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第2回

 暗黒月Darkest Moon


 たしかにそこにあるのだが、よくよく目を凝らして見つめ続けなければ区別がつかないほど月が闇に染まる夜が2カ月に1度ある。

 何もかもを包みこみ、飲みこんでしまう深い闇。その中にあっては、なぜか豆電球も点かない。電力を使用している物は例外なく、ただのオブジェと化してしまう。


 当然ながら、どのような家庭であれ、最低1つは設置されている電動式の対獣邪用装置は、電池式の携帯用小型結界Portable Small Barrierにいたるまでガラクタとなる。唯一の例外は心起術しんきじゅつと呼ばれる技を習得した者だけが生み出すことのできる、念気のこもった宝石・氣宝玉きほうぎょくによって動く品だが、土台が宝石ということもあり、それは一般人が簡単に入手できるほど安価な品ではない。


 そこかしこで常識が反転し、無秩序の無法地帯と化して人間と獣邪の関係を逆転させてしまう暗黒の夜は、日ごろ何かと虐げられてきている獣邪にとって絶好の狩り時である。


 牙を磨き、爪を研ぎ。身を守るすべを失って無防備なただの血肉の詰まった袋と化した獲物の群れを、舌なめずりしながら物色する。

 この時ばかりはいつものように手に入るもので妥協する必要はない。獲物は一晩では狩りきれないほどいるのだから。


 そして暗黒月に選ばれなかった弱者は、ひたすら災厄が己の身にふりかからないことだけを祈りながら、月が地平に沈むまで息をひそめているしかない。

 はたして何者に天空のことわりを変えることができるだろうか。

 世界中の人々がどんなに憎悪を燃やして、この手が届くものであるならば即座に地へとたたきつけ、踏みにじり、跡形もなく壊してやるのにと百万回唱えようとも、暗黒月の夜は必ずやってくるのだ。


 そうして今夜もまた、悪夢の暗黒月の夜。


 どんなに繁盛している商店も、この日ばかりは早々に店じまいをする。どの家も例外なく、陽が完全に落ちる前にと大急ぎ分厚い鎧戸で窓は堅く閉ざし、ドアは鉄柵で補強してからそれぞれが工夫を凝らして用意した最後の砦――それは寝室の壁に作った隠し小部屋パニックルーム、はては台所の単なる箱、たるであったりもする――へと引きこもる。


 夜半を過ぎて。

 町じゅうの人々が一日で死に絶えたかのようにひっそりと静まりかえった住宅街を、1人の少年が歩いていた。

 歳のころは15~16。どんなに上を見てもせいぜいが18といったところか。背は高くなく、かといって低過ぎもしない。クモの糸でできているのではと思わせる、癖のないふんわりとした前髪の間からは理知的な額がのぞき、あきらかにオーバーサイズのだぶだぶのコートをはおっていても判別できる細身の持ち主である。


「なーなーナリトお。わし腹すいたー」


 通常であれば昼夜を徹して高圧電流が流れているに違いない高塀の上をそぞろ歩き、前をふさぐように伸びた枝葉をひょひょいと飛び越えることに熱中していた手乗り白猫のカイが、今の今まで忘れていたことを思い出したといった様子でひょこんと頭を上げてふり返り、翠色をした右目をきらきらさせながら訴えてきた。


 ただの猫には持ち得ない、人間の目。


 今にもこぼれ落ちそうな大きな目でじーっと見つめて返答を待っている、そんなカイと目をあわせた次の瞬間、何も聞こえませんでしたと言わんばかりにサカサカと、わざとらしく歩く速度を速めた少年・成人ナリトに、カイはムーッと顔をしかめた。


「ひとが、腹すいたあ言いゆうが、聞こえんがかねっ」


 小さい体に見合わない大きな声で怒鳴りつけ、があーっと小さな口をめいっぱい開けて威嚇するが、成人は変わらず徹底無視だ。

 追い越して先を行く成人を追って、カイも塀の上をぴょんぴょん跳ね跳んでいく。


「なんやそのミエミエな聞こえんフリはっ! ちゃんと聞こえてんの、分かってんねんで!

 あっ、さてはないがやね? 前の町でわしばあ置いて買い出しに行ったち思うたら、自分の欲しいもんばあさっさこうちょいて、わしん飯ばあこうてないちゃあなんちゅうやっちゃ!

 じゃからわしを連れてかんかったがやなっ。なーにが『今度の町は小さいから』や『子どもに遊ばれるのがオチ』や! おまんが欲しいもんばーっかりこうてくるためやったがやないか!

 ひとんことだましよって、ほんま、えげつないやっちゃ。もうどんくも閉まっちゅうころやないか。そんでのうてもこんな田舎町、ロクながあなさそーやのに!

 腹へったーっ。このまんま朝んなるまでずーっと待っちょったら、わし、絶対動けんなってまうぞーっ! 死ぬーっっ! この猫殺しー! 死んだら化けて出てやるきなー!」


 ひっくり返って手足をばたばたさせるカイ。

 成人は耳に指を突っ込んでいたが、深々とため息を吐きだしてカイを見上げた。


「ったく、うるさいやつだな。そんなに腹が減ってるならそのへんの枝なり塀なりかじればいいだろ。おまえの胃はそれこそコンクリだろうがレアメタルだろうが、なんだって消化・吸収しちまうんだから」


 今なら誰もおまえの仕業と気付かないから食っちまえ、とまで言う成人に、カイは噛みつかんばかりの勢いで言い返した。


「なに言うがぞねっ! 食ぇえゆわれたからち、「いっただきまーす!」なんて、まんまかじりつけるわけないやろがっ! わし、そんなお下品とちゃうっ!

