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第3話 襲撃

 初日こそ滞りなく進んでいた捜査は、早くも暗礁に乗り上げていた。

 Mカンパニーに対しては再度代表のプライス及び被疑者への面会及び聴取を依頼しているのだが、様々な理由をつけられてあれ以来実現はしていない。

 加えてMカンパニーは調査を断るのみならず、今後はマルス惑連を通してくれ、と注文をつけてきたのである。

 カスパー・クレオ氏の言葉を借りれば、マルス惑連はMカンパニーと の関係であるという。そこに話を持っていっては、捜査が進むはずもない。

 両者ができることといえばこれまで集まった資料の読み込み及び再検討だが、今のところ新しい発見は無かった。

「まったく、先日のスムーズさが嘘のようですね」

 ホテルのロビーで資料ファイルを眺めながら、No.21は思わずぼやく。

「そうだな」

 No.21は、簡潔で感情の起伏の無いNo.5の返答の端々に、かすかな焦りを感知していた。現状は四面楚歌であるのだから、無理もない。けれど、決定的な証拠がない以上、動くことはできない。

「やっぱりやましいことがあるんでしょうね。会わせてくれないところをみると」

 行儀悪くテーブルの脇に足を投げ出して、No.21はさらに続ける。監視の目や盗聴器の存在を念頭に入れての行動である。

 それを聞いているのか定かではないが、No.5はいつもの無表情で何やら左手を気にしていた。

「どうかなさいましたか?」

 それに気付いたNo.21は、あわてて座り直す。

 一見しただけではわからないが、今日のNo.5の左手には、火傷などの応急処置には使われる人工皮膚の長手袋がはめられていた。何度かNo.5は手を開いたり閉じたりしていたが、どうもしっくりこないようである。

 どうやら前回の任務で負傷した傷の具合が良くないらしい。

「一度テラに戻られますか?」

 そう口に出してしまってから、あわててNo.21は周囲を見回す。

 幸いロビーには人影はまばらで、彼らに気を止めるような者はいなかった。怪しげな風貌の警備員は遠巻きにしているので、この会話が届いている可能性はまずないだろう。

 No.21がほっと胸をなでおろすのもつかの間、質問に答えることなくNo.5はゆっくりと立ち上がる。

 そして、何事かと見上げてくるNo.21に向かい、短く告げた。

「少し出てくる」

「お一人で、ですか?」

 何なら車を出しましょうか、とのNo.21の申し出を固辞すると、No.5は足早にロビーを抜けホテルを後にする。

 一瞬No.21は止めるべきかと悩んだ。

 しかし、No.5には自分よりはるかに実務経験があるのだから大丈夫と判断し、また止めればかえって不自然になると結論づけた。

 彼はその場を離れるNo.5を見送ると、資料の束を片手に行儀悪くテーブルの下に足を投げ出した。


     ※


 ホテルを後にしたアンドルは、オフィス街を抜け繁華街へと足を伸ばしていた。

 ファッションビルのショーウインドウを飾るマネキン人形は、みなどこも似通った格好をしている。それらをのぞき込む人々も、等しく同じような髪型に似たような服装をしていた。

 流行を発信するメディアが軒並みMカンパニーの影響下にあるのだから、無理もない。そしてこれがMカンパニーによる情報操作の目に見える形での結果である。

 作られた流行に踊らされる人々には、おそらく自分たちが踊らされているという自覚すら無いのだろう。

 末期症状だな、とアンドルが吐息をついた時だった。

「これはめずらしい所で。先日はどうも」

 突然背後から声をかけられて、アンドルは身体ごと振り向く。そこにはいつの間にか、裏表の無い笑みを浮かべたカスパーの姿があった。

「こちらこそ、お忙しい中、突然失礼いたしました」

 しかし、アンドルは事務的な口調で応じる。

 その反応にカスパーは少々期待外れのような素振りを見せたが、すぐに気を取り直して言葉を継いだ。

「いえいえ、お気になさらず。そうだ、少しお時間ありませんか? この先に雰囲気の良い店があるんですよ」

 カスパーの言葉からは、悪意はまったく感じられない。かつ、断る理由もないので、アンドルはうなずいた。

 連れ立って歩くことしばし。二人がたどり着いたのは、賑やかな表通りから一本入った所にある、個人経営の落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。

