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第4話 反撃開始

 Mカンパニー本社ビル最上階の一フロアすべてを使った執務室で、その部屋の主であるセオドア・プライスは不機嫌そうに業務報告書を見つめていた。

 長引く動乱は、利益をもたらすと同時に不利益を生み出す。

 その波を巧みに漂うことに成功した結果が、これほどまでの企業の成長である、彼はそう自負していた。

 各支社から送られてきた文書をあらかた読み終わった頃、無機質なインターフォンの音が響く。

 扉は音もなく開き、神経質そうな男が入ってきた。

「これはテルミン博士、お元気そうで何よりです」

 その姿を認めてプライスは立ち上がり、嫌味と皮肉をたっぷり込めて恭しく一礼する。

 博士と呼ばれた側も不機嫌さを隠そうともせず、怒鳴るように言い返した。

「元気なものか! まったく君の部下もマルス惑連も、無能なくせに大口を叩いてばかりではないか」

 それからテルミンは、結局テラからの調査官も恒星間通信社の支局長も見つかっていないんだろう、と吐き捨てるように言った。

「それも時間の問題ですよ。マルスは私の手の内にあるも同然ですから」

 それからプライスは卓の上の文書をまとめながら切り返す。

「それより彼女はどうなりましたか? 有能な社員ですので、あまり長引くと出張費がかさんで困るんですが」

 その言葉には、嫌味と皮肉に加え悪意をも込められていた。しかし、テルミンにはまったく堪えた様子はない。逆に自らの研究に話が振られたと勘違いをしたらしく、それまでの仏頂面から一転して得意げに話し出す。

「成果は予想以上だった。これでテラの片割れを調査出来れば、完璧なデータが揃うのだがな」

 そう語るテルミンの目には、狂気の光が宿っている。

 かつて『惑連技術部のホープ』と呼ばれた天才で、自らの事業に有益な人物であったとしても、手を組んだのは誤りだったのではないか。

 一瞬プライスの心中に弱気の虫が頭をもたげた。

 惑連宇宙軍情報局特務を形成するという『Doll』の初期の開発メンバー。そして、その軍事的有用面のみを主張したため、平和主義を建前とする惑連本部を追われたという人物。それが、ニコライ・テルミン博士の知る限りの経歴である。

