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第9話 忘却の彼方

 宇宙港のロビーの片隅で、少し奇妙なグループが談笑している。

 それはカスパーとクレア、そして『ブラウン少佐』ことNo.5である。

 そして言うまでもなく主に話しているのはカスパーで、クレアとNo.5は相槌を打っているといった状態だった。

 この日のNo.5は、硝子色の瞳を隠すため色の濃いサングラスを着用していた。それがあまりにも人相が悪く見える、という話題になった時、両手に紙コップを持ったNo.21が、カフェカウンターの方からその一団に向け歩み寄ってきた。

「お待たせしました。クレアさんは紅茶、支局長さんはコーヒーです。あいにくMカンパニー関連業者の物しか無かったんですが」

「そのうちに改善されるでしょう。今日のところは我慢しますよ」

 そう言いながらにやりと笑い、カスパーはコーヒーを受け取ってブラックのまま口に流し込む。直後、紙コップはその手を離れ、重力に従って床へと落下する。

 その一部始終を確認するとNo.5は立ち上がり、静かな口調で切り出した。

「申し訳ありませんが、支局長殿の記憶を一部操作させていただきます。この事件において、我々に遭遇したということを消去します」

 その言葉が終わると同時に、クレアの瞳はこれ以上ないくらい見開かれる。だが、まったく口調を変えることなくNo.5は続けた。

「今回は非常にに特異なケースです。以前申し上げた通り、被害者である貴女には一切の不利益が無いよう、今後惑連が……」

「私一人がすべてを背負え。そうおっしゃるんですか?」

 平板な声をさえぎって、クレアはぽつりとつぶやく。彼女の頬を伝い落ちた涙は、テーブルの上にこぼれ落ちていた。

「確かに博士は私を助けようとして、あんなことを実行しました。けれど……この事実とこれからどうやって向き合えばいいんですか……?」

 三者の間に、重い沈黙が流れる。行き交う人々のざわめきが、耳に痛い。

 そんな気まずい空気を打ち破ったのは、No.21だった。

「でも、貴女はまちがいなくヒトです。自然の摂理に従って生を受け、あらゆる形でこの世界に痕跡を残している。これまでもそしてこれからも。違いますか?」

 その言葉にはっとしたようにクレアは顔を上げる。

 みつめてくる視線から逃れるように、No.21は床に広がったコーヒーを片付ける清掃ロボットに目を向けた。

「自分たちは、極端に言えばあのロボットと同じです。造られて、壊れれば廃棄されて……。無責任なこととはわかっています。けれど、自分は貴女に『生きて』いただきたいんです」

 お願いします、と頭を下げるNo.21。

 しばしの沈黙の後、クレアは小さな声ではあるがはっきりと答えた。 

「……たぶん……とても時間がかかると思います。気持ちに整理がつくのはいつになるか、自分でもわかりません。でも、努力してみます」

 そう言うクレアの顔には、泣き笑いのような表情が浮かんでいる。

 そして、No.5に向き直った。 

「色々とお世話になりました。……またお会い出来ますか?」

 なぜか返答に窮するNo.21。けれど、No.5はかすかな笑みを浮かべながら穏やかな口調で言った。

「……その時が来るのを、お待ちしています」

 それからクレアは、No.5、そしてNo.21とそれぞれ握手を交わす。

 ちょうどその時、場内にテラ行きの宇宙船ふねへの搭乗が始まったことを告げるアナウンスが響いた。軽く会釈をすると、No.5は人混みのなかへと消えていく。

 その後ろ姿を見つめながら、No.21は低い声で言った。

「少佐殿はシステムの関係で、一つの任務の記憶を次へ持ち越すことができないんです。テラに戻れば、今回のことはすべて消えてしまいます。」

 思いもかけない言葉に、クレアは息を飲む。

 あわててNo.5の姿を探すが、ついに見つけ出すことはできなかった。

 その様子を見やりながら、No.21はさらに続ける。

「お願いばかりで本当に申し訳ないんですが、少佐殿のこと忘れないでください。他でもなく少佐殿が存在した証として」

 その真剣な口調に、クレアはうなずいた。未だ泣き笑いではあったが、力強く。

 その時、かたわらで意識を失っていたカスパーの口から、うめき声が漏れた。

「どうやらお目覚めのようですね。では、自分もこの辺りで失礼します」

 二人分の帰りのバスのチケットを手渡すと、No.21は恥ずかしそうに敬礼し、その身を翻し人波に消えていった。

 見送るクレアの耳に飛び込んできたのは、カスパーの声だった。

「……ここは一体……? クレア、お前何でここに? Mカンパニーに連れて行かれて……」

 未だ夢からさめきっていないようなカスパーに、クレアは苦笑を浮かべる。どうやら完全に、あの二人に関する記憶は失われているようだ。

「何言ってるんです? テラから来た惑連の方に助けてもらったじゃないですか。お礼に見送りに行こうって言ったのは誰でしたっけ?」

 少なくとも嘘はついてはいない。けれども、小さなとげがクレアの心に刺さったのは確かだった。

 そんな彼女の内心などいざ知らず、カスパーは目を輝かせる。

「そうか、じゃあ後で独占インタビューだ。今度こそマルスの目を覚ましてやる」

「わかりましたから。早くしないと、バスが出ちゃいますよ」

 うまく笑えただろうか。

 チケットを渡す手が震えていた事には気付かれなかっただろうか。

 そんな些細なクレアの心配を振り払うかのように、カスパーはやさしくその肩を叩いた。

 その手の温もりが、彼女に伝わってくる。

 この世に痕跡を残している。

 先程のNo.21の言葉が、クレアの脳裏に浮かんで、そして消えた。

 何事もなかったかのように世界は回っていくのだ。今までも、そしてこれからもずっと。

 久しぶりの太陽の光に、クレアは眩しげに目を細める。

 そして、再びこみ上げてきた涙をカスパーに気取られぬよう指先で拭った。


     ※


 行きと同様、帰りの便も船内には空席が目立った。

 幸いなことに、数少ない乗客は等しく自分たちのことに必死で、No.5の左手を気にする様子もない。

 チケットに記された席に着くと、彼はまずブラインドをおろした。

 出発を告げるアナウンスが静かな船内に流れ、宇宙船はゆっくりと動き出す。

 彼はふと、今回の件を反芻した。

 グロテスクな愛情。

 カスパーは、そんな言葉を口にした。事実、あの時テルミンは確かに娘を救おうとしていた。方法はどうあれ。

 では、何故テルミンは自分を生かそうとしたのだろうか。

 単なる実験のステップだったのか、あるいは他の理由があったのだろうか。

 船はマルスの重力圏を抜け、漆黒の空間へと出たらしい。僅かな振動が船内に走る。

 テラに戻り、中断している『休暇』……生体維持のための動力停止に入れば、今回の記憶も、この疑問もすべて失われる。

 失われていく記憶をいとおしむように、No.5は静かに目を閉じ、振動に身を預けた。


     ※


 ……この日、Mカンパニーが惑連法に反し科学兵器及び生物兵器の開発を行っていた事実と、セオドア・プライス代表の引責辞任と逮捕拘束が全惑星に向けて報道された。

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