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第7話 決断

 非常灯だけがともる薄暗い廊下を、No.21は危なげなく歩いていた。

 普段は無数の職員達が行き来しているであろうその場所に、今は彼以外動く物はない。

 先刻、まだ何か言いたげなカスパーを仮眠室の一つに案内(正確には押し込め)し、再び中央管制室に戻る道すがら彼は妙な気分に捕らわれた。

 いや、気分と言うのは正しい表現では無いかもしれない。本来、〇と一との計算から導き出される答以外の情報を、彼が感じるはずがないからだ。

 やがて、中央管制室の扉が姿を現した。その中に足を踏み入れるが、やはり動く物は何もない。

 が、一台の端末の前に座る人影を確認し、彼は姿勢を正した。

「遅くなりました。支部長殿はどうにか……」

 話しかけてから、彼は異変に気が付いた。

 肝心の相手は、まったく反応を示さない。彼はゆっくりと歩みより、改めて声をかけた。

「……少佐殿?」

 青白い非常灯が、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせる。微動だにしないその姿は、さながら出来の良い彫刻か、あるいは死体のようだ。

 どうやら先ほどの破損箇所の神経系を切り離す『自己修復』に入っているようだ。

 実のところ、あまり見ていて気持ちの良い物ではない。

「やれやれ……」

 意味も無くつぶやくと、彼は束ねていた髪をほどいた。

 淡い茶色の長髪が、薄暗がりの中に広がる。多少うるさげにそれをかきあげると、何をするでもなく彼は端末の端に腰をおろした。

 これで、この建物の中で動くモノは、しばらくの間自動制御プログラムと彼だけである。

 その事実を突き付けられると、沈黙に耐えられない彼は、『気が重く』なった。

 それにしても。

 彼は改めて『眠って』いる少佐……No.5を見やった。

 目の前にある『No.5』という器の中に、任務に適した人格がその都度インプットされる。そうとは聞かされていたが、実際目にしてみるまでは信じがたい物だった。

 けれど、以前フォボスで行動を共にした少佐と、今自分の目前にいる少佐は、外見こそ同じだが、中身はまったく違う。

 これが人格プログラムの違いなのだ。そう理解しているものの、何度解析しても納得がいかない。

 いや、厳密に言えば、かつて『生きて』いた本来の人格……それを魂と言うのかは定かではないが……は、すでにこの世には存在しないのだ。

 にも関わらず主を失った器だけが、こうして今目の前に『存在』している。

──それこそ本当の『人形』じゃないか──

 自らが導き出した答を否定するように、彼はあわてて頭を振った。長い髪が揺れる。

 すでに日付は変わっていた。日が昇るまで、何をしようか。

 改めて彼はNo.5に歩みより、その顔を覗きこんだ。まだ目覚める気配はない。

 とりあえず支部長殿達は朝食をとる。まずは何か食料の調達と……いや、その前に報告書の準備か。

 結論を弾き出し、彼は立ち上がった。


     ※


 そこは、真っ白な部屋だった。いつここに来たのか、彼女は知らない。

 けれど時折やって来る父は、彼女の記憶にある限り一番優しい顔をしていた。そして、穏やかな笑顔を浮かべながら、優しく頭をなでてくれるのがこの上もなくうれしかった。

 だが、ある日のことそんな父の様子が一変した。

 彼女が不注意で花瓶を割った時のことである。

 掌や指に痛みを感じて泣く彼女の泣き声を聞きつけ、あわてて駆けつけた父。

 その傷の様子を見るやいなや、その表情は目に見えて変化した。そう、彼女が負った傷は目に見えてふさがっていたのである。

 やがて、父は他の大人達と何やら相談を始めた。

 人工培養……細胞……再生力の活性化……。

 大人達が何を話し合っているのか理解できず、いつしか彼女は泣くことを忘れていた。

 ややあって、話の輪の中から父が歩み寄ってきた。引きつった笑顔を浮かべながら。

「大丈夫、父さんと一緒にいれば心配ない」

 その時、別の声が割って入る。

「いい加減いしろ! これ以上倫理委員会を無視して何をするつもりだ?」

「軍事に応用するんだ。成功すれば、任務中の事故で殉職する数は減少するだろう。そうは思わないか?」 

 言いながら、父は笑っていた。

「馬鹿なことを言うな! お前さんは何の関係もないお嬢さんを巻き込むつもりか?」

 更なる怒声が響く。

 しかし、父は笑うのをやめようとはしない。

「これはチャンスなんだ。異動だと? とんでもない。私はクレアと共にここに残る! そのためにもこの異変は上申し、正式に研究対象とするべきなんだ……」

 乾いた笑い声が、父の口から漏れる。

 彼女は不安に満ちた表情で父の顔を見上げる。

「怖がらなくてもいいよ。決してお前を一人にすることはない。さあ……」

 手を伸ばしてくる父。

 咄嗟に彼女はその身を引き後ずさる。と、すぐに壁が背中にぶつかった。

 さらに近寄ってくる父の顔には、見たこともない恐ろしい笑みが浮かんでいる。

 助けて。

 恐怖に駆られ、思わず彼女は悲鳴を上げた……。


