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四十本目:剣の鼓動は、無窮の空に

 残心を取り切った八咲と目が合う。


「剣、誠」と喘鳴しながら、されど平静を装って八咲は語りかけてくる。


 顔には今まで見せなかった脂汗が浮かんでいた。それでも力強く笑みを浮かべ、


「ありが、とう。私、を、理解してくれて」


 人生で二度目の理解者を得られた喜びに、打ち震えていた。


 ちくしょう、やはり八咲は一筋縄ではいかない。俺は先生との戦いで何かを掴んだが、それが発揮できていない。コイツと同等になったというだけ。同じ領域を理解するという意味では十全だろうが、それだけでは八咲を打倒するには足りない。


 理解を望む。それは偽りではない。しかし、ガキである自分の心を制御できない。八咲だってそうなのだ。理解できたからといって負けていいとは、一言も言ってないのだ。


「何言ってやがる」


 八咲を超えるにはあの感覚に至るしかない。全てが透明になって、無窮の空を飛んでいるようなあの感覚に。しかし、どうすればいいのか手がかりがない。


 思い出せ。俺は桜先生との修羅場で、何を感じた。


「勝負は終わってねぇ。いいからサッサと構えろよ。今度は俺を見せつけてやっから」

「ほう、それは、楽しみ、だな」


 乱れた呼吸は相変わらず。それでも八咲は下がろうとしない。

 コイツは絶対に、喘息を言い訳にしない。


「八咲、おまえは強い。だから気なんか使わねぇ。おまえだって望んでねぇだろ」


 というかむしろ、発作があった方が実は強いんじゃないかとまで思っている。


 何故なら、それこそが八咲本来の戦い方だから。


 削って削いで削ぎ落として。透き通るまで純化させて一瞬を斬り落とす。


 その戦い方は、八咲が背負った宿命に抗うべく掴み取った答えだ。生半可なワケがない。


「ふふ、ふふふふ、ああ、やはり、私の目に、……狂いは、なかった」


 肩を上下させながら、八咲がゆっくりと開始線で構えを取る。


「君は、優しいじゃないか」

「そんなんじゃねぇよ、ばーか」


 吐いた罵倒は、やはりなまくらだった。


 二本目の合図が掛かった瞬間、俺は構えを変化させた。八咲が目を剥く。


 会場がざわついた。

 示現流・蜻蛉。

 俺の魂を、乾坤一斬を魅せつけるにはやはりこれしかない。


 原点に立ち返る。最も馴染んだ形を取り、集中力を高めていく。


「そう、か。それが君の、魂か。感じさせてくれ、もっと……」


 荒い息がゆっくりと細く長く変わっていく。八咲が己の呼吸を力づくで制御している。俺に僅かな綻びがあれば即座に斬りに来るだろう。


 その精度は黒神 桜でさえも敗れたほどだ。チャチな覇気じゃ即座に破られる。


 乱すな。鋼の芯を通せ。細胞の動き、血の流れ、呼吸の感覚、骨の音、筋肉の連動、全てを掌握してこの瞬間に昇華を果たせ。


 先刻までの盛り上がりを忘れ、通夜のような静寂が会場を包んだ。僅かな呼吸、心臓の鼓動、防具の擦れる音まで聞こえてくる。


 真剣勝負のようだ。誰かが呟いた。抜刀すれば即座に命が散る予感に、空気が張り詰めた。微かな移動を繰り返し、八咲の微細な動きも取り逃さないよう神経を巡らせていると──ふと、視界に映る存在がいた。





 香織だった。





「──」


 剣道を知らない、俺たちの領域とは別世界にいる少女。されど、俺や八咲という異常者に近付き、友達になりたいと言ってのけた豪胆な魂の持ち主。


 彼女が、何かを願うような表情で手を組んでいた。なんだ? 何を祈ってる? どっちの勝利を祈ってる? 分からない。香織が分からない。


 だけど同時に思った。分からないままでいいのか。


 俺は香織と友達なんじゃないのか。アイツは俺みたいな物騒な男に歩み寄ってくれたんじゃないのか。きっかけはひょんなことだろうけど、そこからつながったんじゃないのか。白線の外側にいる香織とも。


「ひゅー、ひゅー……、ひゅ、……」


 八咲は気付いていない。香織の祈りに気付いていない。

 いや、気付こうとしていない。コイツの専心は俺だけに注がれている。


 当然だ。八咲は俺とだけのつながりを望むから。剣と鞘という二心同体の関係性。俺と二人で手を取り合うことで完成し、完結する輪を至上の喜びとして享受する。


 ならば、香織は? 


 今は試合場の外にいる人間。俺と八咲だけの世界となっている白線の内側には入ってこれない、一般人。普通の人。剣道を知らぬ──人間。


 手を組む姿はまるで、決闘に向かう侍の無事を祈る家族のような姿だった。彼女はこの世界に入れないのか? 俺と八咲の世界から外されるべき存在か?