 その左遷の裏にはもっと根深いなにかがあったのではないかと、プライスには思えてならない。けれど、より高みを目指す上で『新商品』の開発は避けられない項目である。

 そんなプライスとMカンパニーにとって、最先端の技術を知るテルミンは渡りに船の存在であった。

 そして、テラ惑連というバックボーンを失ったテルミンにとっても、『カネと設備』を提供してくれる援助者であるMカンパニーはなくてはならない存在だった。

 両者の思惑が一致して、彼らは手を結ぶに至ったが、有形無形の邪魔が入り始めている。恒星間通信社の報道もその一つだった。

 そろそろ潮時ではないか。

 そんな思いにプライスがとらわれた時、室内に耳をつんざくアラームが鳴り響く。

 そして、スピーカーを通してひきつったオペレーターの声が聞こえてきた。

──大変です! ……マルス惑連が、何者かに占拠されました……──


     ※ 


 ことの発端は、プライス社長とテルミン博士の暗い会談が行われるよりも数時間前にさかのぼる。

 マルス惑連事務局長が身支度を整え今にも帰宅しようとした、まさにその時だった。

 けたたましい非常ベルの音が、全館を包んだ。非常事態発生による、全職員シェルター内退避の合図である。

 しかし、訓練を行うという報告は事務局長の元には届いていない。

 不審に思い警備室へ連絡を取ろうとした時、目の前の扉が開き一人の軍人が姿を現す。

 事務局長が侵入者を軍人と理解したのは、その服装からであった。

 腰丈のジャケットと、鈍く光るループタイ。見慣れているはずの宇宙軍後方勤務時の軍服なのだが、それにはどこか違和感がある。

「初めまして。事務局長殿が帰る前に間に合って良かった」

 侵入者が真面目くさって敬礼をした時、肩の辺りにある所属を示す徽章が目に入った。通常の宇宙軍のそれとは異なる、硝子の瞳を持つ鋼鉄の鷲。

 それを実際に見るのは初めてだったが、何を意味するのかはすぐに理解することができた。

「……と、特務か!」

「大正解。たった今より、惑連規定特例の二条に従ってもらいます」

 特例の二条、すなわち非常事態における特務への指揮権移行である。

 半ば失神しかけながら何かを探す事務局長に、No.21は銃口を向けた。

「宣言がなされた以上、マルスの全職員はこちらの指揮下に入ってもらいます。自分達に何かしたら、反逆行為とみなします。宜しいですか?」

 その言葉に事務局長はガックリと肩を落とし、両手を挙げた。


     ※


 巨大スクリーンや大型コンピュータの端末が並ぶ、宛ら要塞指令室のような中央管制室にNo.5はいた。身にまとっているのは、やはり件の軍服である。

 彼の他に動く者は何も無い。

 見事なまでの統率力でシェルターに向かった職員達は、じっとその中で嵐が過ぎるのを待っているようだ。

 先程からモニターを凝視しているNo.5の耳に、No.21の声が入ってきた。

「事務局長は抑えました」

 報告に無言でうなずいて応じると、No.5は端末の1つに向かった。そこに歩み寄りながら、No.21は続ける。

「支局長殿は駐車場で待機中ですが、こちらに入ってもらいますか?」

「そうだな」

 端末の操作をしながら、もう大丈夫だろう、とNo.5は答える。

 同時に打ち込んだパスワードがヒットした。画面上には次々とこの建物内部の図面が展開される。

 その中に目指すものを発見したNo.5は、ゆっくりと立ち上がった。

「被疑者を発見した。保護に向かう」

「それなら自分が……」

 その言葉を制止し、まだ制圧化に入っていないシステムの有無を確認するよう指示すると、No.5は管制室を後にした。

 彼らが出動するに至ったきっかけが、そこに待っている。


     ※


 四方を分厚い壁と扉で囲まれた狭い室内にもうどれほど拘留されているのか、馬鹿らしくて思い出す気にもなれない。

 数日に一回検査と称して連れ出される以外、この部屋を出ることはなかった。テラ惑連の調査官との面会を行った、ただ一度を除いて。

 一体これからどうなるのか。

 先行きの見当もつかず、クレアは壁にもたれながら小さくため息をつく。

 そんな彼女の腕には、『検査』で刻まれた無数の傷があった。それらは深さに反比例する早さで治癒しつつある。

 その事実を誰よりも気味悪く感じていたのは、他ならぬ彼女自身である。だからこそ彼女は、極力怪我をしそうな場面に遭遇することを避けていたのだから。

 けれど、そんな彼女を歓喜の目で見つめる者がいた。『博士』と呼ばれるその人物の狂気に満ちた視線を以前にも見たような気がするのだが、それがいつのことなのかどうしても思い出せずにいた。

 そう言えば、本社で会ったあの調査官はどうなっただろう。無事であれば良いのだけれど。

 ふと思いを巡らせた時、クレアは感じた。おかしい、と。

 常ならばそろそろ食事が運ばれてくる頃合いだが、今日はまだである。それどころか、分厚い扉の向こうからは慌ただしさが伝わってくる。

 反射的にクレアが立ち上がろうとした時、扉がゆっくりと開く。そこにいたのは配膳係ではなく、青ざめた顔をした警備員だった。

 しばらく彼は呆然と立ち尽くしていたが、次第に近付いてくる靴音で我に返ったようだ。

 おもむろに彼はクレアを盾にするようにその背後に回り込み、廊下の方に銃口を向けて叫んだ。

「く、来るな……き、来たら撃つぞ!」

 震える声に応じるかのように、薄暗い廊下からもう一つの人影が現れた。侵入者は惑連宇宙軍の軍服を着ているのは理解できたが、何かが普通の物とは違っている。

 それが一体何であるのか咄嗟とっさに理解できず唖然とするクレアに対し、警備員は声同様震える手で光線銃を握りしめた。

「や、やめろ! く、来るな、化物!」

 そのまま警備員は引き金を引いた。幾筋もの光が薄暗がりの中を交錯するが、その狙いは定まらない。

 それを見越してか、人影はまったく動じることなく近付いてくる。その時、光の加減で侵入者の顔があらわになった。生気のない硝子色の瞳が鈍く光る。クレアはその顔に見覚えがあった。

「うわああああああああああ!!」

 絶叫を上げながら、警備員は至近距離にも関わらず銃を乱射し続けた。その内の一条の光が、侵入者の左腕を撃ち抜く。と、それは何の抵抗もなく千切れて飛び、言い難い腐臭が周囲に漂う。

