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第8話 対峙

 久しぶりに戻った官舎は、暗闇に包まれ静まりかえっていた。

 もとより妻と死別して以来一人で各惑連を転々とする身である。帰りを出迎える家族は、今現在は存在しない。

 だが、その物言わぬ漆黒の中に何やらうごめく気配を感じ、テルミンは室内に護身用として置いてあるはずの銃を手探りで探す。

「……お探しの物は、これですか?」

 誰もいないはずの室内から、突然声が聞こえた。それに呼応するかのように突如照明が瞬く。

 ぎょっとして振り向くテルミン。廊下の方から、足音が響いてくる。そしてついに、見覚えのある姿が彼の前に姿を現した。

「君か……まさかこんなところで会うとは思わなかった。エド……いや、No.5」

 口では懐かしんではいるものの、その瞳に狂気の光が宿っていることを、No.5は見逃さなかった。そうとは気付かないテルミンは、No.5の左腕と血染めの軍服に目を留める。

「どうしたんだ、その腕は? ひどい損傷じゃないか。すぐに形成修理を手配しよう」

 何の疑いも持たず銃を受け取ろうと手を伸ばしてくるテルミンを、No.5は冷たく一瞥いちべつする。

 そして、わずかに硝子色の目を細めると、その銃口をテルミンに向けた。

「な……何のつもりだ?」

 No.5の予想外の行動に、テルミンは思わず声を上げる。対するNo.5は抑揚の無い声で静かに告げた。

「我々は非公式の存在です。これだけ申し上げれば、私が何をしに来たのかご理解いただけるかと思いますが」

 No.5の生気のない硝子色の双眸が鈍く光る。その静かな圧力に押され、テルミンは壁際まで追い詰められていた。

 けれど、No.5は銃を構えたまま降ろそうとはしない。未だ戸惑いの表情を浮かべているテルミンに、彼はさらに続けた。

「まだ説明が必要でしょうか? これ以上私のような奇妙なモノを、量産しないでいただきたいのです」

 No.5の口調は、決して激しいものではない。けれど、その静けさの裏にある強い怒りを感じ取り、テルミンは目の前にいる『存在』に対してはじめて恐怖を覚えた。

 壁にもたれかかりながら、テルミンは引きつった表情を浮かべ掠れる声で言った。

「わ、私を殺す気か? 君を……脳死状態だった君を再び目覚めさせたのは、他でもなくこの私だ! 君は自分が誰だか知りたくはないのか?」

 最後の切り札のつもりで発されたテルミンの言葉に、一瞬No.5はその動きを止めた。

 その様子にテルミンが勝利を確信し満足げな笑みを浮かべようとしたまさにその瞬間、No.5は眉根を寄せる。そして、ためらうことなく手にしていた銃の引き金を引いていた。

 テルミンの頬を、光の筋が掠める。

「貴方が行った蘇生手術で脳のが損傷を受け、それがが原因で私の記憶は消えた。違いますか?」

 自らの発言が逆効果であったと気付き、力無く床にへたり込むテルミンをNo.5は冷たく見下ろすと、常と変わらぬ平板な口調でこう告げた。

「このような形になってまで行き続ける事は、かつての私もおそらく望んではいなかったでしょう」

 言い終えてNo.5はわずかに目を伏せ、手にしていた銃をテルミンの目前に投げ捨てた。

 四肢を床に付いたテルミンは、それを拾い上げようともしない。

 しばしNo.5はそんなテルミンをみつめていたが、ややあって口を開いた。

「ミス・デニー……ご令嬢からの伝言です。貴方がすべてをなげうってまで自分を助けようと思ってくれた事には感謝する、とおっしゃっていました」

 その結果もたらされた悲しい現実に対しては、ただ涙を浮かべるだけで言葉にはならなかった。そう付け加えると、No.5はきびすを返した。もはやテルミンに反撃の意志なしと判断したようだ。

 戸口から廊下へ出る刹那、彼は振り向きざまに平板な口調で付け加えた。

「Mカンパニーはすべての罪を認め、先程惑連情報局による捜査を受け入れると表明しました。貴方にわずかでも良心が残っているのなら、せめてもの償いを……」

 そして、No.5の姿は室外へと消えた。そこにはただ一人、テルミンだけが取り残された。

 しばしの静寂が、室内を包み込む。と、銃の上に、床の上に、涙の滴が二つ三つこぼれ落ちる。

 ようやく人としての心が息を吹き返したのだろうか。室内にはテルミンのすすり泣く声が、いつまでも響いていた……。


     ※


 テルミンの官舎からの出たNo.5は、薄暗い路地に停まっている一台の車へ向かい歩み寄った。

 果たしてその脇では、カスパーが一人紫煙をくゆらせている。足音に気付き振り向いたカスパーは、あわてて吸い殻を携帯灰皿に収めた。

「終わりましたか? じゃあ戻りましょうか」

 言いながら車の扉を開けるカスパーに向かい、No.5は表情を変えることなくわずかに会釈する。

「お手数をかけて申し訳ありません。ですが、何故協力してくださったのですか?」

 そう問われると、カスパーは照れ臭そうに頭をかく。

「クレアに叱られたんですよ。大人気ないってね」

 言いながらカスパーは苦笑を浮かべると、シートベルトをしめながらさらに続けた。

「まあ、奴も奴なりにクレアを愛していたのかもしれませんね、形はどうあれ……。自分に言わせれば、グロテスクとしか思えませんが」

 言いたいことを吐き出してすっきりしたのだろうか、カスパーの表情が心持ち和らいだ。そのタイミングを計っていたのだろうか、それまで無言だったNo.5がおもむろに口を開く。

「一つだけお伺いします。どうして私の前であれほどまでに特務のことを口にされたんですか?」

 バックミラーに写るNo.5の姿に目をやり、カスパーはなぜか昔を懐かしむような表情で答えた。

「例の事件の直後、何度かあいつの研究室に顔を出したんですがね、その時クレアの世話をしていた方に会ったんですよ。それがどうも普通の人間と言うにはどこか違和感があって……」

 話の内容が見えてこないのだろうか、No.5はわずかに首を傾げる。カスパーの言葉は、さらに続いた。

「思えばあれが、自分と特務の初めての遭遇だったんでしょう。結論を言いますと、その人物が貴方に似ていたんですよ。それで、ひょっとしたらと思って」

 覚えてはいませんか、そう言いながらカスパーは振り向き思わず口をつぐんだ。光の加減でその表情はっきりと見ることはできないが、No.5が右手で顔を覆っていたからだ。

「残念ながら、過去のデータはすべて消去しれています。ですが……聞くことができて良かった」

 その言葉に曖昧にうなずいて答えると、カスパーは静かにアクセルを踏んだ。

 夜の闇の中に、車は消えていった。

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