 そしてもっとも奥まった席に着くなり、カスパーはこういった店はMカンパニーの資本が入っていないので安心できるんですよ、と皮肉交じりに言った。

 そんなカスパーの内心を見透かすように、アンドルは常のごとく平板な口調で告げる。

「残念ながら、お話できるほど調査は進展しておりません。申し訳ありません」

 図星をつかれ決まり悪そうに咳払いをするカスパーだったが、ふと意外そうな表情を見せた。それに気付いたアンドルは、わずかに首を傾げる。

「……何か?」

「いや……貴方のような穏和そうに見える方でも前線経験があるのかと思いまして。気に障られたらすみません」

 その言葉の根拠が左手の人工皮膚の手袋であることを理解したアンドルは、さも当然と言わんばかりにその手を目前にかざして見せた。

「先頃、フォボスの動乱地域へ行きましたので。その時負った傷が、悪化したんです。それにしても、良く気が付かれましたね」

 珍しく饒舌なアンドルの様子に驚きつつも納得したのか、カスパーはジャケットの内ポケットから煙草を出しながら答えた。

「若い頃の話ですが、従軍記者も経験してるんですよ。あの頃、そういう物は毎日のように見てましたからね」

「失礼ですが、志願されたんですか?」

 差し出された煙草を固辞しながら、アンドルは何気ない口調で尋ねる。それに対し、カスパーは笑いながら言った。

「ええ、まあね。本当の事を知りたいと思いまして。で、知ったことは埋もれさせないよう誇りを持って報じてきたつもりです」

「……真実を追い求めるうち、惑連の機密にたどり着かれた訳ですか?」

 抑揚のないアンドルの問いかけに、一瞬カスパーの動きが止まった。

 ご冗談を、と笑って見せるが、アンドルの視線からはユーモアの欠片すら感じられない。言い逃れはできないと判断したのだろうか、カスパーはどこか決まり悪そうに煙を吐き出した。

「今や報道機関内では、特務は公然の秘密ですよ。最近じゃ噂に尾ひれが付いて、その構成員は一人で数百人分の兵力になると本気で考えている馬鹿者もいる」

 言い終えて、カスパーは煙を吐き出す。そしておもむろに切り出した。

「先だって、フォボスの紅リゾートでテロリストによる占拠事件があったでしょう。その馬鹿者は、あの時出てきて事件をあっさり解決したのが件の特務だと信じてるんですよ」

「それがプライス氏ですか?」

 アンドルの問いかけを、カスパーは肯定も否定もしなかった。

 そして、運ばれてきたコーヒーを手にすると、ふと思い出したように付け加える。

「そう言えば先頃、マルス惑連から出向という形で、ニコライ・テルミン博士という人物がMカンパニーに着任したのをご存知ですか?」

 アンドルはわずかに目を細める。それを確認したカスパーは、コーヒーを飲み干して忌々しげに続けた。

「奴がクレアを思い出さなければ、こんなことにはならなかったのに……」

「それは、一体どういうことでしょうか?」

 カスパーが口を開こうとした、ちょうどその時だった。わずかな振動、次いで鈍い破裂音が聞こえてくる。

 次いで、静かな音楽が流れる店内に、緊急車両のけたたましいサイレンが飛び込んできた。その音から察するに、かなりの台数になるだろう。

 異常を感じた両者は立ち上がり会計を済ませ、足早に店を出る。そして、緊急車両が通り過ぎていった表通りへと出た。

「何だ? 火事にしては派手だな」

「煙は見えますが、火事のものではないようですね。……ガス爆発でしょうか」

 アンドルの冷静な判断に、カスパーはそちらを見やるなり色を失った。

「支局の方向です……まさか……」

 言うが早いが、カスパーは走り出す。その後を、アンドルも追った。


     ※


 二人がたどり着いた時、現場にはすでに野次馬達が集まり、もうもうと煙を上げる崩れかけたビルを遠巻きに眺めたり、動画を撮影したりしていた。それが恒星間通信社が入っているビルであるのは、言うまでもない。

 煙と塵と血の匂いが入り混じった市街戦独特の空気が、平和なはずのオフィス街に漂っていた。

「……いかがでしたか?」

 黒山の人だかりをかき分けてきたカスパーに、アンドルは落ち着きはらった声で尋ねる。対するカスパーは、やや青ざめた表情ながら冷静に答えた。

「届けられた小包が爆発したそうです。開けた局員は幸い命に別状はないとのことですが……」

 だが、その口調の端々にからは、静かに怒りが含まれていた。両の手を固く握りしめながら、カスパーはつぶやく。

「……Mカンパニーの警告……いや、制裁か?」

「マルスの惑連軍の可能性も捨てきれませんね。貴方からうかがったお話から判断するに」

 そう言うアンドルの口調は、限りなく冷たい。

 その時、両者の間に甲高い電子音が響いた。失礼、と断ってからアンドルは内ポケットから携帯電話を取り出した。

「私だ」

──少佐殿? 先程恒星間通信社が……──

 上ずったNo.21の声が聞こえてくる。それに対し、アンドルは短く答えた。

「今、現場前にいる」

──支局長さんはどちらに?──

「一緒だ」

 淡々と続くやり取りを、話が見えないカスパーはいぶかしげに見やる。その視線の先で、会話はさらに続く。

──では、至急そちらに向かいます。このままではホテルへの滞在も危険でしょう。『避難所』へ移動した方がよろしいかと──

「わかった」

 No.21が何を言わんとしているのかを理解したアンドルは、通話を終了した。

 電話を収めると、彼はカスパーに向き直り静かに告げた。

「マルス惑連及びMカンパニーは、貴方を要警戒人物に加えたようです。我々には、貴方を守る義務が発生しました。ご同行願えますか?」

「ですが……貴方も惑連の人でしょう? それがどうして……」

 所属の違いこそあれ、どうしてマルス惑連とは異なる行動を取るのか。

 当然の疑問を口にするカスパーを、アンドルは制した。

 そのまま目元に手をやると、コンタクトを外す仕草をする。

 広げられた手のひらには、カラーコンタクト。そして、こちらを見つめてくる双眸そうぼうに、カスパーは絶句する。

 ヒトではあり得ない無機質に光る硝子色の瞳が、そこにあったからだ。

「貴方は……」

 無言でうなずくと、アンドルは先に立って歩き出す。すべてを理解したカスパーはあわててその後を追った。

 これ以後、二人の惑連調査官と支局長は、忽然と姿を消した。

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