     ※


 目が覚めると、そこはベッドの上だった。

 先程見たものが夢だったことに、クレアは思わず安堵の息をつく。

 注意深くベッドから降り、廊下に出た。

 と、どこからか場違いなコーヒーの香りが漂ってくる。

 それに誘われるように、彼女はいつしか中央管制室にたどり着いていた。

「あ、おはようございます。お加減はいかがですか?」

 そこでは、No.21が湯気の立つコーヒーを紙コップに注ぎ分けていた。

 そのうちの一つを笑顔で差し出されると、昨日の出来事も夢だったのではないか、という錯覚にとらわれる。

 だが、硝子色に光るNo.21の瞳にクレアは現実に引き戻される。

 そして、端末の影で微動だにせず座っているNo.5の姿が目に入った。その様子は本人の言葉通り、本当に死んでいるようだった。

 思わず固まるクレアに気付いたのだろう、No.21はあわてて説明する。

「大丈夫です。もう少しすればいいと再起動……起きると思います。昨日の破損が響いたみたいで、今自己修復モードに入っているんです」

 根本的な形成修復はテラに戻らないとできないんですが、と言うNo.21とNo.5を見比べてから、クレアはコーヒーを受け取った。

 両の手で抱えるようにコップを持ちながら、わずかに彼女は首を傾げる。

「あの、これはどこから?」

「宿直の非常食みたいですよ。戸棚のそこかしこに。賞味期限でしたら確認済みです」

 曖昧にうなずいてから、改めてクレアは周囲を見回した。

 カスパーの姿が見えないところを見ると、まだ眠っているのだろう。

 テーブルの上には、ご丁寧にポーションと砂糖、そして使い捨てのマドラーまでが並べられている。ありがたくそれらを拝借すると、クレアは一息にコーヒーを飲む。

 すっかり空になったコップをもてあそびながら、クレアはうつむいた。

「昨日は……お二人に色々と失礼があったかもしれません。すみませんでした」

 けれどNo.21は微笑を浮かべ、首を左右に振る。そして、何より貴女が無事で良かった、と言った。

「それよりも、何かあったのでは? 先程の悲鳴は一体……」

 逆にこう切り出されて、クレアは言葉を失う。そんなに大きな声でしたか、と彼女は思わず頬を赤らめた。

「実は……おかしな夢を見ていたんです。いえ、夢と言うにははっきりしすぎていて……」

「宜しければ、お話しいただけませんか? 口に出してしまった方が楽になる事もあるでしょうし」

 屈託のないNo.21の笑顔に、クレアもつられて微笑む。

 手近な椅子に腰かけると、今まで見ていたあの夢の内容を噛みしめるように語りだした。

 その間、No.21は適度に相槌を打ったり、細部を確認しながら記録する。

 そして事の顛末を聞き終えた後、彼は丁寧に一礼した。

「昨日のことが子どもの頃の記憶を揺り動かしたのかもしれませんね。本部に早速照会させていただきます。ありがとうございました。そして、すみませんでした」

 その言葉に、クレアは無言でうなずいた。その顔には、未だ不安げな表情が張り付いている。

 そんな彼女に、No.21は心配そうに声をかけた。

「やっぱりどこかお加減が悪いんじゃありませんか? もう少しお休みになっていた方が……」

 瞬間、クレアの頬を涙が伝い落ちた。それまで気丈に振る舞っていた彼女が、唐突に顔を覆う。

「正直私自身、どうしたら良いかわからないんです。一体私は何なのか……。自分自身が恐くて……」

 室内に、嗚咽が響く。

 返答に窮し、No.21は立ち尽くす。言い難い空気が流れる中、第三者の声が聞こえてきた。

「あの話を聞いた後では、当然のことでしょう。配慮に欠けた私の責任です。申し訳ありません」

 驚く両者をまったく意に介することなく、No.5は静かに続けた。

「貴女の身柄保護と、Mカンパニーに夜兵器開発という惑連法違反を情報局に通報し次第、私はテラへ帰還します」

「でも……どうして急に?」

 さらに驚くクレアに、No.5は事務的に答えた。 

「貴女の救出が完了した時点で、今回の任務派達成されたと言えるでしょう。最良とは言い難い結果ですが、これ以上は越権行為になりかねません」

「でも少佐殿、それじゃあ余りにもひどすぎるんじゃ……」

 No.21に鋭い支線を向けて反論を中断させると、No.5は改めてクレアに向き直った。

「しかし、我々の行動は公に記録されることはありません」

 No.5が何を言おうとしているのかわからず、戸惑ったようにクレアはその顔を見つめる。そこには、穏やかで優しげな微笑が浮かんでいた。

「せめてものお詫びです。貴女が不利益を被らないようにすると、支局長殿にも約束しましたので」

 困惑したようにクレアはNo.5とNo.21を見比べる。

 笑顔でうなずくNo.21に後押しされるように、クレアはためらいがちに口を開いた。

「でしたら……できれば一つだけ……お願いしてもいいですか?」

 消え入りそうな声で告げられたその願いを聞いた後、No.5はすぐさまNo.21に対して、テラ惑連情報局とMカンパニーに回線をつなぐよう指示を出した。


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