「違う。香織だって、俺の剣の一部だ」


 今やそうだ。彼女とは友達。昔からずっと、つながりは続いていたではないか。


 練度が足りないというだけで、彼女を蚊帳の外にしていい道理はない。


 依然として、八咲は俺以外不要と言わんばかりの覇気を向けてくる。


 白線の内側で完結する二人だけの世界を、八咲は望んでいる。


「いいのか、それで」


 俺は守ると誓った妹の死に触れてから、大事な人たちを守れるだけの強さを求めて剣道をしてきた。その途中で剣の『要』を知り、東宮との戦いでみんなを守るならばたとえ孤独になっても周り全員を斬り伏せなければならないと悟った。


 しかし、香織によって俺の『要』の答えに罅が入り、八咲によって破壊された。


 俺が求めた本当の強さを手に入れるには、他者の心をへし折ることではなく、剣戟による相互理解──つながりが大事だと知った。それはつまり、剣道が生む輪、二人だけの世界だ。八咲という『極』はその考えこそを至高と謳う。


 しかし、それでも八咲には勝てない。打倒しきれない。


 ならば超えるしかない。剣と鞘。両手を取って輪を作る、二人で完結する世界を。


「俺たちだけじゃ、ダメなんだ」


 試合を見守る香織の魂すらも理解するために、白線の外にも感覚が広がっていく。


 そして感じる。香織は、どっちの勝利も祈ってない。


 喘息という爆弾を持つ八咲。殺し合いじみた剣道をする俺。下手すれば無事には済まない。故に、ただ無事に終わり、また三人で、屋上でジュースでも飲めることを、香織は祈ってるんだ。友達として。また笑い合えることを、祈っている。


「ホント、おまえってヤツはよ」


 物好きな女だ。見たことねぇよ、おまえみたいな女。


 感覚はさらに広がっていく。俺の後ろにいる東宮は、自分と何が違うのかと魂で嘆きながらこの試合を見ている。横にいる桜先生は、弟子の成長を喜んで涙ぐみながら、見ている。先生の隣では、津村のばあちゃんがうんうんと頷きながら置物のように座っていた。そして、この大会で戦った人みんなが、悔しがりながら、敬意を払いながら、分析をしながら、俺たちを見ている。みんなの魂が剣の鼓動となって、俺の魂と共鳴する。