 けれど侵入者は表情一つ変えることなく、警備員の眉間に自らの銃を向けて引き金を引いた。

 クレアが目を閉じ耳をふさぐ前に、カチリ、という乾いた音が響く。

「どうやらエネルギー切れのようだ」

 その言葉が終わらぬうちに、警備員は失神し床に倒れ込んでいた。

 侵入者は警備員が完全に気を失っていることを確認すると、クレアに向けてわずかに会釈した。

 そう言えば子どもの頃、カスパーおじさまから聞いたような気がする。父様はお仕事場で『Doll』という物の研究をしている、と。そう、確か父様は……。

 記憶の一部に広がるもやに、クレアは頭を抱える。

 何か、大切なことを忘れている。

 それを思い出そうとしていたクレアだったが、不意に聞こえてきた水が滴るような音で我に返る。見ると、侵入者……恩人の左腕からどす黒い血が床に流れ落ちていた。

 あわててクレアは止血する物を探したが、恩人は無言で首を左右に振りそれを制する。

 そして、先程から鳴り続けていた襟元の通信機に小声で応じた。

「私だ。目標の保護に成功、これより帰還する。止血スプレーを用意しておいてくれ」

──え……じゃあ、先程の銃声は? ──

「被疑者に別状はない。以上だ」

 一方的に通信を切りクレアに着いてくるよう促すと、彼は薄暗い廊下へと出ていく。

 クレアは晴れて自由の身となった。


     ※


 薄暗がりの中に、二人の靴音だけが響く。

 しかし、クレアは通り過ぎた後に残される血痕を気にして目の前を行く恩人におずおずと声をかけた。

「あの……大丈夫、ですか?」

 と、恩人は肩越しに振り返る。その顔には、硝子色に光る双眸がある。

「もともと時間が足りず定着しなかった古傷です。気になさらないでください」

 そう苦笑を浮かべ答える口調は先程までの冷淡なものではなく、以前に会ったテラからの調査官のそれだった。その穏やかな口調で、彼はさらに続けた。

「私自身が動く死体のような物ですから、いまさら腕一本など些末なことです」

 その言い方があまりにも自然だったので、クレアはつい聞き流しそうにはなる。しかし、その言葉の意味に気付いた彼女は立ち止まり、まじまじとNo.5を見つめた。

 無理もない。死体が動くなど怪談ならばまだしも、常識で考えればあり得るはずがないからだ。

 その様子に気づいたのだろう。No.5は更に続ける。

「もっとも死体は私だけです。私は、現在稼働している特務……Dollの開発途上で生まれた試作品なので。……怖いですか?」

「いいえ。おじさま……カスパーさんから、特務はどんな危険もいとわない存在だと聞いていました。でも、まさか実在するなんて……」

 クレアの正直な言葉に、No.5は柔らかい微笑で応じる。

 けれど、前方に視線を向けると硝子色の瞳をすい、と細めた。

「ですが、我々の存在は惑連内部でもかなり上層でなければ知らされていないはずですが。支局長殿はお詳しいようですね」

「何でも、私に関わりがあるとか言ってました」

 聞けば、カスパーはクレアが自身の家族について問い詰めた時、断片的ではあるが特務の事を口にしたという。それは意図的ではなく、口を滑らせたためであるらしい。そして、それ以後何度聞いても答えてはくれなかったという。

「私は両親を知りません。幼い頃から身近にいた支局長さんは、親のような方です。そういえば……?」

「身辺に危険が及んだので、我々に同行していただきました。今向かっている管制室にいらっしゃいます」

 その言葉に、クレアの顔に初めて安堵の表情が浮かぶ。

 目前に姿を現した管制室の扉。その前に支局長の姿を認め、クレアは大粒の涙をこぼしていた。


      ※


 No.5の応急処置を終えた後、No.21は中断していた作業を再開する。若干苦労しつつも一段落ついたのか、ややあって大きく息をついた。

「メインシステムは、ほぼこちらの支配化に入りました。セキュリティ上のプログラムには今のところ触れていませんが、当面の間問題は無いでしょう」

 振り返り、そういたずらっぽく笑うNo.21の姿もやはりヒトそのものだった。鈍く光る硝子色の瞳を除いて。

 まだそれには慣れずにいるクレアに軽く手を上げて見せてから、No.21はNo.5に話を向けた。

「それより、少佐殿は大丈夫なんですか?」

「起動中枢は無事だ。何ら問題はない」

 いつものごとく抑揚のない口調で言うと、No.5は正面の巨大モニターに鋭い支線を投げかける。その瞬間を待っていたかのように、けたたましいアラート音が鳴り響いた。

 同時に、その場の空気に緊張が走る。

「支配外の裏回線からです。今のところ、それ以上のことはわかりかねます」

「相手を探知することは可能か?」

「……おそらくは」

 その場にいるだけでまったくのお荷物になっている支局とクレアは、互いに顔を見合わせる事しかできなかった。

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