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第2話 侵入者


 龍神様がいなくなった日のことはよく覚えてる。


 いつもどおり日が昇り始めた頃に目が覚めて、身支度を整えたらすぐに祠へと向かう。

 昔の壺とか変なオブジェみたいなのが両側に並んだ石造りの狭い部屋を抜けて、大人一人辛うじて通れるくらいのちょっとした通路に入る。


 この時点でなんとなく違和感はあった。

 やけに静かというか、風がないというか、気配がないというか。

 とにかく何かいつもと違う、嫌な感じ。

 無意識に龍神様のもとへ向かう足は早まってたと思う。


 傾斜のついた四角四面の狭苦しい通路を抜けた先に。


 暗闇ばかりが降り積もるがらんどうの空間が広がった。


 小山を築いて眠っていた龍神様がいなくなって初めて、ここが凍えるくらい広いことに気づかされた。


 いつもどおりの日常が崩壊したことを知って。


「あはは、そっか。……まあ、そうだよね」


 いつもどおり、私は笑った。



   ◇ ◇ ◇



 お腹に怪我をしていたよそ者さんに肩を貸して、どうにか自宅まで連れて帰ったのが二時間くらい前だっただろうか。

 彼を使っていないベッドまで連れて行き、応急手当がひと段落する頃には窓の外は真っ暗になってた。

 怪我は見た目こそ酷かったけど大事には至ってないみたいで一安心。多分重罪人とはいえ、目の前で死なれるのはさすがに気持ちがよくないからね。

 で、今は真っ赤に染まった布やらなんやらを片づけてる最中なんだけど――


「……」

「……」


 き、気まずー……。


 外向けの愛想笑いを浮かべてる自分の口の端がヒクつくのを感じる。蝋燭くらいしかまともな明かりがなくて助かった。

 何が気まずいって、さっきから会話がまったく弾まないどころか、こっちから何か言ってもガン無視されてるのもそうだけど。


「…………」


 原因はベッドに腰かけたよそ者さんがずっと私の顔を凝視してくることだ。

 痛みに顔をしかめるわけでもなく、手当を終えて安堵の笑みを浮かべるわけでもなく。

 切れ長の目にはまった紅い瞳が、もうず~~~~~っとこっちに向いてる。

 なんで? さっき出会った時の微笑みはどこにいったの?


「……あの、私の顔に何かついてます?」


 カブトムシとか。

 男の人ってあれ好きだよね。

 輸入リストにその名が見つかるたび、そこかしこから野太い雄たけびが上がるもんね。

 私も珍しい鉱石とか見つけたら似たようなテンションになるから気持ちはわかるよ。


「……」


 はい無視っ! わかってたけどさ!


「あはは……せめてそろそろお名前だけでも教えていただけると嬉しいんですけどね……」


 表面にこやか、内心げんなりだ。

 私のお優しい巫女様モードにだって我慢の限界があるからね。

 今日はもう疲れたし、自宅の中でまで演技してたくないし。


「……キリノ」

「……え?」

「おまえは……キリノだ」

「え、ええ、そうです。私はこの『止まり木村』に住む、巫女家系のキリノと申します。私のこと、ご存じなのですか?」

「ああ、よく知っている」

「よく?」

「なるほど。そうか、おまえはそういう顔をしていたのだな。同じような大きさで見ると印象が変わるものだ」

「顔? 大きさ?」

「……」

「……ええっと。あなた、この村に住む人じゃないですよね。どこで私のことを聞いたのですか?」


 世界樹に住む人たちは共通して『一本の枝につき村一つ』が基本、のはずだ。

 貿易商の人以外のよそ者のことなんて知る機会ないと思うけど、なんで私のこと知ってるんだろ。

 止まり木村の龍巫女って案外有名だったりするのかな?


「……」

「……」

「……ふん」


 ふん、じゃないよ。質問に答えてよぉ。

 私の願いも空しく、よそ者さんは手当をした時にはだけた和装を直さぬまま、たそがれるみたいに片膝を立てて窓の外に視線を移した。


「……あはは、気難しいお方ですね……」


 もーいいや……。

 観念して私は手当の後片づけに戻る。


「……俺に、名前などない」

「名前がない?」

「ああ」

「じゃあ元いたところではなんと呼ばれていたのです? まさか誰とも関わっていなかったわけではないでしょう」

「……ふっ」

「……?」


 鼻で笑うような声に、包帯をまとめていた顔を上げる。

 自称名無しのよそ者さんは、また私の方を見ていた。

 今度は少し楽しげで、からかうような笑みを浮かべて彼は口を開く。


「龍神様」

「え?」

「俺は、つい最近までそう呼ばれていた」

「……は、はぁ」

「……キリノ。俺が誰か知りたいか?」

「……ええ、まあ。そう、ですね?」

「そうか。そうだろうな」


 突如饒舌に語り出した彼は、勿体ぶってゆっくりと頷く。

 ちょっとだけ、ビックリさせようと企む子どもみたいとか思った。

 たっぷり間を開けて、彼は言う。


「先日までの俺は――世界樹の洞にて眠る、名もなき一匹の龍だった」


 わずかに開けた窓から吹いた風に乗って、香木の香りが鼻を抜ける。

 部屋に訪れる月明かりを受けて、白い髪が輝きなびく。


「――……」

「そしておまえがその短い生涯に渡って仕え、世話してきた龍神。――この村の守り神だ」


 紅い瞳から目が離せなくなる。

 そんな私に愉悦を感じたように、縦に裂けた瞳孔がぎゅっと締まる。

 龍を名乗る男が徐々に迫ってくる。


「喜べ、当代の龍巫女――キリノ」


 私を、それどころか人間そのものを見下すような不遜な態度は、まさしく人々が畏れ敬った強大な龍の在り方そのもので。

 私の意思なんて関係ないかのように、私の腰を引き寄せる。


「おまえの未熟で粗末な祈りに応じ、こうして俺は来てやったぞ」


 眼前の女を喰らわんとする獰猛な笑みを目の前に、私は――


「……は? バカじゃないの?」


 ヤバい。

 散々焦らしたわりに内容が予想どおりすぎて、つい本音がぽろっと零れちゃった。


「…………」

「あっ」


 偉そうな笑みのまま、住所不定推定無職の自称リュージンサマが固まってる。


 えーと。

 ……なんか、ごめん?


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