 第一、こんなヤスモンまずいに決まっちゅうやないかっ。ほれ見てみい! こおーんな汚れちゅうがでっ! 雑菌だらけのモンなんか食うて、わしの繊細な精密回路や疑似神経に支障出たらどないするがや!」


 ぱしばしばし。塀を前足で叩いて力説したあと、カイはついに感極まったように、うっと言葉をつまらせ、泣き出してしまう。


「飯ーーっ、まともな飯食いたいーっっ!!」


 ちょこんと器用に後ろ足立ちになって両前足で顔をおおい、わあわあ声をあげて泣く姿はかわいらしく、人間の赤子にも似ていた。

 史上最悪の極悪人、人非人、身も世もないと、涙声で非難するカイの泣き声に後頭部を押された気がしてたたらを踏んだ成人は、塀の上でおいおい泣いているカイをあらためて振り返り、またため息をつく。


「おいこら。いくらうそ泣きしても無駄だぞ。ほんとに何も持ってないからな、おれは」


 ほれその証拠だと、それまでずっとコートのポケットに突っこんでいた両手で、ポケットの内布を引き出して見せてくる。


 成人の言葉は真実で、そこからこぼれたのはせいぜいが綿ぼこりぐらいのものだった。

 金もないと、問われる前に担いでいたかばんから取り出したサイフの口を開いて下に振る。


 このかばんに入っているのは必要最低限の日常品だ。その他に成人が身につけている物といえば、ズボンにはさみこんである片手銃とベルト通しにくくりつけている小さめの革袋だけだが、これの中身が食料でも金でもないことを知っているカイの目には、再び悲しみの涙が盛り上がった。


「ああっ、なんでわしこんなびんぼー人と組んでもうたがやろーっ! 一生の不覚やーっ!! いっつもいっつも宿にとまれんで野宿か橋の下やし、飯やって腹いっぱい食えたためしがないってゆうに、肝心の銭のほうやってちいーっともたまらん!!

 今度のやてそうや! ほんまやったら今ごろは協会からもろうた後金で、ホッカホカの飯腹いっぱい食うて、温泉つかりながら歌の一曲でも歌うて、それこそどんくらいぶりかわからん真っ白な宿ん布団で寝れよったはずやに! ナリトがすかびーなことしてあいつ逃がしたりするから、こんな、せんでもえい遠出せないかんなって……。

 びんぼはいやじゃーっっ!! 飯ぃーーーーっ!!!」


「あーうるさいっ! ないものはないの!! 納得しろ!!」


 成人はその一言で一蹴すると、歩き出す。しかし先のカイの発言は、成人自身よほど思いあたりすぎて良心を刺激されたのか、数歩と行かずに左手を顔にあてた。どうやら落ち込んでいるようだ。

 ずっと無言で歩いていたのも、その心中の表れだったのかもしれない。


 がっくり両肩を落としたその後ろ姿を、ちらりと指の間からうかがったカイは、腕組みをして数秒ほど考えこんだのち。ふわふわの白い毛に隠れて普段は目につかないコウモリ羽を開いて宙に浮かび上がると横につき、面を覗きこんだ。


「わ、わしなあ。これしゃぶってもうちっとばあやったら我慢するき。はよやつ見っけて駆逐パージして、そんでこん町の支部行って、今度こそ後金もろーて宴会しょーなっ」


 言うだけ言って気持ちが軽くなった分、今度はバツが悪くなったらしい。首輪から下がっている銀色をした丸くて平べったい物――表側に赤マーカーで『非常食』と書かれている、ボタン電池のような物――を舌でなめなめ言う。


「うん、そうだな……」


 こうなった一連の出来事を思い起こして、とことん落ち込みかけたところを寸手でとめた成人は、カイの頭をいい子いい子しながら相づちを打った。


「そしたらリチウム買ってやるよ」


 その言葉に、途端カイの耳がぴんと立った。


「ほ、ほんまのリチウムか!? くそマズいマンガンやまざりモンだらけのアルカリやのーて?」

「ああ。おまえの言う通り、駆逐パージ完了しかけてたのを肝心のところで逃がしてしまったのはおれのミスだからな。おかげで半年も、しなくていい旅をさせちまった。

 迷惑かけたおわびに、30くらい買ってやるよ。こーんなでっかいやつ」


 と、両手の人差指と親指で大げさに四角を描く。


「さ、さんじゅー!?

 や、約束やぞ? わし、ちゃーんとこん耳で聞いたからな? あとんなってごまかそうとしたち聞かんぞ? きっちりもらうき!!」


 カイの潤みに潤んだ目には、もう幻まで見えてるらしい。うきうきと弾む心そのままに、「さんじゅー♪ さんじゅー♪」と口ずさみながら、酔っ払いの千鳥足のようにふらふら危なっかしく宙を飛んでいく。

 ひゅるりら~と歌まで口をついて出た、そのときだ。


「見いつけたーっ!!」


 という喜々とした大声とともに塀とは反対側の闇から、何かが二人(?)目がけて次々と撃ちこまれた。

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