 まるで心臓が高鳴っているかのような鼓動だった。鼓動一つ一つには、紛れもなくそれぞれの世界が存在した。


 世界は前だけではない。後ろにも横にも広がっていたんだ。


 無窮の空を飛んでいるような感覚が俺の魂から迸る。桜先生と戦った時の感覚が、蘇る。


「ひゅ……」


 瞬間、八咲の呼吸が止まった。分かる。八咲はこの瞬間、生命体として必要な行為を捨て去った。俺は今、一振りの剣と相対している。


 全てが透明になった視界で、八咲の動きが、溶けた。


 その動きはまさに陽炎、稲妻、水の月。

 捕らえることのできない幻のような。


 ぬるり、と桜先生を斬り落とした流体の動きで、八咲という名の剣が迫ってくる。


「──」


 理解した。この踏み込みの正体は、相手が攻撃に出る呼吸の隙間に入ること。


 剣を理解のための媒介と言う八咲にしかできない、回避不能の攻勢だ。


 不可避なのだから、何も考えなかった。

 全細胞が喜ぶ方へ、体を動かした。


「俺の答えを、見せてやる」


 八咲、孤高を求めた俺が、間違っていたよ。





 無限に広がる世界とつながる勇気こそ、俺の求めた……大切な人を守れる強さだったんだ。





 遥か彼方へとたどり着くための一撃を繰り出す。


 相手の動きだけではなく、空間全てを把握する。風の流れ、空気の熱、床の軋み、竹刀の声──『心眼』よりも高い精度と感知で、先を取ろうとする八咲のさらに先を疾走する。


 竹刀が歪んだ。あまりの威力に大きくしなった。音が消えて、そして、世界が弾けた。


 体が交錯する。新たなる道を邁進するように、まっすぐ突き破った。


「面アリィッッ!」


 会場が歓声で爆発した。万雷の拍手が降り注ぐ中、俺は衝撃で膝をついた八咲に近付く。


「大丈夫か八咲。ホラ、立てるか」

「ありが、とう。今のは、君だけの力、では、ハァ……ない、な。何を、した?」


 八咲の震える手が、俺の手を掴む。しっかりと握り締め、優しく引き上げた。


「俺さ、八咲。おまえのことを理解したいのは変わらないんだけど」


 なんとか八咲が立ち上がる。ふらついたが自力で歩けるようだ。


「俺が理解したいのは、おまえだけじゃないんだ」

「な、なに?」

「先生のことも、東宮のことも、おまえのことも、香織のことも──理解、したい。そう思ってたら、みんなの魂が、剣から伝わる鼓動になって、感じられて」


 上手く言葉にできないのがもどかしい。でも、それが俺の本心だ。目の前にいる八咲だけじゃなくて、俺と戦い、見守る全ての人のことを理解したい、つながりたい。


 そう思っていたら、不思議と──。


 八咲はしばらくキョトンとしていたが、何かに気付いたように小さく噴き出し、


「ふ、ふふふ、ぜぇ、そういうこと、か。そういえば私、は、彼女を理解できない、と、拒んで、しまった、から」


 くっく、とひとしきり笑ったと思ったら、顔を上げて俺を見つめてきた。


「知っている、か? 釣師範の妻、津村武道具店の、店主は……釣師範と、ぜぇ、出会った時、剣道を知らぬ女性だった、らしい」


 え、マジで? そうだったの?


「なるほど、相手、だけではなく、空間、世界全てが剣の鼓動として伝わってくる、か。ふふ、ふ。私は、そこまで深く広く、感じたことは、無い。私は、眼前にいる相手だけしか、感じられて……なかったから。その差は、こんなところに、あったのか」


 八咲は疲れていながらも、どこか幸せそうな表情を浮かべていた。


「どうやら、私がいた領域は、『極』と名乗るには、足りなかった……ようだ」


 ふらりとよろける八咲を慌てて支える。


「本当の『極』とは、相手だけではなく、自分と関わる世界全てと、つながること、か。それが本来あるべき『極』の姿。君が辿り着いた領域は、剣の鼓動を感じる領域……釣師範の辿り着いた、最果てだ。私が、未だ、辿り着けぬ、私の──理想だよ」


 告げられ、思わず自分の手を見つめた。本来あるべき『極』の姿。相手の魂だけではなく、細胞の動きや血の流れまで透けて見えるようになり、床の軋みや空気の流れ、竹刀の声まで把握する。より解像度が上がり、広い世界まで見据えられるようになった『心眼』といったところか。


 八咲は相手の狙いと打突のタイミングを把握できるが、俺はさらに動き始める瞬間、いや、動こうとする思考すらも多くの情報から読み取り、感じ取る。


 より相手と、世界と一つになる──そんな感覚。


「八咲」


 拳を握り、汗が輝く八咲の顔をまっすぐに見つめる。


「もっとだ。もっとやろう八咲。剣の鼓動を、もっと感じさせてくれ」

「ああ、魂を交わそう。私にも、教えてくれ。君が辿り着いた、領域、を。まだ、勝負は……続くの、だから」


 そう。まだ互いに一本ずつ。決着はまだ先だ。握手をするように切っ先を交わし、すぐに解いて開始線へ戻る。それは剣道の試合中における、相手への礼を示すものだった。


 そんな俺たちの魂の抱擁を見ていた香織が、盛大な拍手を送ってくれた。


 胸に澄んだ水が流れるような、清々しい感覚が湧き出る。ああ、悪くねぇな、こういうのも。つながりを得る。即ち、魂の対話。それはどこまでも心地よくて。


「俺たちの対話を、もっと続けよう。もっと、広げていこう」


 俺のまっすぐに疾走する覇気を受け、八咲が苦しみすら忘れたように笑顔を浮かべた。


「今や、私が、挑戦者か。ふ、悪く、ないな」


 八咲は決して目を逸らさず、正面から受け取る。

 その姿を見て確信した。八咲が俺を認めてくれた。


 なら、この瞬間に言わなければならない。

 今度は、俺から。理解者として。同じ傷物として。


「沙耶」


 俺たちの傷だらけのつながりを、白線を超えた先へ広げていこう。





「俺の鞘となって──共に世界を広げてくれるか」





 万感の想いを込め、魂を差し出した。


「ああ。もちろんさ、剣誠」


 当たり前だと言わんばかりに、八咲は迷うことなくそう告げた。


「俺たち二人のつながりを、もっともっと、大きな世界へ。無窮の空へ」

「なら、感じさせて、もらおうか。君が感じた、剣の鼓動とやらを」


 返答する八咲の目には、微かに透明の感情が浮かんでいた。


 面を通過して床に零れるのと同時に、


「勝負ッッ!」と審判の声が轟いて、


 俺たちは、抱きしめ合うように面打ちを放った。


 ──俺と八咲は剣と鞘。傷を埋め合う二心同体の存在。俺たちは剣を交わしてつながりを生んだ。そして、生まれたつながりをより広い世界へと押し広げていく。


 魂と魂を結び付けるように。それが俺の、剣を振るう新しい意味だ。


「二人とも、本当に幸せそう」


 香織の声が聞こえた。香織の魂に灯る幸福の温度が、俺にも、八咲にも伝わる。


 白線の向こう側にある世界と俺たちの世界が、魂でつながり合った瞬間だった。


 ああ、そうか。そういうことか。


 魂で対話し、魂で抱きしめ合う。それこそが俺の求めた本当の強さであり、


 その幸福に気付くことこそが、剣道なんだ。


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