宇宙港のロビーの片隅で、少し奇妙なグループが談笑している。
それはカスパーとクレア、そして『ブラウン少佐』ことNo.5である。
そして言うまでもなく主に話しているのはカスパーで、クレアとNo.5は相槌を打っているといった状態だった。
この日のNo.5は、硝子色の瞳を隠すため色の濃いサングラスを着用していた。それがあまりにも人相が悪く見える、という話題になった時、両手に紙コップを持ったNo.21が、カフェカウンターの方からその一団に向け歩み寄ってきた。
「お待たせしました。クレアさんは紅茶、支局長さんはコーヒーです。あいにくMカンパニー関連業者の物しか無かったんですが」
「そのうちに改善されるでしょう。今日のところは我慢しますよ」
そう言いながらにやりと笑い、カスパーはコーヒーを受け取ってブラックのまま口に流し込む。直後、紙コップはその手を離れ、重力に従って床へと落下する。
その一部始終を確認するとNo.5は立ち上がり、静かな口調で切り出した。
「申し訳ありませんが、支局長殿の記憶を一部操作させていただきます。この事件において、我々に遭遇したということを消去します」
その言葉が終わると同時に、クレアの瞳はこれ以上ないくらい見開かれる。だが、まったく口調を変えることなくNo.5は続けた。
「今回は非常にに特異なケースです。以前申し上げた通り、被害者である貴女には一切の不利益が無いよう、今後惑連が……」
「私一人がすべてを背負え。そうおっしゃるんですか?」
平板な声をさえぎって、クレアはぽつりとつぶやく。彼女の頬を伝い落ちた涙は、テーブルの上にこぼれ落ちていた。
「確かに博士は私を助けようとして、あんなことを実行しました。けれど……この事実とこれからどうやって向き合えばいいんですか……?」
三者の間に、重い沈黙が流れる。行き交う人々のざわめきが、耳に痛い。
そんな気まずい空気を打ち破ったのは、No.21だった。
「でも、貴女はまちがいなくヒトです。自然の摂理に従って生を受け、あらゆる形でこの世界に痕跡を残している。これまでもそしてこれからも。違いますか?」
その言葉にはっとしたようにクレアは顔を上げる。
みつめてくる視線から逃れるように、No.21は床に広がったコーヒーを片付ける清掃ロボットに目を向けた。
「自分たちは、極端に言えばあのロボットと同じです。造られて、壊れれば廃棄されて……。無責任なこととはわかっています。けれど、自分は貴女に『生きて』いただきたいんです」
お願いします、と頭を下げるNo.21。
しばしの沈黙の後、クレアは小さな声ではあるがはっきりと答えた。
「……たぶん……とても時間がかかると思います。気持ちに整理がつくのはいつになるか、自分でもわかりません。でも、努力してみます」
そう言うクレアの顔には、泣き笑いのような表情が浮かんでいる。
そして、No.5に向き直った。
「色々とお世話になりました。……またお会い出来ますか?」
なぜか返答に窮するNo.21。けれど、No.5はかすかな笑みを浮かべながら穏やかな口調で言った。
「……その時が来るのを、お待ちしています」
それからクレアは、No.5、そしてNo.21とそれぞれ握手を交わす。
ちょうどその時、場内にテラ行きの
その後ろ姿を見つめながら、No.21は低い声で言った。
「少佐殿はシステムの関係で、一つの任務の記憶を次へ持ち越すことができないんです。テラに戻れば、今回のことはすべて消えてしまいます。」
思いもかけない言葉に、クレアは息を飲む。
あわててNo.5の姿を探すが、ついに見つけ出すことはできなかった。
その様子を見やりながら、No.21はさらに続ける。
「お願いばかりで本当に申し訳ないんですが、少佐殿のこと忘れないでください。他でもなく少佐殿が存在した証として」
その真剣な口調に、クレアはうなずいた。未だ泣き笑いではあったが、力強く。
その時、かたわらで意識を失っていたカスパーの口から、うめき声が漏れた。
「どうやらお目覚めのようですね。では、自分もこの辺りで失礼します」
二人分の帰りのバスのチケットを手渡すと、No.21は恥ずかしそうに敬礼し、その身を翻し人波に消えていった。
見送るクレアの耳に飛び込んできたのは、カスパーの声だった。
「……ここは一体……? クレア、お前何でここに? Mカンパニーに連れて行かれて……」
未だ夢からさめきっていないようなカスパーに、クレアは苦笑を浮かべる。どうやら完全に、あの二人に関する記憶は失われているようだ。
「何言ってるんです? テラから来た惑連の方に助けてもらったじゃないですか。お礼に見送りに行こうって言ったのは誰でしたっけ?」
少なくとも嘘はついてはいない。けれども、小さな
そんな彼女の内心などいざ知らず、カスパーは目を輝かせる。
「そうか、じゃあ後で独占インタビューだ。今度こそマルスの目を覚ましてやる」
「わかりましたから。早くしないと、バスが出ちゃいますよ」
うまく笑えただろうか。
チケットを渡す手が震えていた事には気付かれなかっただろうか。
そんな些細なクレアの心配を振り払うかのように、カスパーはやさしくその肩を叩いた。
その手の温もりが、彼女に伝わってくる。
この世に痕跡を残している。
先程のNo.21の言葉が、クレアの脳裏に浮かんで、そして消えた。
何事もなかったかのように世界は回っていくのだ。今までも、そしてこれからもずっと。
久しぶりの太陽の光に、クレアは眩しげに目を細める。
そして、再びこみ上げてきた涙をカスパーに気取られぬよう指先で拭った。
※
行きと同様、帰りの便も船内には空席が目立った。
幸いなことに、数少ない乗客は等しく自分たちのことに必死で、No.5の左手を気にする様子もない。
チケットに記された席に着くと、彼はまずブラインドをおろした。
出発を告げるアナウンスが静かな船内に流れ、宇宙船はゆっくりと動き出す。
彼はふと、今回の件を反芻した。
グロテスクな愛情。
カスパーは、そんな言葉を口にした。事実、あの時テルミンは確かに娘を救おうとしていた。方法はどうあれ。
では、何故テルミンは自分を生かそうとしたのだろうか。
単なる実験のステップだったのか、あるいは他の理由があったのだろうか。
船はマルスの重力圏を抜け、漆黒の空間へと出たらしい。僅かな振動が船内に走る。
テラに戻り、中断している『休暇』……生体維持のための動力停止に入れば、今回の記憶も、この疑問もすべて失われる。
失われていく記憶をいとおしむように、No.5は静かに目を閉じ、振動に身を預けた。
※
……この日、Mカンパニーが惑連法に反し科学兵器及び生物兵器の開発を行っていた事実と、セオドア・プライス代表の引責辞任と逮捕拘束が全惑星に向けて報道された。