洗い物放置してたんだっけ。

 この包丁は……まあ隠さなくてもいいか。リュージンサマがやる気だったら私はもうやられてるだろうし。


「あ、そうだ。お水飲みたくなったら調理場のここ……ほら、この石に触れたらお水出てくるから好きに飲んで」

「ほう、魔法石か」

「いいでしょ~。昔は巫女家系も名実ともに村のお偉いさん筆頭だったからね。もう家自体は古いボロ家だけどこういう設備だけは恵まれてるんだ~」

「なるほど。やっかみを買ったわけだな」

「……そういうこと。昔はともかく今はライヒ様たち貿易家系の人のおかげで、みんなも同じくらいの生活できてるはずなんだけどね」

「災難だな」

「ほんとそれ。今さら言ってもしょうがないけどね」


 それだけが疎まれてる原因じゃないけど、私からしたらただの恨まれ損だ。


「んじゃ~私は出るよ。くれぐれも家から出ないように。誰かが訪ねてきても無視でいいから。逃げるとかは考えないでよね。その怪我で無理はまだできないだろうし、この家から出られるのを見られたら私が困ったことになるから」

「ああ」


 じとっと向けた視線の向こうから、パンを齧りながらの生返事。本当にわかってんのかなぁ、まったく。


「はあ……まあいいや。じゃあ、その……」

「……?」

「い、いってきますっ」


 久しぶりの言葉にちょっと緊張しながら手を上げてみれば、聞こえたのはやっぱり気のない返事。


「ああ」

「……ちょっと? いってらっしゃいくらい言ってくれてもいいじゃん」

「ん? おお」

「もー!」


 憤慨してます、と態度で表しながら口の端が上がっちゃうのは止められない。

 相手がリュージンサマを名乗る不審者ってのはアレだけど、朝の何気ないやり取りは懐かしくも心地いい。

 彼を長く匿うつもりなんてない。村の人に報告するかはともかく、怪我が治ったら少なくともこの家からは出ていってもらうつもり。

 でもこういうのはちょっと気分が上がっていいかもしれない。

 少しくらいなら様子見てもいいかなぁ。ここに来た経緯とか今後どうするとかも聞いておかないといけないし。

 なんて算段を立てながら玄関の扉を開ける。

 心なしか、いつもより軽く感じる足取りで外に出ようとして。


「あいたっ」


 向こう側にいた誰かにぶつかった。


「すみません! ついぼーっと、して……て……」


 謝罪とともに見上げた先には。

 昨日祠の奥でひときわ強く私を糾弾した村人……衛兵家系当主の顔があった。


「ソウタ、さん……?」

「……ズズッ。おい、気をつけろや巫女様」

「お、おはよう、ございます~……」


 衛兵家系のソウタさんは風邪でも引いたのか、鼻をすすりながらやけに苛立たしげに体を揺らし、腰に提げた剣を鳴らしてこちらを睨んでいる。


「あ、あなたが私の家に来るなんて珍しいですね。こんな朝早くに何かご用でしょうか……?」

「ズズ……チッ、誰が用もなくごく潰しのボロ家になんて来るか。昨日の侵入者の件に決まって――?」


 誤魔化す隙すらなかった。

 ふと彼の目が私の背後を見て……何事か言おうとしていた口が動きを止める。

 徐々に見開かれていくソウタさんの目が何を目撃したかなんて考えたくもない。


「……は? な、だ――あぁ!?」

「……あ、あの、どうかしましたか? 私の後ろに誰か――」

「おいキリノ。さっそく来客か?」

「――……」


 苦し紛れにとぼけようとした私の名前を、後ろのリュージンサマがご丁寧にも呼んでくれちゃった。

 空気読んでよ……もうこれトドメじゃん……。


「ああ。誰かと思えば、昨日いきなり攻撃してきた無礼な人間か」

「て、てて、てめぇはぁっ⁉」

「何か用か? ……ああ、腹の傷のことなら気にしなくていいぞ。そこのキリノに手当してもらったからな。それにおまえには恩もある。特別に許してやる」

「あぁ⁉ 恩だぁ⁉」

「お願いですからお待ちください。 これには事情が――」


 どんどん転落していく状況を必死に収めようとする私をよそに。

 自称リュージンサマもとい村のお尋ね者は、自分の着ている服の襟を摘んでにやりと笑った。


「あの後〝風邪は引かなかった〟か?」

「――⁉ ……ズズッ」


 ――も、もうやめて! 元龍なのに出会った時に服を着てた理由とか、この人が今日になってなぜか鼻をすすってる理由とか別に今知りたくないからもう許してぇ!


「……」

「……あ、あの」

「……おい、巫女」

「は、はい」

「どういうことか説明しろや」

「……え、と、あの、はい」


 終わった。

 どうやら、私の命日は今日になるらしい。

 せめて最期くらい感傷に浸れるような感じがよかったなぁ、なんて。

 あははぁ……。


 はぁ……。



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